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土木

2024年1月28日 (日)

治水橋の由来となった斎藤祐美の出身地である飯田新田のびん沼と対岸の萱沼の読み

橋の名前には地名が付けられたものが多いですが、荒川の治水橋はそうではなく、前から疑問に思っていました。

今回はその由来を調べてみました。

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前々回に取り上げた飯田新田の出身である斎藤祐美という人が関係していました。

名前からはじめ女性かと思いましたが明治時代の男性でユウビと読みます。

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厳密には江戸時代末期の慶応2年(1866)に、飯田新田で代々続く外科医の次男として生まれました。

明治23年(1870)荒川の氾濫で自宅付近が水没するのを見て、埼玉県議員となって水害から故郷を守ろうとしました。

↑当時の荒川の流れである、びん沼川を挟んで飯田新田の反対岸から見たところです。

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ちょうど前々回見た、荒川で分断された馬宮地区の、さいたま市消防団馬宮西分団のある辺りになります。

↑下流側を見ると、大きく左に曲がっていて、かつて暴れ川だった名残りが感じられます。

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旧荒川であるびん沼川が市境となっているので、さいたま市飯田新田と違い、こちら側は川越市萱沼になります。

大正15年(1926)に荒川が現在の流路として整備されましたが、市境はそのままとなっているからです。

↑萱沼びん沼公園として整備されており、沼というか池や芝生の広場があります。

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現在の荒川沿いの道路からの入り口が分かりづらいこともあり、あまり人がいないところが魅力です。

富士見市のびん沼自然公園が駐車場も含めて混雑しているのとは対照的です。

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2023年12月31日 (日)

水没する前提の狭山台図書館駐車場と狭山台団地の広い調整池

狭山市にある狭山台図書館は体育館やプールも併設されており、すぐ横には久保川が流れています。

通常流れている水はごく少量です。

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久保川は川越市を通り不老川へと流れる準用河川です。

駐車場があり、出入り口にはブースと遮断棒がありますが今は使われていないようです。

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ただし、入ってすぐのところには、ちょっと気になる看板が立っていました。

駐車場は下へのスリープで降りていくのですが、地形のためか半地下構造です。

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奥にはグラウンドのような広い空間が広がっています。

そちらから建物と駐車場を振り返れば、地下とは思えない一階部分です。

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駐車場から図書館や体育館へ行く階段には多くの警告板があります。

降雨時水没注意、この駐車場は降雨時水没しますなどと書かれています。

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狭山市ホームページによると、雨水調整池を利用した駐車場だということです。

その際は緊急放送するから車を移動させろとのことです。

場内には最高水位と記された表示があります。

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2023年10月22日 (日)

巨大で景色を見ることもできる荒川ロックゲートと歴史ある小松川閘門

都営新宿線東大島駅周辺では、荒川の右岸である西側すぐ横には旧中川が流れています。

その旧中川は荒川に合流するのですが、そこには大きな水門があります。

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荒川ロックゲートという名前の閘門になります。

コウモンという読みのイメージが良くないからではないでしょうが、荒川閘門ではなく荒川ロックゲートです。

6階建ての建物のように階段があり、昼間は上に登ることができます。

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↑いわば展望台から見ると、もともと水量も豊富な荒川ですが、河口間近でもあり川幅はかなり広いです。

閘門・ロックゲートは、水面の高さが違う二つの川で、船が通行出来るようにするための施設です。

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川と川の間に二つの水門を作って水位を調節し、水面の高さを同じにして船を通します。

↑門の高さは18.2メートルもありますから、通行のための水路はかなり下に狭く見えます。

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↑降りて改めて振り返ってみれば、水路幅は14メートルもあり12メートル幅の船が通れるようになっています。

先程登っていた荒川側にあるのが前扉となります。

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↑旧中川側が後扉で、こちらの高さは14.7メートルです。

荒川と旧中川は水面差が最大3.1メートルあるため船の往来が不可能となっていましたが、荒川ロックゲートの完成によって両河川は船で結ばれました。

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2023年9月 3日 (日)

完成した特別緊急事業であった不老川の富士見橋架け替え工事

早稲田大学所沢キャンパス付近の三ヶ島農協前交差点から北に向けて、入間市藤沢方面に行く浅間山通りがあります。

しばらく前から、その途中で橋の架け替え工事が行われていました。

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↑隣りに仮設橋が架けられて迂回するようになっていたのが、元の位置の橋が渡れるようになっていました。

老朽化による架け替えかと思っていましたが違うようです。

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不老川緊急治水対策としての架け替え工事です。

平成28年の台風9号による豪雨では、狭山市と入間市で甚大な浸水被害がありました。

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↑不老川下流方向を見ていますが、普段は水害が起きるような川とは思えません。

