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廃線跡

2016年5月 1日 (日)

【後編】おとぎ電車、おとぎ列車が走っていた「おとぎ線跡を歩く会」に参加して歩いてきた

西武山口線のレオライナーが運行開始から30周年といいます。

1985年(昭和60年)4月25日運行開始とのことです。

あのゴムタイヤで、西武遊園地駅から西武球場前駅まで走るレオライナーは、新しい路線のイメージでしたがそんな経つのですか、時間が過ぎるのは早いものです。

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↑上の写真が、書いてあるように、レオライナーになる前の山口線のB型蓄電池機関車、おとぎ電車です。

前回に引き続き、この「おとぎ線跡を歩く会」の話です。

西の方から、おとぎ線跡を辿ってくると、旧山口線と現山口線は全然別のルートを通っており、旧山口線は西武第二球場の辺りからは、多摩湖北岸の道路に沿って走っていたようです。

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↑狭山スキー場があり、ここには通れる空間が無かったじゃないかとも思われますが、以前はスキー場構造物の長さがもう少し短く、道路との間に山口線が通っていたそうです。

確かによく見ると、端の部分だけ柱や構造が違い、増設されたのがわかります。

西武プリンスドームの関係者用駐車場は、西武ライオンズ球場の頃からあり、ここには踏切がありました。

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↑改めて見てみると、ドームと道路の間に廃線跡らしき狭い敷地があります。

西武ドームと道路の間にも、言われてみると、旧山口線の線路があったらしき空間があります。

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でも、1998年(平成10年)と99年(11年)に西武ドームができた時には、既に現山口線になっていたのだから、関係ないのではないかとも思いましたが、こちらは、後楽園球場と東京ドームの関係のように、敷地内の別の場所に新たに建替えたのではないようです。

良く覚えていませんでしたが、西武ライオンズ球場に屋根を付けて、ドーム球場としたため、位置はかわっていないのです。

ですから、旧山口線が通る空間は、当然あって然るべきです。

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↑そして、現在のレオライナーが走っている山口線が、このトンネルから出てくる、このドームのすぐ東からは、現山口線も新山口線もほぼ同じルートでした。

つまり、この西武ライオンズ球場や西武プリンスドームの西側に駅があり、今は北を通って迂回していますが、当時は南側から迂回して通っていたのです。

現山口線から見ると、こんな感じです。

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↑現山口線が西武球場前駅を出て、ドームを迂回して北の方から短いトンネルを出て、東に向きを変えて多摩湖の北岸沿いの道路沿いに向かうところです。

旧山口線もこの道路沿いをそのまま走っていたのです。

この多摩湖の北岸沿いの道路は、東京都東大和市と埼玉県所沢市の境界となっています。

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この道路と西武園ゴルフ場の間を、旧山口線(おとぎ線)も現山口線も通っていました。

でも、所々で違うルートとなるようで、単線のためにすれ違いをするための信号所も、別の位置にあったようです。

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2016年4月24日 (日)

おとぎ電車、おとぎ列車が走っていた「おとぎ線跡を歩く会」に参加して歩いてきた(前編)

今となっては、古き良き昭和の時代のことになりますが、子供のころ、「おとぎ電車」「おとぎ列車」に乗ったような記憶があります。

この「おとぎ線跡を歩く会」が西武鉄道主催で行われたので参加しました。

スタートは西武球場前駅で、参加者は10名ほどでした。

まだ朝10時過ぎなので閑散としているかと思いきや、試合開始の3時間も前なのに、しかも、雨も降っているのに結構数多くの野球ファンの人達がいて、びっくりしました。

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西武球場の今の名前は「西武プリンスドーム」なのですから、駅名も「西武プリンスドーム前駅」にすればいいのにとも思います。

しかし、元の「西武ライオンズ球場」が建替えられて、「西武ドーム」、ネーミングライツにより、「インボイスSEIBUドーム」、「グッドウィルドーム」、再び、「西武ドーム」に戻って、さらに「西武プリンスドーム」となっていますから、その都度、駅名変更していたら、経費がかかって大変なこととなっているでしょうから、やめた方がいいのでしょう。

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↑駅構内の歩く会受付の机の上に置いてあった当時の「おとぎ線」の写真です。

