月の岬といわれ華頂宮邸があり4000年前の遺跡もある三田台
前回見て来た亀塚公園は海側からは20メートルほど高い位置なので、東側には長い階段があります。
江戸時代までは下った先の東海道際が海だった訳ですから、眺望が開けていました。

かつては観月の名所として知られ「月の岬」といわれていたところです。
亀塚公園の西側の塀は公園らしからぬもので違和感があります。
港区立公園なのですが国有地を借りていると表示されてもいます。

ここは華頂宮邸があったところなのでそうです。
華頂宮家とは、明治維新期に四つあった皇室宮家の一つである伏見宮家の伏見宮邦家親王第十二王子、華頂宮博経親王により創設されたものです。

↑東へ下りた先には旧東海道、今は国道15号沿いに御田八幡神社があります。
高輪崖線斜面に向けての石段があります。
平安時代に指定された延喜式式内社のうち武蔵国荏原郡では二社が載っています。

式内社は平安時代の延長5年(927)にまとめられた延喜式神名帳に記載された神社です。
これも1100年前のものです。

荏原郡は、現在の品川区、目黒区、大田区辺りですが、江戸時代より前は港区や中央区も含まれていました。
御田八幡神社はその一社である稗田(草冠に稗、ヒエダ)の論社となっています。

↑再び階段を上り高台に戻ると、亀塚公園とは住宅を挟んで三田台公園があります。
ここも華頂宮邸敷地だったところですが、港区立公園になっていますが区内で唯一の遺跡公園です。

上の写真で後ろにあるNTTデータ三田ビルでは4000年前の伊皿子貝塚が発掘されました。
↑その貝層断面が剥離保存されています。

↑縄文時代の復元住居もあります。
これも伊皿子貝塚遺跡で発掘されたものです。
江戸時代に徳川家康によって整備されるまでは江戸は荒地だったとはいわれますが、1100年前、4000年前にもこうしてここでの人々の営みはあったことがわかります。

↑これらの西を通る聖坂は、田町から高輪に入ると二本榎通りとなり、さらに南西には旧高松宮邸、高松皇族邸あります。
ここは仙洞御所として令和2年から4年まで上皇上皇后の御仮寓所となっていました。

↑さらに西は国道1号の通る白金高輪駅のところが谷で低くなっているのに、白金台に向けて再び高くなるという地形です。
現在は東京都職員白金住宅が解体されて見通しがいいですが、ここに都立新国際高等学校が建設されるということです。
.
.
.

























































