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建築物

2020年10月11日 (日)

北条政子による国指定重要文化財の廣徳寺大御堂とそこに古墳もある川島町

東京から近い白鳥飛来地として、1年半前に埼玉県川島町には行きました。

荒川サイクリングロード沿いのホンダエアポートのすぐ近くにある、国指定重要文化財の建築物を見に今回は行ってみました。

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入口の右の石柱には「真言宗豊山派大御山西福院 廣徳寺」とあり、左の石柱には「国指定重要文化財 大御堂」とあります。

中には立派な建築物が見えますが、あれが重要文化財なのでしょうか。

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↑左右には金剛力士像もあり、室町時代を思わせる素晴らしいものですが、山門であり違うようです。

これを潜ると、「廣徳寺古圖 美尾屋十郎廣徳館跡 武蔵國比企郡三保谷村表」との案内板があります。

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かつてここには美尾屋十郎の館があったようです。

美尾屋十郎廣徳というのは、平安時代から鎌倉時代のこの地の豪族で、平家物語や吾妻鏡にも出てくる武士です。

平家物語の中で有名な「錣(しころ)引き」、悪七兵衛ともいわれる藤原景清に錣を素手で引きちぎられたところで登場するのが美尾屋十郎です。

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↑山門の先を左に直角に曲がると、いよいよ目的の建物があります。

廣徳寺大御堂といい、13世紀初めに源頼朝の妻であり尼将軍ともいわれる北条政子が、美尾屋十郎廣徳の菩提を弔うため、美尾屋氏の館跡に建立したものです。

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↑この建物は室町時代後期に再興されたもので、国指定有形文化財となっています。

やはり、近くで見ると存在感があります。

大御堂とは、浄土信仰の盛んな平安末期から鎌倉期にかけての阿弥陀堂のことです。

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方三間の寄棟造、茅葺で関東地方らしい風格を帯びた堂姿を示す数少ない禅宗(唐様)建築ということです。

さらに、ここには古墳もあるというので見に来ました。

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2019年9月29日 (日)

薬師池公園の名勝正式名である福王寺旧園地という謎と国指定重要文化財や都指定有形文化財などの旧家建築物

東京都指定名勝となっている町田市の薬師池公園ですが、正式には「福王寺旧園地」という名称で指定されています。

薬師池という位ですから薬師堂があるようなので行ってみます。

ただし、地図や案内板には薬師堂の表示はありますが、福王寺という表示はないので、その辺も確認してみます。

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↑公園内の階段の登り口の所に「薬師堂参道」と書かれています。

階段を登っていくと、まずは巨大な御神木がまず目をひきます。

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現在は「野津田薬師堂」と言われているこの薬師堂は、奈良時代である天平年間(729〜749)行基の開基と伝えられています。

しかし、鎌倉時代末期の新田義貞の鎌倉攻めの時に焼失してしまったようです。

200年以上後の元亀4年(1576)にこの地に福王寺として再興されました。

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↑現在の薬師堂は明治16年(1883)に再建されたものです。

前回見てきたように農業用水池として薬師池が作られた頃は、福王寺溜井と言われていたそうです。

そのため、正式名は福王寺旧園地です。

この薬師堂は華厳院というここより1キロメートルほど北にある寺院により管理されており、どうやら行基開基といわれているのはその華厳院のようです。

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福王寺溜井は寛永年間(1624~43)に作られたと前回書いたのは、公園内の東京都教育委員会による名勝の案内板によるものでした。

しかし、園内の別の案内板をには、戦国時代の天正5年(1577)滝山城主としてこの辺りを支配していた北条氏照の許可によって、周辺農民により十数年かけて農業用水池として開拓されたとの表記もありました。

どちらが正しいのでしょうか。

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↑薬師堂からさらに階段を登っていくと、視界が開け、この薬師池公園を東から南を通り西へと取り囲んでいる尾根道にでます。

ここは標高100メートルを超えていますから、池の辺りとの高低差は35メートルもあります。

この薬師池公園は日本の歴史公園100選にも選ばれていますが、国指定重要文化財や都指定有形文化財の建物があるのでそちらも見てみます。

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2018年7月 8日 (日)

