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庭園

2024年7月28日 (日)

入間市の豊泉寺にある庭園とそれを造った茶藤翁

入間市の加治丘陵の東南端あたりに豊泉寺があります。

曹洞宗の寺院で、創建は戦国時代の天文元年(1533)と伝えられます。

開基は小田原北条氏の家臣で金子領主の豊泉左近将監です。

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松龍山豊泉寺といい、境内裏一帯が樹齢数百年の古松で龍のような形をしているため、その名を松龍山と唱え、寺名を豊泉寺と称したと伝えられています。

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ここには庭園があるということで来てみました。

本堂の裏側に造られた禅宗式庭園で、明治時代に地元根岸の庭師水村藤四郎によって造られたものです。

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水村藤四郎は当初から庭師であったわけではないようです。

父の茶業を継ぎ、茶の製法研究と品質向上に努め、根通り茶独特の「ちらしより」いう技術を開発しました。

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後年造園業に転じ、東京に出て多くの造園に携わり、帰郷後も作庭にあたったということです。

茶業と造園業という別々の道で実績を残すという見習いたい人です。

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2020年11月 1日 (日)

王子の4つの滝に期待したがちょっと残念だった名主の滝公園とそこにいたカワセミ

北区王子に「名主の滝公園」があります。

王子村の名主「畑野孫八」が自邸に開いたのが始まりで名前の由来もここから来ました。

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それが江戸時代の安政年間(1854~1860)であると北区公式HPにあり、そこにあるリンクのパンフレットには寛永年間(1848〜1854)となっています。

明治時代以降の感覚と違い、この頃までは一つの年号が短いのでどちらにしろ江戸時代の終わり頃です。

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同じくパンフには、近世末期には庶民にも開放され、将軍も鷹狩りのついでに立ち寄って休息するなどその名が広く知れ渡るようになったとあります。

明治元年が1868年であることを考えると、幕末もイメージが変わります。

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池のある回遊式庭園ですが、江戸百景の庭園として整備されたのは、明治の中頃で、垣内徳三郎の所有になってからで、明治時代の造園方法を残しているそうです。

武蔵野台地の突端である王子近辺には滝が多く、かつて「王子七滝」と呼ばれる7つの滝がありましたが、「名主の滝」だけが現存する唯一の滝となっています。

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↑王子駅から徒歩10分程度でまず最初に見た薬医門から入ると池があり、案内図では手前の木橋は池の中のはずですが、水がありません。

この辺りは台地と低地の間で、かなりの高低差のある土地ですから湧水はあってよさそうなところです。

渇水期ではないはずですが、奥にあるはずの滝も心配になります。

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↑「女滝」がある場所でその表示もありますが、水は流れていません。

ここには4つの滝があり壮大であるとパンフレットにも書かれています。

他の滝も見てみます。

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2019年12月22日 (日)

ヘリテージとプレステージの2ブランドとしてThe Okura Tokyoになったホテルオークラとそこにある庭園

ホテルオークラといえば、日本を代表するホテルの一つです。

それが2019年9月に「The Okura Tokyo」に生まれ変わったといいます。

海外を中心に展開していた「オークラ プレステージ」ブランドと新たに創設された「オークラ ヘリテージ」ブランドの2つのブランドを一体で運営するショーケースとなるホテルだということです。

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↑左が「オークラ ヘリテージウイング」で、17階建に140の客室があります。

右が「オークラ プレステージタワー」で、41階建に368の客室があります。

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↑高層棟であるこちらの客室は28階以上に配置され、その下はオフィスとなっています。

一方、中層棟のヘリテージウイングの方は、日本の美のエッセンスで創り込む唯一無二のラグジュアリーホテルということで、オフィスとの併設ではないというこだわりがあるようです。

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2.6ヘクタールの敷地面積のうち1.3ヘクタール余りを緑地・庭園としました。

ホテル庭園というと、2年前に見てきたホテルニューオータニ庭園が有名ですが、こちらにはオークラ庭園が整備されました。

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滝、池、湿地などの水の動きや流れを石や砂利を用いて「水の道」として、枯山水の庭園としたといいます。

竹林の間の通路は、プレステージタワーのオフィスの入口へと繋がっていました。

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同じプレステージタワーの宴会場ロビーへは別の入口となっています。

そのロビーからは庭園が目の前に見られるようになっています。

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2019年5月 6日 (月)