1950年(昭和25年)8月に、西武遊園地と山口信号所間2.5km(当時の駅名では「多摩湖ホテル前駅」と「上堰堤駅」)が、翌年9月にはユネスコ村開業に合わせて1.1km延伸され、「ユネスコ村駅」までの計3.6kmが結ばれ、軌間762mmの単線の「軽便鉄道」が開通しました。

ここに「おとぎ電車」「おとぎ列車」が走っていて、「おとぎ線」という名で呼ばれていました。

現在の西武遊園地駅と西武球場前駅を結ぶ、レオライナーが走っている西武山口線の前身となるもので、ルートでは同一の部分も多くあります。

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↑まず、西に向かって埼玉県道を渡りますが、かつてここには「ユネスコ村」という遊園地?があり、オランダの風車があったりして賑わっていました。

その後、ユネスコ村恐竜探検館がありましたが、現在はそれもありません。

ユネスコ村の敷地は閉鎖されているので通り抜けできず、ぐるっと狭山不動尊や康信寺の敷地の南側を迂回して10分ほど坂道を登り、「ユネスコ村駅」跡に到着です。

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西武球場前駅、かつての狭山湖駅からは西に300mほど離れた、狭山湖沿いの道路脇、金乗院(山口観音)境内の北側に、ユネスコ村駅はありました。

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↑振り返って、南方向を見ると廃線跡が歩けるようになっています。

坂道を登り疲れてしまいましたが、ここからが今回の「歩く会」の本番です。

おとぎ線、旧山口線の車掌をされていた方が案内してくれます。

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2012年12月29日 (土)

立川基地引込線跡を通り、多摩都市モノレール引込線の先へ

連続立体交差の完成したJR中央線の立川駅と国立駅の間から北東に向かって、いかにも廃線跡らしき空間があります。

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国立市の公園を通り抜け、

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その先は、住宅地や畑の間を通る緑道として整備されており、レールを使ったと思われる藤棚もあります。

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ここには立川基地、立川飛行場への引込線が通っていました。(立川飛行機専用線ともいわれているようです)

「立川飛行場」とはいっても、様々な経緯があるようで、戦前は陸軍の飛行場があり、戦後はアメリカに接収され米軍基地となりますが、砂川事件などを経て、1973年には日本への返還が発表され、77年には全面返還されました。

現在の立川飛行場は1982年に新設されたもので、陸上自衛隊立川駐屯地として使用されるほか、立川広域防災基地として東京消防庁や警視庁のヘリコプターも離発着をしています。

この引込線跡は、国分寺市を通り、立川市に入り栄緑地として整備されています。

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この緑地のすぐそばに、陸上自衛隊東立川駐屯地があります。

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↑北側の入口はこんな感じなので、東から通って南側に行ってみると↓Dsc00053_500x375


同じような感じです。帰って調べてみたら、正門は西側だったようです。

(そこまで周って撮影すべきでしたかね…)

となりには、法務省の立川法務総合庁舎があり、東京入国管理局立川出張所と関東公安調査局国立駐在官室という、ここにあるとは予想していない施設があって、ちょっとびっくりしました。

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国土交通省の多摩自動車検査登録事務所もあります。

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多摩ナンバーの自動車の総本山?です。

うちの車も多摩ナンバーですが、ここに陸運事務所があるとは知りませんでした。

廃線跡に戻ると、

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歴史と文化の散歩道の一部となっています。

この引き込み線は、戦前は資材運搬に、アメリカ軍はジェット燃料の輸送などに使用されていたようです。

さらに進むと、

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芋窪街道から先は緑道はなくなり、タチヒゴルフの看板もあるように立飛企業の敷地となっているようです。

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立飛企業は、会社四季報でも見たことがあった会社ですが、MBOにより平成24年1月に上場廃止してしまったようです。

戦前は立川飛行機という名で、中島飛行機の隼などをライセンス生産していました。

敷地内には、ゴルフ練習場の他、ホンダや日産自動車のディーラーやケーズデンキ、倉庫、宗教団体など様々な建物があります。

土地を賃貸しているのか、売却してしまったのかはわかりません。

以前は航空機の工場だっただけあり、非常に広いです。

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↑奥に見える多摩都市モノレールの駅は、その名も立飛駅です。