聖蹟桜ヶ丘駅の名前の由来になっていた桜ヶ丘公園にある多摩聖蹟記念館

京王線の聖蹟桜ヶ丘駅と聞いて、「聖」という文字からキリスト教関連の施設が近くにあるのかなと思っている人もいるのではないでしょうか。

聖蹟とは元は貴人などが訪れた史跡のことで、特に天皇の行幸、つまり訪問した土地のことを言います。

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↑「明治天皇御野立所跡の碑」があります。

お野立とは、移動中の貴人(主に天皇)が屋外で休憩した場所のことです。

1880年代に明治天皇が兎狩りと鮎漁で4回、この多摩市連光寺を訪れたといいます。

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↑都立桜ヶ丘公園の敷地内となっています。

桜ヶ丘は江戸時代から向ノ岡(連光寺付近)が桜の名所だったことから呼ばれているようです。

この公園内には「旧多摩聖蹟記念館」という建物があります。

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多摩市指定有形文化財となっています。

表側に回ると、柱が印象的な建物で、東京都による「特に景観上重要な歴史的建造物等」にも剪定されています。

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明治時代に建てられたのかと思いきや、明治天皇の行幸を記念して、昭和5年(1930年)に建てられたものです。

後世に業績をたたえることと、地域の観光開発の建てられた施設だそうです。

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中に入ることが出来るようなので行ってみました。

幕末から明治時代にかけて活躍した坂本龍馬や西郷隆盛、勝海舟らの関係の資料が展示されていました。

内部は撮影禁止だったので写真はありませんが、多摩市が管理運営しているようですが、建物設立の経緯からすると不思議にも感じられます。

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2018年6月24日 (日)

国登録有形文化財がいくつもある石川酒造と大ケヤキと熊川分水と下の川の合流地点

玉川上水から分流した熊川分水の流れを、熊川神社から下流に辿ってみました。

しばらく道路沿いに見ることのできた流れは直角に曲がって見えなくなり、道路と民家の間というよりも民家の敷地内を流れているところがあります。

交通量の多い睦橋通りを渡ると、民家と民家の間を流れていきます。

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↑この背中越しの道の向こう側では、何やら蔵造りの建物の敷地内に熊川分水は流れていくようです。

こちらは「石川酒造」という造り酒屋で、文久3年(1863年)に創業したといいます。

ギリギリ江戸時代です。

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↑「新蔵」といい、明治30年(1897年)建築のもので、酒の熟成に使われている土蔵です。

国登録有形文化財になっています。

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↑さらに古い明治13年(1880年)建築の「本蔵」もあり、ここで日本酒「多満自慢」が醸造されています。

これも国登録有形文化財です。

手前には熊川分水の碑も見えます。

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↑ここ石川酒造では蔵見学も無料で出来るとのことですから、このような案内表示板もあります。

さらに古い建物もあるようです。

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↑「長屋門」という250年前の江戸時代の建築といいますから1770年頃でしょうか、石川家が造り酒屋を営む以前からのものだそうです。

こちらも当然に国登録有形文化財です。

ちょっと石川酒造の宣伝のようになってきたので、熊川分水の先に進みましょう。

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2018年6月10日 (日)

都内で2番目に古い安土桃山時代に建築されたのに見ることと七福神巡りもできる熊川

前回、都内で一番古い神社建築である豊鹿島神社の本殿は、覆殿の中にあり外から見ることは出来ませんでした。

福生市にある熊川神社本殿も、建築物として東京都指定有形文化財となっています。

都内で2番目に古いということですが、今度こそ直接見てみたいものです。

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熊川神社は平安時代の初め、多摩川で産鉄をしていた部族が、鉄神として白蛇神(宇賀神)を祀ったのが起源だそうです。

古代の礼拝塚(糠塚)が、後世、神社となったもので、古代の多摩川の砂鉄産鉄に大きく関わっていたといいます。

多摩川で砂鉄を採っていたということさえも知りませんでした。

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↑カラスが水を汚さないようにということで、手水舎に蓋が被せてありました。

確かに、本殿近くの木の上で数多くのカラスの鳴き声がしていました。

この神社は礼拝大明神と言われたいたものが、明治時代から熊川神社という名称になったといいます。

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↑まずは熊川神社の拝殿です。

この神社で、映画「ちはやふる-上の句-」と「ちはやふる-下の句-」の撮影が行われたそうです。

御祭神は大国主命ですが、昭和35年から交通安全のためにあった拝島不動尊も拝島駅改築に伴い、平成18年からここ熊川神社の御祭神の一柱とされたことが書かれていました。