数多くの花咲く智光山公園の都市緑化植物園にあるハンカチの木

狭山市にある埼玉県立智光山公園は非常に広大で、面積は53.8ヘクタールもあります。

アカマツ、コナラ、クヌギなど武蔵野の豊かな自然をそのまま生かして作られた大規模な都市公園となっています。

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↑東京ドーム11個分の広さですから、池もあれば林もあるのですが、それだけではありません。

体育館やテニスコート、キャンプ場、釣り場などの施設もあります。

さらに動物園と植物園もあります。

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↑その狭山市都市緑化植物園に、ハンカチの木があり開花しているというので見に来ました。

花の形がハンカチのように見えるということでしょうか。

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そのすぐ下にあるキンキャラという低木は、花ではありませんがキレイです。

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ここまで来る途中の道路にもツツジがキレイに咲いていましたが、ここにあるツツジは色が違います。

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花壇には色とりどりの花が咲いていて、一つひとつ紹介しきれません。

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私のように花の名をよく知らない者向けに、できれば全ての花の名称を表示して欲しいものです。

別の場所では、大きな花の咲いた前で写生をしている人がいました。

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2018年4月 1日 (日)

ヒツジのモニュメントや洋館がありベルモント公園という名の不思議な公園が足立区役所近くにある

足立区役所に何度か行ったことがありますが、北千住駅からの都バスがいつも大変混雑しています。

東武スカイツリーライン梅島駅からも12分ほどでいけるようなので、歩いて行くこととしました。

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↑ルートを知るために地図を見ていると、足立区らしからぬ不思議な名前の公園があったので立ち寄ってみました。

エドモント公園といい、名前の通りに雰囲気も異国情緒があります。

ここはペットも自転車も持ち込み禁止と書かれています。

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↑東京ではソメイヨシノが満開の時期とはいえ、ここは洋風で一本もないのですが、梅島駅から行く南側入り口近くではベニバスモモが咲いています。

知りませんでしたが、ソメイヨシノもベニハスモモも、同じバラ科に属しているそうです。

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↑なぜかヒツジが可愛く並んだモニュメントがあります。

ここは足立区と西オーストラリア州ベルモント市との友好親善のシンボルとして作られた公園だということです。

何だろうと思っていた、ベルモントという名前は都市名だったということです。

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↑オーストラリア原産の木々が多数植えられており、ブラシノキです。

花の形が、コップやビンを洗うブラシに似ていることからこの名前が付いているのですが、開花は5月から6月ということで見られませんでした。

また、ベルモント公園はバラの名所だそうで、北側から東側の外周を中心に45品種79株のバラが植えられています。

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こちらも見頃となるのは5月から6月上旬ということで、残念ながら咲いていません。

トゲばかりが目立ち、痛々しい?イメージなので、咲いている花を探します。

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2017年12月10日 (日)

江戸時代から400年以上の歴史のあるホテルニューオータニの庭園にある高価な石や滝

ホテルニューオータニといえば、ホテル御三家の一つですが、広く立派な日本庭園があります。

ここに所用で行った際、宴会場フロアに日本庭園入口というのがあったので、ちょっと寄ってみました。

このホテルは広い上に高低差もあるところなので、北の上智大学側から入ると宴会場フロアは「ザ・メイン」の1階なのですが、そのまま歩いているといつのまにか、南の赤坂見附駅側の「ガーデンコート」や「ガーデンタワー」では5階となっています。

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↑その宴会場フロアから庭園に出ると、まず大きな石があります。

「赤玉石」という佐渡島の金山より運ばれた庭石で、一番大きいものは重量22トンもあり、これは日本一の大きさです。

なんと砕くと金が出てくるという高価な石です。

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そのすぐ先には枯山水の庭があります。

高級ホテルには庭園があるところは多くありますが、このホテルの敷地には江戸時代初期の徳川家康の時代には加藤清正の下屋敷があったところということです。

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二代忠広の時代に加藤家が改易になり、この屋敷は幕末まで井伊家の中屋敷となりました。

あの大老井伊直弼が鎖国を止め日米修好通商条約を結んだことから、桜田門外の変で暗殺された井伊家です。

地名の紀尾井町は、紀伊徳川家、尾張徳川家、井伊家の屋敷があったから名付けられています。

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↑池の中にあるのは「佐渡の化石」という江戸時代からの大木の化石だといいます。

加藤清正の時代から残っているもので、 木の根がそのまま化石になった珍しい石とのことです。

ということは、400年以上前からこの庭や池があるということになります。

庭園内には4個の化石があるといいます。

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↑庭園にはいくつもの石があり、この池の傍らにも高そうな石があります。

