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水道水の流れ

2022年10月23日 (日)

市立公園やトトロの森だけじゃない多摩湖北側おさんぽコースの奥の深さ

所沢市ホームページに10のおさんぽコースが載っています。

そのうちの、狭山湖とトトロの森コースを一部歩いてみました。

Osanpo

西武球場前駅から下山口駅まで大回りするので9キロ程の道のりがあります。

狭山湖やトトロの森1号地などは何回か行ったこともあるので、逆向きに下山口駅から行きたいと思います。

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↑しばらくは住宅地の中の舗装された道路を進みますが、途中からいよいよ南方に向けて土の登り道になります。

狭山丘陵で、開発されたところとは景色が一変するのが面白いところです。

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↑急に展望が開け広場になっています。

まずは目指していた「見晴らしのよい丘」に到着です。

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↑「まちなみと狭山湖の堰堤が見える」とありますが、ちょっと想像とは違いましたが嘘ではないです。

その通りではあります。

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ほぼ反転するように北西方向に斜面を下っていくと、再び舗装された道路になります。

地図にもあった栗原しいたけ園は、その名の通り椎茸狩りができるようです。

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↑ルートからは外れますが、南向きに湿地帯にセットされる木道のようなものがあります。

小川が流れており、いい感じのところです。

少し進むと堰堤のようなものがあります。

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直進はできないようなので、回り込んで左側から見てみました。

アースダムのような形ですが、ため池でもなさそうだし、土石流のための砂防ダムとも思えません。

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↑上部は歩けるようにも見えますが、先が木に隠れて進めなさそうです。

ここでは諦めて、地図のルートに戻りました。

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2019年9月 1日 (日)

利根川の水を東京都の水道水に利用できる仕組みとしての利根大堰

東京都の水道水というと、都内にある奥多摩湖や多摩川のイメージが強いですが、実際には違っています。

多摩川水系は全体の2割ほどで、荒川や利根川水系が8割ほどを占めています。

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↑その利根川の水を利用するために利根大堰があります。

埼玉県行田市と群馬県邑楽郡千代田町の境界にあります。

太平洋の利根川河口からは154キロの地点と言います。

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確かに以前は多摩川に大きく依存していた東京の水ですが、昭和の高度経済成長期から増えていく水需要に応える必要が生じていました。

そこで昭和38年(1963)に利根導水路計画により、利根川の水を利用することとなりました。

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↑利根川右岸側にある取水口を堰の下から上流に向けて見てみると、川幅も取水口も広いです。

この計画により、昭和40年(1965)に武蔵水路が完成し、昭和43年(1968)に利根大堰も完成しました。

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↑堤防となっている土手の下を潜って、それぞれの水路に流れていきます。

これの無かった、前回の東京オリンピックが開催された昭和39年(1964)は、東京砂漠と言われるほどの渇水に東京は直面して大変だったそうです。

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↑奥に見えていた水路を横断する道路から取水口の方を振り返って見ると、「須加樋管」と書かれています。

↓ここから南に向けてはいくつもの水路に分かれていきます。

水資源機構の利根導水総合事業所のHPによると、利根導水路事業の目的は大きく3つあります。

右から「見沼代用水路、武蔵水路、埼玉用水路、邑楽用水路」と書かれています。

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2018年3月 4日 (日)

埼玉県にあるのに東京都の朝霞浄水場から都内への水道管のシールドトンネル工事が行われていた

JR武蔵野線北朝霞駅からちょっと北に行くと、東京都水道局の朝霞浄水場が見えます。

でも考えてみれば、朝霞市は埼玉県のはずです。

ちょうど都県境が複雑に入り組んでいて、浄水場の敷地は都内なのかとも考えましたが、清瀬市、東久留米市、西東京市、練馬区みな遠すぎてあり得ません。

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↑行ってみれば(行かなくてもわかりますが)、やはり埼玉県朝霞市宮戸です。

ここは荒川の秋ヶ瀬取水堰からの水を浄水し、東京都の水道水としています。

高度浄水処理で安全でおいしい水をつくっていますと書かれていました。

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↑その高度浄水された水をここでは飲むことができます。

近頃は水道施設ではテロ対策のため警備が厳重ですが、さすがにこの水飲み場は門の外にあるから誰でも飲めます。

暑い日だったせいかもしれませんが、水道水とは思えないほど、冷たくてとても美味しい水でした。

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↑この浄水場の前の道は歩車分離されているだけでなく、自転車道も分離された形態です。