埼玉県で、平成29年度から令和4年度の6年間で行う不老川浸水対策特別緊急事業の一つが、この富士見橋の拡幅のための架け替えです。

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↑上流方向はしっかりした護岸が造られていました。

入間市で3時間に200ミリ超という降雨を記録したといいますから、この橋がボトルネックにならないようにする必要があったのでしょう。

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↑さらに、ここでは右岸側に流入する水路があるようです。

ここだけ暗渠になっていますが、すぐ上流は地上を流れている谷川です。

新しく完成した橋の下も、当然に護岸が造られています。

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2023年6月25日 (日)

四ツ谷駅前の四谷見附橋を見ることができる多摩ニュータウンの長池見附橋

多摩ニュータウンは計画的の造られた街なので、歩車分離されており人も車も通りやすくなっています。

機能優先ばかりな訳でなく、デザインの美しい橋がありました。

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京王堀之内、南大沢、小田急の唐木田駅の中間になります。

住所では八王子市別所2丁目辺りになります。

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長池見附橋といいますが、江戸城近辺でもない、こういった場所で名前に「見附」とついているのには、理由があるようです。

この橋は四ツ谷にあった四谷見附橋が移設されたものだからです。

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旧橋は撤去解体するのが惜しい、美しい橋であったため、この多摩ニュータウンの長池公園内に再架橋されたのです。

旧橋は甲州街道(国道20号)が、今のJR中央線を跨ぐのに架橋されたのは大正2年(1913)です。

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当時、国賓が東京駅や皇居から迎賓館に向かう際の通り道であることもあり、デザインにも力を入れたようです。

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旧四谷見附橋は平成3年(1991)に道路拡幅のため架け替えられました。

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2023年5月28日 (日)

多摩川にある九ヶ村用水取水口と昭和用水堰とその名の由来

多摩川左岸を上流から行くと、福生市熊川から昭島市拝島町との境界を越した辺りに、現在は使われていない樋管があります。

九ヶ村用水樋管で九ヶ村用水の取水口です。

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九ヶ村とは、現在は昭島市になっている拝島、田中、大神、宮沢、中神、築地、福島、郷地の各村と立川市になっている柴崎村のことです。 用水の樋管は明治44年(1911)に築造されたものです。

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九ヶ村用水は室町時代に用水路の原形が作られていました。

江戸時代の延宝元年〜8年(1673〜80)には完成したと言われています。

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↑昭和の初めには、多摩川の水量が減って取水が困難となったことから昭和用水堰が造られました。

昭和8年(1933)のことで、こちらは200メートルほど下流になり、手前側が取水口になります。

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水量が減ったといいますが、村山貯水池、山口貯水池である多摩湖、狭山湖が完成した時期であり、このために上流での取水量が増えたのでしょう。

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↑堰が造られたのは秋川と合流するところで、奥から流れてくるのが秋川で右からの流れが多摩川です。

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2023年4月 2日 (日)

調節池のすぐ近くでの想像していなかった川越江川による浸水被害とそのための調整池

平成10年(1998)には新河岸川の越水による3800戸もの家屋への浸水被害が発生して寺尾調節池は平成15年(2003)に整備されました。

この辺りでは被害はもう起きなくなったのかと思っていましたが、そうでもないようです。

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↑寺尾調節池のすぐ東隣りには川越江川が新河岸川に流れ込んでいます。

ややこしいことに、wikiで見ても埼玉県だけで江川は6つあります。

しかも、新河岸川支流だけで富士見江川、福岡江川、川越江川の3つがあります。

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↑樋門から上流側を見ても、右には堤防に囲まれた寺尾調節池があります。

その調節池があるというのに、平成29年そして令和元年の台風で寺尾地区では浸水被害が発生してしまいました。

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↑沿って500メートルほど歩きましたが、以前は蓋掛けされていて、それが壊れるほどの被害だったようです。

新河岸川増水時には逆流防止のため先程見た樋門は閉まってしまいます。

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↑寺尾調節池に沿って流れる川越江川は、ここから上流は暗渠として水が流れてきています。

寺尾地区では、新河岸川への樋門が閉まって行き場を失った江川の水により、内水氾濫が発生してしまったということです。

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↑ここには中島雨水排出ポンプ場がありますが、これ自体も冠水により作動停止してしまいました。

すぐ先に見えるのが寺尾調節池の南端です。

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2023年3月26日 (日)

新河岸川の増水対策として造られた13ヘクタールの寺尾調節池

各地で台風等の影響による水害はたびたび起こってしまっています。

新河岸川沿いの川越市とふじみ野市境界付近の寺尾地区に大きな調節池があります。

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寺尾調節池といい、面積13ヘクタールもあります。

平成15年(2003)に造られたもので、容量36万立方メートルあります。

↑南端から新河岸川の流れる北方を見ていますが、渇水期であるこの時期は水は入ってないようです。

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↑南西端から同じく北方ですが、川までの距離は450メートルほどあります。