10年ほど前にはモノレールでよくここを通り、上から敷地全体が見渡せましたが、その頃はゴルフ練習場はあったものの、それ以外は倉庫と駐車場くらいしかありませんでした。

確か、モノレールの下の道路も立飛企業の敷地内のため、通行できなかったはずで、ずいぶん様変わりしたものです。

今でも高松駅前に立飛企業の関連会社、新立川航空機があります。

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この高松駅から西に向かって延びていくモノレールの引込線があります。

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モノレールに乗っていてと、あの先はどうなっているのか見てみたいと思っていたので、今回行ってみることにしました。

反対側から見ると、軌道が美しく弧を描いています。

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そして、住宅棟(トミンハイム立川泉町)の敷地にモノレールの軌道が入っていきます。

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この一角には多摩都市モノレールの本社もありました。

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この敷地の北側に行ってみましたが、ここで地上に降りてきて、住宅棟の下が車両基地になっているみたいです。

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残念ながら中は見えません。

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立川飛行場、立川基地の跡地は、新しい立川飛行場と国営昭和記念公園がありますが、それ以外にも、こうした施設や国の様々な機関が建設されています。

立川市役所も立川駅南口からこの住宅のとなりに移転してきました。

利用予定のない国有地は売却されており、IKEAもできるそうで、空地が多かった景色もだいぶ変わっていくことでしょう。

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ここからモノレールに沿って、北に向かい砂川七番駅の近くにある、立川市立幸図書館に行きました。

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建物の1階の一部が図書館なのですが、入るとマンションの一室くらいの広さで、座席も数席しかありませんでした。

ちょっと雑誌を読みながら休憩しようかと思って入りましたが、とても寒い日だったので、逆に中が暖房で暑くてすぐに出てしまいました。

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古い建物なので冷暖房の調整は難しいのでしょうか。

この日の走行距離は30.41km、平均時速は18.30km、消費カロリーは765kcalでした。

2012年11月 9日 (金)

横須賀城跡と駿遠線廃線跡をめぐり、再び新幹線輪行

太平洋岸自転車道とはお別れして、旧大須賀町の市街地へ行きます。

古い街並みの残る、いいところですが、平成の大合併により、掛川市の一部となりました。

ここには、かつて横須賀城がありました。

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戦国時代の末期、天正6年から8年(1578~1580)にかけて、徳川家康の家臣大須賀康高によって築かれました。

当時この辺りは、西の徳川勢力と東の武田勢力の境界に当たり、攻防が続きました。

6km東にある武田方の高天神城を攻略するために造られたようです。

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横須賀城は、中世城郭と近世城郭の二つの特徴を持った平山城です。

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高天神城は天正9年には落城し、その後は横須賀城が遠州南部の拠点となりました。

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その後、明治維新で廃城となるまで、288年間、20代の城主を数えます。

現在は公園のようにきれいに整備されており、本丸跡からのどかな景色が見られます。

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古い街並みの中には、清水邸庭園があります。

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清水家は江戸元禄時代に回船問屋を営み、藩の御用達を務めるなど、栄えた旧家です。

江戸時代中期に作られた回遊式庭園があります。

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さて、ここ大須賀町からはそろそら帰る方向に向かうこととし、東海道本線を目指します。

ここで聞き覚えのある、静岡鉄道駿遠線の廃線跡を通って、袋井駅を目指します。

昨日通った地頭方駅付近から、私は海岸沿いを走ってきましたが、この駿遠線は少し海から離れて通っていましたが、ここから再び合流します。

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(↑ 昨日の地頭方で撮った写真ですが、路線の全体像がわかるかと思い、再掲します。

今回は、この地頭方から新横須賀まで、駿遠線では20km位のところを、海沿いに先端の御前崎を通り、遠回りしながら40km位を走行してきました。

新横須賀駅付近からのこの廃線跡は、静岡県道41号袋井大須賀線と、くっつき離れしながら、ほぼ並行して北へ向かいます。

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上の写真の、建物を挟んで右が県道、左の細い道は廃線跡の自転車道兼ウォーキングコースです。