埼玉県道は、歩道を歩行者用と自転車通行用に区分された道が多く、自転車でも走りやすいです。

ただし、歩道中央に白線を引いて左右に色分けしただけの道だと、なぜか自転車通行帯を歩いている歩行者が多く、むしろより危険なこともあります。

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↑朝霞浄水場から朝霞市膝折地内間送水管(2600mm)用トンネル築造工事と書かれた看板があります。

2600mmといえば、つまり2m60cmですから、市内の水道管としては結構太いです。

奥にはシールド工事の立坑らしき囲いも見えます。

ちょっと興味が湧きました。

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2017年9月17日 (日)

やんばツアーズの八ッ場ダム工事現場見学会はとてもいいし、また行きたくなる

前回の続きで、国土交通省による現場見学会での八ッ場ダム建設工事の様子です。

現場を案内してくれるのは工事現場の厳ついおじさんだと思っていましたが、「やんばコンシェルジュ」という名称の上戸彩に似た若い女性です。

しかも、めちゃくちゃ知識もあり、土木のことも詳しくて、資料も見ずに解説してくれます。

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↑何しろ大規模な工事現場ですから、ダムを造るためのコンクリートを運ぶケーブルクレーンのワイヤーのアンカーも大規模です。

平成28年6月からコンクリート打設工事が始まっているようです。

ワイヤーを間近にしながら、細い通路を進むと、目の前が工事現場です。

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↑こちらは右岸で、向こう側が左岸になり、ここは堤高116mのダムの天端の高さとなるようです。

堤高は利根川水系ダムでは8番目だそうで、現在は3割程度の高さにまで工事が進んでいるとのことです。

吾妻川は左から右へと流れており、重量式コンクリートダムの形が左岸側にちょっと見づらいですが青い線で引かれています。

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↑ここには生コンクリート工場があり、原石山から約10kmにもわたって、石の大小で3種類に分別されてベルトコンベヤーで運ばれてきた骨材が水とセメントを混ぜられて、コンクリートとなります。

そのできたてコンクリートが黄色いバケットに入れられています。

コンクリートは2つのルートで下の現場に運ばれているようです。

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↑左のクローラクレーンはこのコンクリート打設には使われていないようで、ケーブルクレーンで運んでいます。

ケーブルによりバケットは手前に動いて来るとともに、下に降りて行きます。

中央の下の方に向かってバケットが動いています。

ダムの堤頂長は290.8mになりますから、このケーブルも長いです。

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↑バケットは下まで着くと生コンクリートは、いろいろな方向に動けそうな不思議な形をした重機に載せられます。

こちらは主に手前側での作業に使われているようです。

工事が始まったころはもっと低い位置で、堤高116mもの高さ、今でも80m位の長さがあるわけですから、よくクレーンを操縦できるものだと感心します。

このコンクリート運搬にはもう一つのルートがあります。

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↑左岸の壁に沿って、コンクリート工場からクレーンを使わずに、直接ダンプトラックに流れ込むような仕組みもあります。

奥ではそのダンプに積み込んでおり、手前ではダンプから降ろしているのが見えます。

ビルの建築現場で見るようなサラサラしたコンクリートとは全く違い、こうしてダムで使用されるコンクリートはドロドロです。

水分はコンクリートのヒビ割れの原因となるので、極力水とセメントを少なくして、骨材をなるべく多くしているからだそうです。

それでもヒビ割れを全く無くすことは難しいようで、先日テレビで見たその対策も目の前で見ることができました。

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2017年8月 6日 (日)

相模原沈殿池の水は横浜水道みちを流れてきたのではなく、相模原浄水場も関係なかった

前回見てまわった、相模原市を横断している「横浜水道みち緑道」は、明治時代に日本初の近代水道として引かれたところでした。

県立相模原公園のすぐ近くの、この水道道の近くには貯水池のようなところがあり、「相模原沈殿池」と名付けられています。

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ダム便覧にも記載されており、堤高19.5m、堤頂長255mもある立派なダムといえます。