「清泉池」という名のこの池の水は湧水のようで、元々は外濠の水源にもなっていたはずです。

池に架かる太鼓橋は朱色に塗られており、紅葉の季節には美しいものです。

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2017年12月 3日 (日)

世界遺産になっている観自在王院跡、無量光院跡と世界遺産暫定リストには載っている柳之御所遺跡

平泉の世界遺産訪問の3つめは「観自在王院跡」ですが、毛越寺のすぐ隣にあり平泉駅からも徒歩で西へ7分ほどで行けるところです。

奥州藤原氏二代基衡の妻が建立した寺院跡で、ここにも極楽浄土を表現した庭園があります。

ここは無料で入れます。

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毛越寺庭園と同様、平安時代に書かれた日本最古の庭園書『作庭記』の作法で作られているとのことです。

この池は舞鶴が池といい、中央には東西に長い中島があります。

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水の色が毛越寺庭園とは違うので、イメージが違います。

北に向かって正面には金鶏山が見えるよう造られているといいます。

巨石を積み重ねた荒磯様の石組もあります。

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観自在王院とは阿弥陀堂のことで、大阿弥陀堂と小阿弥陀堂がありましたが、天正元年(1573年)に焼失したといいます。

寺跡は東西約120m、南北約240mであったそうです。

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↑この池への水の流れも鑓水となっているのかと遡ってみましたが、予想外にすぐ隣の毛越寺庭園の方から来ているようです。

この観自在王院跡も世界遺産であると同時に、特別史跡と名勝に指定されています。

毛越寺と違って、こちらは特別名勝ではないようです。

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↑続いては、やはり世界遺産4つめの「無量光院跡」で、こちらは平泉駅から北へ徒歩10分ほどのところにあります。

奥州藤原氏三代秀衡が建立した寺院で、毛越寺の新院ということで新御堂(にいみどう)と号したといいます。

実は平泉に到着して、まず中尊寺に行き、次に巡回バス「るんるん」でこの無量光院跡に来たところ、観光客はいないし、池があるだけで何もないし、最初はちょっと戸惑いました。

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↑しかし、池を見てみると済んだ水が太陽の光に輝いて、極楽浄土をイメージした浄土庭園とはこういうことなのかと納得できました。

10円玉でおなじみの京都宇治にある平等院鳳凰堂を模して、建物の向きや地形も平等院と同様に造られたようです。

当時の様子を描いた絵が案内板にあります。

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2017年11月26日 (日)

特別史跡で特別名勝しかも世界遺産になっている毛越寺の庭園はまさに極楽浄土

奥州平泉では中尊寺が有名ですが、私が一番行きたいと思っていたのは毛越寺(モウツウジ)でした。

奥州藤原氏の二代基衡、三代秀衡によって大規模伽藍及び庭園が築かれました。

創建時の伽藍は消失してしまいましたが、往時には中尊寺をしのぐほどの規模と華麗さであったといわれています。

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↑平泉駅から巡回バス「るんるん」だと一停留所で、徒歩でも10分ほどで山門に着きます。

ここからは拝観料が500円となります。

まずは正面にある新しく建てられた本堂に参拝しますが、その右に広がる浄土庭園も気になります。

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浄土庭園とは仏堂と苑池とが一体として配された庭園で、まさに極楽浄土のイメージを人々に体感させるものです。

日本最古の作庭書「作庭記」の思想、技法を伝える貴重な庭園であり、800年以上経った今見ても見事なものです。

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池は「大泉が池」といい、東西約180メートル、南北約90メートルあり、作庭当初の姿を伝えています。

池の中央部に勾玉状の中島があり、手前の南大門前から中島南まで反橋が、奥の金堂側から中島北までの斜橋が架かっていたそうです。

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橋の四隅に据えられた橋挟石や南の反橋の橋杭は残存しています。

また直径27センチの大面取の橋杭二本は抜き取られて、宝物館に陳列されています。

これは橋の遺構としては、わが国最古のものだそうです。

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↑池の西南には「築山」があり、約4メートルほどの高さで、水際から山頂近くまで大小各種の石を立て、海岸にせまる岩山の姿を造り出しています。

深い淵に臨む断崖の景観のようで、『作庭記』に記されている「枯山水の様」の実例と考えられているそうです。

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↑池の東北側にある「遣水」は、池に水を引き入れるためと造られたものです。