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のどかな気分で楽しく走れます。

この廃線跡はこうしたホーム跡が残っているところもあります。

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五十岡と書いて、いごおかと読みます。

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袋井市としては、ウォーキングコースとして親しめるようにしているようで、地図情報も豊富です。

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県道の西側を走ってきましたが、旧浅羽町(合併して袋井市の一部)浅名の旧町役場の辺りからは、県道の東側を通り、舗装も単なるアスファルト舗装ではなく、インターロッキング舗装となってきました。

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やがて、袋井駅の近くにくると、快適な一本道も、県道と合流してしまいます。

私はこの後も廃線跡と思われる道を探し歩き(走り?)、道を間違えてしまいましたが、新幹線のガードをくぐるまで県道の一部がルートのようです。

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その新幹線ガードは、今でも「駿遠線架道橋」の名前となっています。

なんでかと不思議に思いましたが、東海道新幹線の開通したのは昭和39年ですが、この辺りの駿遠線は昭和42年に廃止されたので、建設当時はまだ存在したようです。

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袋井駅近くで廃線跡は、再び県道を離れ、駅南口へ向かいます。

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そして、駅近くは入ることができません。

JR東海の袋井駅は北口しか改札はありませんが、南側に、駿遠線のものかと思われるホームはあるようです。

ここからは進めないので、県道を通って迂回して、北口に回り、袋井駅に到着しました。

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ここは、東海道五十三次のひとつ、袋井宿のあったところで、江戸から数えても、京都から数えても27番目なので、「東海道どまんなか」ということだそうです。

本陣跡もありました。

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袋井駅からは輪行で、東海道本線で掛川駅に行き、15時3分発こだま658号で東京駅に向かいます。

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今回は最後列の指定席がとれました。

二人席の窓側E席はなく、三人席の窓側A席です。

始発ではないので、座席後ろのスペースが空いているか不安でしたが、大丈夫でした。

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自分以外の人が座った時を想定して、リクライニングシートをフルに倒しても邪魔にならないか実験してみました。

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このようにまだ余裕があります。

ちなみに、E席の後ろにも輪行袋が置かれていました。

この自転車はどうも最後列の方のものではないようでした。

そして、東京駅から中央線に乗り換えて、家路につきました。

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この日の走行距離は40.25km、平均時速は17.40km、消費カロリーは977kcalでした。

二日間では、走行距離101.54kmとなりました。

1日で100km以上走っている人も多いと思いますが、私は40~50km位がせいぜいだったので、二日目の上り坂では膝が痛くなり、困りました。

また、駅の階段の昇り降りで、歩いても膝が痛いことに気づき、後まで残るかとちょっと焦りました。

今では、痛みはありませんが、無理しちゃ、いけないんだなと感じました。

では、3回に渡りお読みいただいた方、長い間お付き合いいただき有難うございました。

2012年10月27日 (土)

新幹線輪行で行く大井川、御前崎

10月25日朝6時に家を出て、初めての新幹線輪行で静岡県に行きました。

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7時26分発こだま635号です。 

景色の見れる窓際で、後ろに自転車が置ける最後列の指定席を確保したかったのですが、あいにく後ろから2列目の窓際E席です。 

自転車をおいて、いちおう最後列の方に一言ご挨拶。

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平日朝の下りこだま号の指定席って、すいていると思っていましたが、途中でほぼ満席になるんですね。

9時前には静岡駅に着き、東海道本線に乗り換えですが、電車が来ない。

約20分の遅れでしたけど、まあ急ぐ旅でもないからいいか。

そして、島田駅に到着です。

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田舎の駅を想像していたら、立派な駅舎でちょっとびっくりしながら、いつものDAHON speed p8でスタートです。

まずは、すぐ近くに流れる大井川沿いで海に向かうのですが、東海道本線もこの辺りでは、20kmほど海から離れています。

江戸時代に「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」と言われた、あの川で、当時は架橋が許されていませんでした。

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現在は、当然のようにいくつも橋はありますが、世界最長の木造歩道橋としてギネスにも認定されている「蓬莱橋」に行きました。

全長897.4m、通行幅2.4mで、歩行者も自転車も100円かかります。

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さすが木造で、自転車で走るとカタカタ揺れるので、水面の上ではちょっと不安になります。