相模原公園の北側に位置し、アースダムの美しい芝生が広がります。

北東方面を見ています。

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取水口らしきものがあります。

北西方向を見てみると、横幅の2倍程度の奥行きがあるように見えます。

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この水は横浜水道みちを流れて来た水を一旦ここに貯め、水道水としてりようするため沈殿させる施設なんだろうと思っていました。

しかし、この沈殿池ができたのは1954年(昭和29年)ですので、1887年(明治20年)にできた横浜水道よりもこちらの方がずっと新しいものとなります。

ちょっとネットで調べながら、全体の様子を見に一周歩いてみました。

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↑半時計回りに半周、北東の端まで来てみると、北西の端に水道施設らしきものがあるようです。

↓沈殿池の北側は住宅もある普通の道路となっていました。

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調べてみると、この水は津久井湖手前の沼本ダムからの取水され、地下の水道管を通って流れて来たものを貯めているようです。

津久井分水池、下九沢分水池を経由して来ており、横浜水道みちとは全く別ルートということです。

横浜市水道局公式サイトにあった「水源系統図」を見ると、津久井湖から川井浄水場まで2本のラインが引かれています。

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2017年7月30日 (日)

県立相模原公園を通り相模原市全体を斜めに横切っている水道みちは横浜まで続いている

相模原市の地図を見ていると、中央区と南区を大きく斜めに北西から南東方向に向かってほぼ真っ直ぐに進む道があります。

こうした形状は多摩湖自転車道などでも見かける、水道を通すための用地なのかと思われます。

自転車で走ってみて確認したいものですが、30℃以上と暑い日に車で県立相模原公園まで行きましたから、この水道みちを下見を兼ねて徒歩でちょっと見て来ました。

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↑南北が逆の公園内の案内地図ですが、右下から上に向けてさらに公園上部を左に向けて「水道みち緑道」が通っており、それが地図上部中央辺りにも記載されています。

その公園を南東に出た先は女子美術大学の敷地になりますが、その中もこの水道みち緑道が突き抜けており↓、さらにその先の市立相模原麻溝公園も突き抜けていきます。

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確かに「水道みち緑道」との標識がありますし、歩行者専用通路とも書かれています。

歩行者専用ということは自転車は通れないということなのでしょうか。

県立相模原公園内の方に戻って、北西側に向かってみます。

木々の間の道となり、「夜間この園路の利用は危険なので通行をご遠慮下さい」と書かれてあります。

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そう言われると昼でもちょっと緊張しますが。確かに薄暗いところではあります。

上流である北西方向に進んで行きますが、振り返って見ると、相模川の河岸段丘のためか結構な下り坂となっています。↓

ということは、相模川からの水がここに流れているのだとしたら、水にとっては辛い登り坂です。

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この先は県道52号相模原町田線を横断しますが、自動車通行量が多い道で、少し迂回して横断歩道を渡ります。

この道の西側も相模原公園なのですが、こちらは「水と緑と人のふれあい空間づくり」をテーマに造られた「せせらぎの園地区」となっています。

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すぐ横を流れる道保川に沿うような位置にあり、いくつかの池などが整備されています。

さらに、この公園に沿うように水道みちも続いていきます。

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2016年1月31日 (日)

そもそもダムとは何のことなのか、狭山湖(山口貯水池)はダムなのか、だったら名前は

前回も見てきましたように、埼玉県所沢市、入間市にある「山口貯水池」は、多摩川からの水を地下の導水管で運んできて、東京都民の水道水として利用するために、貯えておくためのその名の通り、貯水池でした。

その名前も当初、多摩湖と呼ばれていたものが狭山湖となったとのこともわかり、驚いたことです。

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ところで、この狭山湖(山口貯水池)はダムなのでしょうか。

狭山ダムとか、山口ダムという名称はあまり聞いたことがありません。

隣りの多摩湖(村山貯水池)も、多摩ダムとか、村山ダムとは聞きません。

そもそも「ダム」とは何なんでしょうか。

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「ダム湖百選 狭山湖」と書かれたプレートがありました。

ダム湖百選とは、所在する地方自治体首長の推薦を受けて、一般財団法人ダム水源地環境整備センターが認定したダム湖です。

狭山湖が「ダム湖」として認定されているということは、ここにあるのは「ダム」ということになります。

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ダムというと、川の水を堰き止めて貯めているものかと思われます。