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↑いよいよ本殿ですが、覆殿の中とはいえ見ることが出来ました。

神様にお礼とお祈りしながらも、柱の隙間からさらに見させていただきます。

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文化財の説明板によりますと、熊川神社本殿は、一間社流、見世棚造で、奥側の一間の身舎と手前側の向拝と呼ばれる二つの空間から構成されています。

反対側からも見てみます。

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2018年6月 3日 (日)

東大和市にある都内最古で唯一の室町時代に建立された豊鹿島神社は都指定文化財

建築物の東京都指定文化財というと、大抵はどこかでは聞いたことのあるような有名なものが多くあります。

一覧を見ていて、私が失礼ながらよく知らなかった神社が東大和市にありました。

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↑旧青梅街道の芋窪の辺りから北に向かって行くと、その神社の鳥居があります。

右側ののぼりには「鳥居では一礼を」と書かれており、つい忘れがちですがその通りです。

参道を進み階段を上ると豊鹿島神社の社殿があります。

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この神社の本殿は文正元年(1466年)の造営とのことで、都内にある最古かつ唯一の室町時代の神社建築です。

↑前はよく理解していませんでしたが、今はいくつかの神社を巡ったのでわかってきた、こちらは拝殿です。

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↑後ろにあるはずの本殿ですが、大切な文化財といいことで覆殿の中にあるようです。

この覆殿も趣きのある建物です。

ですが、残念なことに本殿は全く見えません。

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隙間から見ることさえ出来なくなっています。

本殿は一間社流造で間口170.7cm、奥行152.4cmだそうです。

社殿の裏側は狭山丘陵の斜面となっており、急坂となっています。

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↑いくつかの境内社があるようです。

豊鹿島社は社伝によれば、文武天皇の慶雲4年(707年)に創建されたといいますから、奈良時代よりも前です。

かつては鹿島大明神でしたが、明治時代以降に「豊」のついた現在の名称になったようです。

境内社の中には、いくつもの鳥居が立っているものもあります。

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2017年11月19日 (日)

世界遺産である平泉中尊寺はさすがに観光客がいっぱいだが思った以上に急な登坂の先にある

平泉といえば、「仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群」として世界遺産に登録されています。

ここ岩手県平泉町に行くには、東北新幹線の一ノ関駅で東北本線に乗り換えて、2駅目が平泉駅です。

世界遺産を観光できるように駅前にいくつかのレンタサイクルがあり、3時間500円で借りられるようなので、これで巡るつもりで来ました。

しかし、非常に風の強い寒い日で、しかも休日は15分おきに巡回バス「るんるん」が走っていて、その一日フリー乗車券が400円ということなので、自転車ではなくバスに乗ることにしました。

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↑中尊寺までは歩いて25分ほどの距離といいますが、巡回バスは遠回りをするので10分ほどかかり下車し、表参道としての月見坂を登っていきます。

外国人の団体観光客を含め、非常に数多くの方々が来ているのですが、びっくりするほどの急坂でした。

この杉並木は江戸時代に伊達藩により植えられたもので、道幅などの様子は平安時代の頃と変わっていないといいます。

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↑急坂を上ると、弁慶堂がありますが、平泉というと源義経と弁慶の終焉の地としても有名です。

そういえば、入口山門の手前には大きな弁慶の墓もありました。

この弁慶堂は1826年(文政9年)に再建されたもので。正式には愛宕宮ですが堂内にある仁王立ちの弁慶像があることから弁慶堂と呼ばれているそうです。

この弁慶堂の辺りまで来ると、標高は中尊寺入口の34mから74mまで40mも高くなりいい景色が見られ、東物見とされています。

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中尊寺は、12世紀初頭、平泉に拠点を構えた奥州藤原氏初代清衡によって大伽藍が造営されました。

奥州藤原氏滅亡後、仏堂の多くが失われましたが、金色堂、経蔵、金色堂覆堂など6件の国宝・重要文化財建造物のほか、全盛期の遺跡が良好な状態で保存されています。

さらに参道を登り薬師堂などを通り過ぎると、右側の表門をくぐると本堂があります。

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↑この本堂はさほど古そうではないと見えますように、明治時代のものだそうです。