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反対岸まで行って帰ってきました。

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観光客らしき人も十数人渡っていましたが、対岸には用がないみたいで、皆さん途中で引き返していました。

地域の足というより、観光用の橋なのですかね。

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川原に降りて、改めて蓬莱橋を見ると、橋桁が意外と細いのが気になりました。

渡る前に見なくて良かった…

この川原にはマラソンロードがあり、自転車も走れるので、この道で下流に向かいます。

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やがて、東海道新幹線の下を通りますが、新幹線って外で見ると早いですねー。

さらに川沿いを快適に進み、東名高速道路も過ぎ、富士見橋という橋で、対岸の西に渡ります。

ここからは「太平洋岸自転車道」を進みます。

名前の大げささの割には、この辺りは海から数キロ離れたところを通っています。

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実はこの道の一部は、静岡鉄道駿遠線という軽便鉄道の廃線跡を利用しています。

昭和45年には廃止されたようです。

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上の写真のように、全駅ではありませんが、旧駅の駅名標が置かれています。

国土交通省による大規模自転車道のひとつで、一般県道静岡御前崎自転車道線として、静岡県が管理しています。

国道に「太平洋岸自転車道」と書かれた大きな看板が立っているかと思えば、この廃線跡を利用されている区間では、交差点に看板もなく、どちらに向かえば良いかわからなくなるところが、何カ所かありました。

吉田町の能満寺には国指定天然記念物の大蘇鉄(ソテツ)があります。

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6mあり、平安時代に陰陽学者の安倍晴明が植えたといわれており、江戸時代には徳川家康が駿府城に移植したところ、もとの能満寺に帰りたいと夜な夜な泣かれたので、家康があわれに思って戻したそうです。

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さらに進み、途中道を間違えたりしながらも、坂口谷川に沿って、ようやく海、太平洋に出ました。

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ここは海岸がちょっときたないのが残念ですが、ここから静波海岸に沿って、太平洋岸自転車道の名にふさわしい海辺を走ります。

ここ以外は海辺もきれいでした。

やがて相良水門から、相良の街中のルートとなります。

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この水門は、田沼意次が築いた相良城の大手門をイメージしたため、このような不思議なデザインとなっています。

資料館もこんな立派な建物となっており、相良城本丸跡にあります。

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日本史での江戸時代の老中田沼意次というとあまりいいイメージではありませんが、この地ではそんなこと言ってはいけません。

再び、自転車道を進みます。

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ここまでの自転車道は、東から(上の地図の右上から左下に向かう)駿遠線廃線跡を来ましたが、この旧地頭方駅から鉄道路線は北西(左上)に向きを変えていたようです。

この自転車道はさらに南へ向かい先端の御前崎を目指します。

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走っていくとトンネルです。また道を間違えたかな。

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大丈夫でした。御前崎港です。

海上保安庁の船ふじも停船していました。 

ちょっと遅くなりましたが、昼食です。

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海鮮なぶら市場で、生しらす丼を食べました。

「なぶら」とはカツオの群れのことだそうです。

ここから海岸沿いの道を走りますが、時折防波堤を波しぶきが超えてきます。

ウミガメの産卵地を見ようと思っていましたが、いつのまにか通り過ぎてしまったようです。

そしてようやく御前崎灯台ですが、高台にあるため、自転車を置き、長い階段をのぼります。 

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せっかく、ここまで来たのですから200円を支払って、灯台の展望台に上ります。

目の回るような階段を進み、最後ははしごです。

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誰もいないから、すれ違いにも困りませんが、混んでいるときは大変でしょう。

やっと、外に出ると、強い風と素晴らしい景色。

今きた東の方角。

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南は海しかありません。

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そして、これから向かう西です。

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はるか彼方にうすーく見えるか見えないか位の建物群がこれから向かう浜岡原発です。

長くなるので、この続きは次回にします。

2012年9月 1日 (土)

武蔵野競技場線と中島飛行機専用線と武蔵野プレイス

JR中央線三鷹駅の車庫の近く、連続立体交差の高架が始まる辺りから、北に向かって遊歩道があります。

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堀合遊歩道とグリーンパーク遊歩道となっていますが、昭和26年に武蔵野競技場(野球場)が開設され、そこへ観客を運ぶ鉄道が通っていた廃線跡のようです。(すぐに廃止されてしまったようです)