ここではぐるっと1周しても13kmほどの範囲の、柳瀬川の源泉としての水源であるといえなくもないですが、実際には大部分は、よそ(多摩川の小作取水堰)から運んできた水が貯められています。

そもそも、ダムの定義はどうなのでしょうか。

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↑この狭山湖の堤体をこうして、のどかな田園風景の中で下から見上げると、きれいに整備された小高い丘がある公園という感じです。

日本ダム協会HPにも解説はありましたが詳しすぎるので、宮島咲著「ダムマニア」によると、河川の流水を貯留し、または取水するため、河川管理者の許可を受けて設置する構造物で、基礎地盤から堤高までの高さが15m以上のものをいうとあります。

噛み砕いて、水を溜めたり取ったりするために、川を堰き止める高さ15m以上の施設とありました。

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施設の土木構造物が「ダム」なので、湖は「ダム湖」です。

その水が自然に流れてきた川の水なのか、川から導水管で運んできた水なのかは、特に問題視されていないので、山口貯水池(狭山湖)にあるこの構造物は「ダム」に入ることになりそうです。

では、ダムという視点で、ここを見てみましょう。

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2016年1月24日 (日)

狭山湖の水は周辺に降った雨水なのかと山口貯水池はいつから狭山湖といわれるようになったのか

多摩湖自転車道はよく走る道で、3年半前には多摩湖の様子をこのブログでも紹介しましたように、自転車乗りにとっては割となじみのあるところです。

狭山湖はそのすぐ隣ですが、周回コースが未舗装ということもあって、あまり行く機会はありません。

柳瀬川の源泉を探してこの狭山湖に来て以来、1年ぶりです。

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↑狭山湖堤体の上から、柳瀬川の源泉らしきところを見下ろしています。

最近ダムめぐりを始めてから、改めて考えてみると、ここは不思議な湖です。

ダム湖の水は周辺の山々に降った雨水が貯められていますが、狭山湖の周りには狭山丘陵はあるものの、それほどの広さではありません。

尾根道を13kmほどで一周できるのですから、ここに降った雨水がこんなに貯まるとは考えられません。

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↑狭山湖の湖面方向を見ていますが、すぐに答えは見つかりました。

多摩川の水を、羽村市にある小作取水堰(一部は羽村取水堰?)から地下の導水管で運んできて、ここに貯えているのです。

明治42年(1909年)に東京市の水需要の増加に備えて調査を依頼された中島博士が、多摩川の水をこうして貯水池に貯え、安定的に浄水場に水を供給しようと計画を策定したとのことです。

明治時代とは、ずいぶん前に計画されたものだと驚かされます。

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もう一つ疑問が浮かびます。

狭山湖(正しくは山口貯水池)は埼玉県の所沢市、入間市に位置するのに、東京都水道局が管理して東京都民の水として利用されていることです。

狭山湖堤体から見える西武園ゆうえんち観覧車(左)と西武プリンスドーム(右)に沿って、多摩湖があることが鍵のようです。

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都水道局HPによれば、東京都東大和市に位置する多摩湖(正しくは村山貯水池)が、まず、大正12年と昭和元年に完成しています。

さらに増加する水需要に応えるため、第二期工事として、狭山湖は昭和2年に着工し、昭和8年に完成しています。

東京都内の村山貯水池(多摩湖)が完成した後、セットのように隣接した、埼玉県側の柳瀬川の渓谷に山口貯水池(狭山湖)は計画され造られ、そのまま東京都管理となっているようです。

柳瀬川の渓谷といっても、そんなに大きな川ではないので、元はどんなところだったのでしょうか。

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2015年11月22日 (日)

秋ヶ瀬取水堰は何のためにあるのかと調整池の越流堤をやっと見つけた

三連休だというのに遠出もせず、また荒川の秋ヶ瀬周辺にやってきました。

前回の左岸(さいたま市、戸田市側)ではなく、今回は右岸(志木市側)です。

秋ヶ瀬橋のちょっと上流に「秋ヶ瀬取水堰」があります。

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この堰は荒川の川の流れ全体に造られており、良く見ると、左の端(河川管理的には右岸)は水が流れるようになっていて、水面の高さに2.5mほどの高低差があります。