毛越寺の遣水は平安時代の唯一の遺構で、全国的にも極めて珍しいものだといいます。

↓上流に向かって、あえて曲がった流れとなっています。

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2017年10月29日 (日)

彩の国 音かおりの里は木々の音や鳥の声を聴けるいいところだがちょっと古くなっているかも

またまた地図を見ていて気になった「彩の国 音かおりの里」というところに行って来ました。

大宮駅から西へ2.5kmほどのところで、さいたま市大宮区の境界から西区に入ったところになります。

北の方から向かい入口を探しましたが、大宮西高校グラウンドに面した南側にありました。

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↑撮影した角度が悪く、「か」が抜けて「彩の国音おりの里」となってしまいました。

1997年に隣の「さいたま市鴨川みずべの里」とともに公園となっており、こちらは名称に「彩の国」とついているように、埼玉県が設置したもので、管理はさいたま市がしているようです。

音やかおりに親しむことにより、身の回りで発生する騒音や悪臭について考えてみようという目的があるそうです。

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↑(クリックすると拡大します)自然の音とかおりの小さな博物館とも書かれています。

まず、「かおりの花の広場」がありますが、強い雨が降り、風も強いせいか、あまり四季の花のかおりは感じることができませんでした。

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↑次に「かおりの音の家、水底のベンチ」があります。

ここには屋根があり、木の筒でできた音具があるはずなのですが、壊れてしまっているのか音はしていません。

雨の音も聞けるということですが同じで、雨も風は強いのに残念です。

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↑「ささやきの壁」といい、手前の半径4m長さ8mの小さい円弧と奥の半径30m長さ50mの大きい円弧があり、端でささやいた声が反対の端で聞こえるというもので、大きさによる違いを試せるようになっています。

子どもが楽しく学べるように作られているのでしょうけれど、非常に寒い雨の日ですので子どもはいませんでした。

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↑長い壁の円弧の中心点には足形の石があり、ここで壁に向かって手を叩くと、反射音がよく聞こえます。

壁との間にあるのは「足音のみち」といい、木の板や金属の板の上を歩いて、音の違いを感じられるようになっています。

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この道の途中にある椅子は「聞き耳のイス」といい、ここの他にもいくつか設置されていて、回転式でいろいろな方向を向くことができ、座ると耳の後ろの部分に集音板が付いています。

これにより、水辺で休む鳥たちの声が聞けると書かれていますが、ちょっと不思議です。

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2017年6月25日 (日)

二・二六事件のあった高橋是清私邸跡地に行ったが、蔵相だけでなく首相や日銀総裁もしていたとは

青山に所用があったついでに、いつものように地図を見て気になっていたところに行ってみました。

高橋是清翁記念公園です。

過去の経済財政政策との話というと、インフレ政策としての「高橋財政」がよく話題となります。

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その高橋是清私邸跡地が港区立公園となっています。

1936年(昭和21年)の二・二六事件において、高橋是清大蔵大臣はこの私邸で青年将校らの襲撃により亡くなっています。

その邸宅そのものは、小金井公園にある江戸東京たてもの園に移築されています。

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↑この跡地公園では高橋是清氏の銅像が敷地南寄りの一段高いところにあります。

大蔵大臣のイメージが強いですが、実は総理大臣や日銀総裁にもなっています。

日本銀行に建築事務主任として採用され、西部支店長、副総裁となり、1911年(明治44年)には日銀総裁にまでなります。

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↑その高橋像のところから見た庭園の様子です。

1921年(大正10年)に東京駅で暗殺され亡くなった原敬首相に引き続き、内閣総理大臣となったのはこの高橋是清です。

なぜかそれよりも、1929年(昭和4年)の世界恐慌や昭和恐慌後、1931年(昭和6年)から大蔵大臣として実行した、積極的な財政政策や低金利政策、金輸出再禁止が「高橋財政」としてずっと有名となっています。

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↑ここには池もあり、水が流れていますが、湧き水なわけではなく、内部で循環させているようです。

高橋財政により、経済は無事に持ち直しを図ることができ、そもそも積極財政派なのに、二・二六事件で襲撃されてしまったことは残念です。

大蔵大臣を7回も務めたようです。

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↑関係ありませんが、敷地内にはこのようないくつもの、ちょっと見かけが不思議な像があります。

軍部としては武器関係の予算が無尽蔵に付くわけはないので、予算が大蔵省から削られることが不満だったことでしょう。

ここは青山通り南側の一等地ですが、通りの北側は広大な緑に被われた東宮御所などもある赤坂御用地です。

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