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遊歩道は新しい橋で、木の生い茂った玉川上水を渡ります。

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しばらくぶりにこの辺りに来ましたが、左側の境浄水場との間に道路が造られています。

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幅員36mのかなり広い都市計画道路、調布保谷線のようです。

多摩南北道路のひとつで各地で急ピッチで工事が進められています。

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少し進むと、この広い道路から右にそれ、木陰の遊歩道が続きます。

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わざわざ野球場への引き込み線を造ったのか不思議に思いますが、実は武蔵野競技場の敷地は、戦時中は「中島飛行機武蔵製作所」があったそうで、そこへの引き込み線が元々あり、その一部を使用しています。

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軍需工場ですから、米軍機による空襲もあり、それに備えるため高射砲が設置されていました。

しかし、この案内板によるとB29は高度1万メートルから爆撃してくるので、残念ながら高射砲は届かなかったそうです。

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ここらの旧北多摩郡には、以前に行った中島航空金属もありましたし、軍需工場がいくつかあったことようですが、今では想像がつきません。

さらに進んでいくとグリーンパーク遊歩道は終了です。

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その先には、都立武蔵野中央公園があります。

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この辺りに、武蔵野競技場(野球場)があったといわれれば想像はできますが、軍需工場である中島飛行機があったとは想像つきません。

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中島飛行機武蔵製作所の跡地は、この公園のほか、都営住宅や都立高校、NTT武蔵野研究開発センター(旧電気通信研究所)などとなっています。

北側に行くと唯一、中島飛行機の流れを汲んでいると思われるものがありました。

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中島飛行機は戦後GHQにより解体されますが、その一部は富士重工業の社宅となっています。

技術はSUBARUの車に活かされているのでしょう。

当然のことなのでしょうが、駐車場のSUBARU比率の高さには感動しました。

それでは、再び中央線に戻ります。

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ここは三鷹駅のひとつ西にある武蔵境駅近くですが、連続立体交差は完成し電車は上を走っているものの、跡地はまだ閉鎖されています。

この辺りから奥の林に向けて、中島飛行機武蔵製作所専用線はありました。

当時は中央線のこちら側(西、武蔵境駅側)から接続されていたようです。

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こちらも遊歩道となっています。

この専用線は、玉川上水や境浄水場のあたりから先が、武蔵野競技場線として再利用されたようです。

こちら側は境浄水場専用線として使われていました。

貯水池や浄水場を造るにしろ、工場への材料、製品の輸送にしろ、トラック輸送が一般的な今と違い、以前は鉄道輸送が主であり、専用線も結構あったのだなあと改めて思いました。

以前に見た軽便鉄道跡も貯水池を造るために敷かれたものでした。

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武蔵境駅の南口に広場と建物があり、日曜日の夕方ですが、多くの人たちがくつろいでいます。

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ここは武蔵野市立武蔵野プレイスといって、図書館、生涯学習支援、市民活動支援、青少年活動支援の機能を併せ持った施設です。

市立の図書館は3つあり、中央図書館と吉祥寺図書館と武蔵野プレイスと、市図書館のHPでも書かれており、ここは名前に「図書館」とつかないようです。

素晴らしいことに、平日も休日も夜10時まで開館しています。

外観同様に内装もデザインされており、おしゃれです。

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主に2階に閲覧席がありますが、28席は図書館利用者のための席とされています。

そのほかにも3階にスタディコーナーがあったりしますが、こちらは生涯学習支援の位置づけのようです。

1階には数多くの雑誌コーナーもあり、さらにカフェもあります。

館内の図書や雑誌持ち込み可のこのカフェには入りたかったのですが、あいにく満席でした。

メニューにアルコールもあることにびっくり。

家の近くにもこんな施設ができてほしいものです。

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外にでて改めて武蔵境駅を見ると、中央線の連続立体交差工事は地上部を残し、すっかり完成しており、以前の地上駅とは全く景色が変わっていました。

多摩湖自転車道の起点部はこの近くなので、そこを通って帰りました。

この日の走行距離は26.14km、平均時速は20.50kmです。

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2012年8月25日 (土)

JAXA筑波宇宙センターとつくばりんりんロード

月曜日には、つくばに行きました。

ちょっと遠いので電車でですが、つくばエクスプレスで北千住から30分ちょっと!