中尊寺は藤原清衡が建立したわけではなく、850年に慈覚大師円仁により開山されたものです。

藤原清衡が前九年・後三年の合戦で亡くなった命を平等に供養し、仏国土建設するためにに大きくされたものです。

仏国土というと聞きなれませんが、浄土というとわかりやすいでしょうか。

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↑峯薬師堂で、こちらは目の御利益があるということなので、ここでは目のお守りを購入しました。

この池には天然記念物のモリアオガエルが生息しているそうです。

少し進むと、讃衡蔵があってここでは拝観券(800円)が販売されており、建物の中には中尊寺の数多くの国宝や重要文化財が展示されています。

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この奥にいよいよ有名な中尊寺金色堂があります。

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2017年10月 9日 (月)

豊洲市場は敷地が広く一つの建物はとてつもなく大きいが、何もない空間もある

臨海副都心から自転車で豊洲市場に向かっていき、南側から新しく出来た富士見橋を渡ると、豊洲埠頭の敷地となります。

新しい豊洲市場の巨大な建物が見えてきます。

まず、右側に見えるのが「水産卸売場棟」です。

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マグロなどの水産物のせりをはじめとした取引が行われる場所です。

ここでは、見学者用デッキからマグロのせりを間近で見られるようになるといいます。

建築面積約49000㎡、延床面積約125000㎡、5階建です。

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↑道路を挟んで、豊洲埠頭の先端部は公園になっています。

埠頭全体をぐるっと囲むように、「豊洲ぐるり公園」として整備されています。

まだ、市場の建物の周囲には入れないので、ぐるりできませんが、敷地面積は約8.5haで、平成29年7月7日に一部開園しています。

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↑西に向けては東京湾となっていますから、レインボーブリッジがよく見えます。

↓公園の隣にあるのが、「水産仲卸売場棟」で、水産の仲卸店舗が集まる、豊洲市場で一番大きな建物です。

ここは、街の魚屋、寿司屋などが、水産物を仕入れに来る場所です。

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建築面積約70000㎡ 、延床面積約177000㎡ 、5階建です。

建築面積だけで7haですから巨大な建物です。

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↑まず最初に裏側を見た、道路を挟んだ向かい側の「水産卸売場棟」ももちろん巨大です。

これらの建物に謎の「地下空間」があると話題になりましたが、この大きさの建物を間近で見ると、地下ピット(地下空間)なしでこの建物が建つわけないなと感じられます。

その隣にあるのは「管理施設棟」です。

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東京都や各事業者の事務所をはじめ、都のPRルームや飲食店などが入ります。

建築面積約5500㎡ 、延床面積約24000㎡ 、6階建です。

十分に大きい建物なのですが、他の建物が巨大すぎるので小さく感じられます。

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↑水産仲卸売場棟のところに豊洲市場の正門と書かれていました。

↓閉鎖されていますが、中は当然に整備されています。

東京都により9月に地下ピットの床のコンクリート敷設工事の入札が行われましたが、4件では「1社入札」だったので、新たな方針により再入札となり、工事完了予定も来年6月上旬から遅れそうということです。

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この水産仲卸売場の端には、地下ではなく地上に不思議な空間があります。

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2017年5月28日 (日)

埼玉県内最古である室町時代建築の国指定有形文化財の神社建築物と落差12mの滝のある毛呂山町

JR八高線に毛呂という駅があり、ここは埼玉県毛呂山町になります。

駅西口には埼玉医科大学やその病院があり、のどかな風景の駅が多い八高線の駅の中では異色の存在です。

そんな毛呂駅東口には、小高い丘陵がありその上には「出雲伊波比神社(イズモイワイジンジャ)」があります。

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この丘は臥龍山といわれ、この神社には室町時代の1528年(享禄元年)建築の神社社殿があります。

神社に伝わる「臥龍山宮伝記」によれば、53年(12代景行天皇の時代)に日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が天皇から賜ったヒイラギの鉾を納め神宝とし、出雲の大己貴命(オオナムチノミコト)を祀りました。

さらに出雲の天穂日命(アメノホヒノミコト)とともに出雲伊波比神としたとされています。

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この拝殿は後ろ側から見ても美しいのですが、この右の奥にも、さらに建築物があります。

神話の時代を過ぎ、奈良時代の772年(宝亀3年)の大政官符によると朝廷から幣帛(神前に供えるもの)を受けた官弊社であったとの記録が残っています。

鎌倉時代には源頼朝が畠山重忠に造営を命じ、室町時代の1527年(大栄7年)に消失後、毛呂顕繁により再建されたのが現在の本殿といいます。

国指定重要文化財に指定されている埼玉県最古の神社建築です。

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↑裏側にあった建築物を囲いの隙間から覗くように見てみましたが、国指定重要文化財に指定されているのは、実はこの裏側にある本殿のようです。