ですから、船はここを通ることはできないようです。

玉川上水の上流を見に行った時の、多摩川の羽村取水堰とは様子が違います。

水を取る堰なのだから取水堰ですが、その取った水の流れは見えません。

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↑でも、そのすぐ手前の上流に取水口があります。

宗岡取水口という名前で、ここから朝霞水路という暗渠を通って水は流れています。

この水は朝霞浄水場などで東京都の水道用水、工業用水、隅田川の浄化用水に使われています。

浄化用水というのは何なのか調べてみると、この水を新河岸川に流し、隅田川の浄化に役立てているとのことです。

また、さらに上流では埼玉県の大久保浄水場による水道用水にも使われているそうです。

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↑この取水堰、取水口周辺は立ち入り禁止になっています。

水資源機構HPによると、秋ヶ瀬取水堰の最大取水量66109㎥/Sのうち、東京都都市用水29824㎥/S、埼玉県都市用水19885㎥/S、浄化用水23400㎥/Sとの内訳になっているようです。

意外と浄化用水の比率が高いです。

↓これらの施設は橋で繋がっており、それは500mほど離れた荒川土手まで続いています。

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高いところにあるし何だろうと思いましたが、平成11年に洪水で荒川第一調節池が治水機能を果たした時の様子から考えてみれば、私に今立っているところは洪水時には水没してしまうわけです。

職員がこの堰などを調整するためにここに来るためには、こうした管理橋が必要なのでしょう。

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↑朝霞水路は暗渠といえども、荒川が洪水の時には水が大量に流れ込んで危険だからか、荒川土手のところに水門があります。

↓荒川土手(右岸堤)に上がって見ると、右奥に秋ヶ瀬取水堰と宗岡取水口が見え、ここから水門に行くための管理橋もあります。

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洪水になって、ここ全体に水が大量に流れ込んでいる様子は想像がつきませんし。見るのも怖そうです。

治水といえば、前回に来たとき見つけられなかった荒川からの洪水が荒川第一調整池に入り込む「越流堤」が、こちら側からなら見ることができるでしょうか。

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2014年11月 2日 (日)

玉川上水終点の四谷大木戸付近と新宿御苑の美しい門衛所

江戸時代に造られた玉川上水の羽村取水堰へは、昨年GWに自転車で見に行きましたが、今回は終点の四谷大木戸付近に行きます。

※ 羽村取水堰への旅の記録は、こちら

といっても、今回は自転車ではなく、新宿から歩いていきました。

下流部のこの辺りの玉川上水は暗渠化されていますが、新宿御苑の散策路には「新宿御苑・内藤新宿分水散歩道」が整備されており、水路もあります。

デング熱対策対策での閉鎖も解かれていました。

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水路が作られ水が流れていますが、これは玉川上水の流れではなく、この下を通る国道20号線の新宿御苑トンネルの共同溝に湧出する地下水だそうです。

玉川上水は、羽村取水堰から四谷大木戸まで約43kmという長い距離を、標高差92mという緩勾配に、巧みに尾根筋を利用して自然流下式で設置されたとは、1650年代には素晴らしい土木技術があったものだと感心します。

少し歩くと、昭和2年に建てられた新宿御苑の旧新宿門衛所です。

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裏側から見てみると、独特のデザインと不思議な質感の壁です。

こんな門衛所があるなんて、やはり明治12年には宮内省所管の新宿植物御苑、明治39年には皇室の庭園としての新宿御苑だったという歴史を感じられます。

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現在の新宿門は、ここより新宿駅寄りにあり、ここを通っても新宿御苑には入れません。
新宿御苑は、江戸時代には高遠藩内藤家の屋敷があり、その庭園の池にも玉川上水の分水が引かれていたようです。

ここからはより木がうっそうとしており、散策路を歩いていきますと、

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わずか540mで終わりで、旧大木戸門衛所があります。

四谷大木戸という江戸時代の甲州街道で江戸に入るための関所の名前が、新宿御苑の門の名前にもなったようです。

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ここも裏から見たほうが趣のある建物です。

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