災害時の保水だけでなく、自然環境の保護や地域住民の憩いの場となることも考慮したといいます。

1枚目の写真でも中央付近にニコニコ橋という木橋が架かっています。

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周囲は散歩やジョギングできるように距離表示もあり、一周1820メートルあります。

↑新河岸川土手沿いには、こんなところに一軒家かと思うような建物があります。

もちろん、家ではなく寺尾調節池排水機場です。

大雨時に調節池に入った水を通常時に川に戻すための施設です。

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↑土手から調節池を見ると、ここには少し水が溜まっているようです。

右が新河岸川上流ですが、まず調節池からの水流出口があり、下流である左に水の流入口があります。

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2023年1月 1日 (日)

隅田川沿いの東京都心部を洪水から守る新旧の岩淵水門を見るとともに荒川の水位の高さも知る

東京メトロの地下鉄南北線の終点である赤羽岩淵駅に初めて行きました。

埼玉高速鉄道の浦和美園駅まで直通する電車がほとんどだということもあるのでしょう。

地下鉄の比較的新しい駅によくあるパターンの名称である赤羽と岩淵の境界にある駅です。

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↑荒川にはほど近く、岩淵水門、正確には旧岩淵水門に行くことができます。

この水門は大雨などによる大量の水が隅田川に流入するのを防ぎます。

水中にある柱のようなものは、昭和2年(1947)から観測してきた荒川の水位の記録を示しています。

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一番上にあるのが昭和22年(1947)のカスリーン台風の時の8.6メートルで、次が昭和16年(1941)、3番目が昭和33年(1958)狩野川台風時の7.48メートルです。

割と昔はダムもないし洪水も多かったのかなと思ってはいましたが、5番めを見て驚かされました。

令和元年(2019)10月の台風による7.17メートルという水位の記録があるのです。

そういえば、ニュースでも荒川第一調節池などが満水になった映像を見た気がしますが、それでもここまで水位が高くなっていたとは驚きです。

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荒川は、江戸時代初期の元荒川から入間川の流路に背替えされましたが、昭和初期まで下流部は今の隅田川の流路に流れていました。

今の荒川下流域は人工の河川で「荒川放水路」と呼ばれていました。

明治43年(1910)洪水による荒川流域の大きな浸水被害を契機として、荒川下流改修計画が策定され、荒川放水路約22キロが造られました。

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旧岩淵水門は荒川放水路ができたときに、放水路と旧河道(隅田川)との分派点に設けられた水門です。

大正5年(1916)から5年をかけてパナマ運河建設にも関わった青山士による監督で建設され、昭和30年代の改修で赤く塗り替えられてからは赤水門と言われています。

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↑赤水門の老朽化、地盤沈下対策、また洪水調整能力を強化するため、昭和49年(1974)に着工し昭和57年に新水門を300メートルほど下流に造られました。

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2022年5月 1日 (日)

天の川排水機場、なぐわし公園の名前の由来と鯨井のヒイラギ

水路の水は通常は川に流れ込んでいきますが、大雨で川の水位が上昇すると、逆流して内水氾濫を起こすことがあります。

それを防ぐために、ポンプで水路の水を吸い上げ川に流すために排水機場が設けられます。

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飯能市、日高市から川越市を流れ、越辺川、入間川に流入する小畔川沿いにもあります。

↑天の川排水機場という名前に惹かれ来てみました。

川越市の個別施設計画によると、昭和59年(1984)稼働で旧耐震基準による建物ですが耐震診断の結果は大丈夫だっただそうです。

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↑小畔川左岸に天の川排水機場があり、奥には田畑用排水樋管が見えています。

準用河川天の川の排水機場であると市の計画には載っていましたが、樋管名はグーグルマップでは田畑用排水です。

どちらも魅力的な名前なのですが、その名の由来はわかりませんでした。

そして、すぐ上流手前にある精進場橋もいい名前ですが同様でした。

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↑その橋上流手前の右岸側には、川越市資源化センターとその調整池があります。

調整池の貯水量は4.7万立方メートルあるようです。

公有地の有効活用と太陽光発電の普及促進のため、太陽光モジュールが2834枚設置され708キロワットの出力があります。

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川越水とひかり太陽光発電所といい、民間事業者が設置運営して売電により川越市に借地料を払っています。

市としても資源化センターの屋根に167キロワット分の太陽光発電システムも設置しています。

調整池にはこうした人工構造物があるだけでなく、水鳥も休んでいました。

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この資源化センターは古くからあるわけではなく、新清掃センターとして建設され平成22年から本格稼働し始めたところです。

隣には仮称川越西公園が計画されていて、なぐわし公園として開設されました。

なぐわしという名前が不思議でしたが、後程調べていて少しわかってはきました。

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