毛呂町公式サイトではわからなかったのですが、文化庁公式サイトで確認できました。

この出雲伊波比神社では、流鏑馬(やぶさめ)も11月には行われているそうです。

ところで、拝殿正面に奉納されている流鏑馬の的のようなものには、瀬戸大也と書かれていました。

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無知なので、どこかで聞いたことのある名前だなあとしか思っていませんでしたが、その日の夜のニュースを見ていてびっくりしました。

オリンピック水泳のメダリストで、この日に婚約を発表していましたが、毛呂山町の出身だそううです。

この後、毛呂駅からは3~4km位の距離がありますが、見てみたい滝もあるので行って来ました。

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この日は車で来ており、途中までは広い県道ですが途中の毛呂山総合公園やゴルフ場のさいたまGCの辺りから狭い道となっていきます。

そうはいっても、すれ違える道幅はありますし、滝の近くには駐車場やトイレも整備されています。

↑そこからは細い宿谷川沿いを進みますが、遊歩道が整備されています。

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2017年5月 1日 (月)

川越で国登録有形文化財を見て回って、意外とよく知らなかった建物の平と妻、梁と桁、切妻造と寄棟造の違いを学ぶ

小江戸川越として観光地となってきている川越に、国登録有形文化財である建物を見に行きました。

↓本川越駅から北東方面にすぐのところ、左に写っているのが「旧鏡山酒造明治蔵」です。

川越市の産業観光館「小江戸蔵里」おみやげ処となっており、新築かとちょっと興ざめするほどにきれいに改修されています。

元の建物は、明治時代の土蔵造2階一部平屋建、瓦葺、建築面積418㎡で、南北棟の切妻造妻入で、桁行21m梁間20mです。

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実は用語がよくわかっていないので調べてみたのですが、建物の長辺側、屋根の最頂部である「棟(大棟)」と平行な面を「平(ひら)」といい、短辺側、屋根の棟(大棟)と直角な面を「妻(つま)」といいます、

正面出入口が平側にあるものが「平入」、妻側にあるものが「妻入」です。

↑右にあるのは「旧鏡山酒造大正蔵」で、同じく小江戸蔵里まかない処(レストラン)となっていますが、建物は大正時代の土蔵造2階一部平屋建、瓦葺、建築面積304㎡です。

切妻造で、桁行22m梁間14mです。

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↑奥に小さく見えているのは、「旧鏡山酒造昭和蔵」で、小江戸蔵里くら市場(地場野菜、総菜の物販)ですが、1931年(昭和6年)の土蔵造2階建、瓦葺、建築面積231㎡の建築物です。

東西棟で桁行25m梁間9.1mの切妻造です。

「桁(けた)」は建物最上部の大棟に対して平行方向(平側)にある水平材で、その長さを「桁行(けたゆき)」といい、「梁(はり)」は大棟や桁に対して直行方向((妻側)に掛かる水平材で、その長さを「梁間(はりま)」といいます。

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↑大正浪漫夢通りを少し北に向かうと、川越商工会議所がありますが、ここは「旧武州銀行川越支店」で1928年(昭和3年)の建築物で、鉄筋コンクリート造地下1階地上2階建,建築面積566㎡です。

外観はドーリス式の列柱を配した重厚な構え、全体の意匠はルネッサンス・リバイバル様式です。

バロック風の装飾を付けた特徴的な出入口を設けるなど,時代の特徴を伝える銀行建築の一つといいます。

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↑少し東に行くと、「日本聖公会川越キリスト教会礼拝堂」があります。

1921年(大正10年)の煉瓦造平屋建、スレート葺、建築面積138㎡、塔屋付の建物です。

立教大学新築のため来日したW.ウィルソンの設計により建設されたといい、確かに池袋でも見たことのあるような外観です。

東西に細長い切妻造・平屋建で,外壁煉瓦造,内部は挟み組み式の小屋組を見せ,尖塔アーチの縦長窓や控壁にゴシック様式細部を備えているそうです。

続いては、観光地である蔵が立ち並ぶ一番街通り沿いにある目立つ建物です。

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