つくばって近いんですねえ。

駅から自転車です。

研究学園都市として都市計画の作られたまちなので、歩車分離はよくできていて、つくば駅から南北に向けての遊歩道があるのでそこを走ります。

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まず、向かった先はJAXA筑波宇宙センター。

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宇宙ですよ、ロケットですよ、さすが研究学園都市。

ここでは宇宙開発の最先端分野の研究・開発・試験が行われており、日本の宇宙開発の中枢センターとして、多彩な活動が行われています。

中には、見学できるスペースドームという施設があり、いくつもの人工衛星が展示されています。

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そして、外に出ればH-Ⅱロケットです。

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ロケットも下から見れば、こんな感じ。

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えっ、単なる土管みたい m(_ _)m

ところで、このセンターの敷地は広く、東京ドーム12個分の広さがあるそうです。

敷地の東部に見学者用の入り口があるのですが、それを知らずに北から来て西と南をぐるっと回ったので、期せずして広さは実感できました。

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セキュリティは厳しく、スペースドーム以外は入れませんが、例外として食事をする場合には氏名・住所・電話番号などを記入したうえで、食堂までは入ることができます。

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当然、私も食堂利用者証をもらい、行ってみました。

定食もあり、何を食べようか迷いましたが、結局冷やし宇宙坦々麺460円を頂きました。

食堂利用者章とともにパチリ。

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ちなみに右上の温泉たまごがついています。

ところで、総合開発推進棟という入口前の建物にある旗なのですが、日の丸とともに星条旗がありました。

やはり、宇宙開発はアメリカとともに行われているのでしょうか。

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それでは、JAXAを後にして、再びつくば駅付近です。

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実は20年くらい前に数回この筑波には来たことがあります。

その頃は当然つくばエクスプレスなんか通っていないので、自動車で来るか、高速バスで来るかでした。

この景色の中で、バスターミナルと西武百貨店はあったはずですが、それ以外はよく憶えていません、

人の記憶ってあいまい…

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つくばといえば、言えば筑波大学ですが、ここも以前来たのですが結構変わっています。

でも、相変わらず広いです。

校内を自転車で移動している人を数多く見かけます。

大学の図書館にも入ろうかと思いましたが、IDカードがないと入れないようなので、やめました。

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大学の東側を通っている学園東大通りを通って、次の目的地を目指します。

つくばりんりんロードに行きたいのですが、つくばエクスプレスの駅でもらった「TXサイクリングライン」というパンフレットに載っている、つくば駅からのルートでは、この道と学園西大通りが交差する「西大通り入口」交差点を右折して、県道53号線で桜川を渡ると行けることとなっています。

なんか遠回りじゃない?と思いながらも、まあいいやと思い、進みます。

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ようやく到着です。

すっかり景色も変わり、田園風景です。

この「つくばりんりんロード」は筑波鉄道の廃線跡をサイクリングロードとしたもので、JR常磐線土浦駅とJR水戸線岩瀬駅を結ぶ40.1kmの距離があります。

先に見えている筑波山に向かって、北に向かって走っていこうというところですが…

実は今日も足利市に引き続き、輪行ではなく、レンタサイクルママチャリ号です。

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ここまでの走行距離は20kmですが、炎天下だしママチャリだし、かなり疲れていて北に向かう気がありません

東に見える美しい風景(地図を見たら近くに富士山という名前の山もあるようですが、この山かはわかりません)を見ながら考えましたが、ここからは南へ向かいます

まずは、今まで来た県道の下をくぐります。

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なんで立体交差かって思いますが、以前はこの道は鉄道だったからです。

自転車道のために、自動車道はオーバークロスしてくれません

しばらく進むと、電車が通っていた頃のホームらしきものがあります。

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田戸部駅跡のようですが、案内板には旧駅名は書かれていません。

まわりには何もないのどかな所です。

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ここから、断腸の思いでつくばりんりんロードを後にし(えっ、もう)、県道200号線を通りつくば駅方面を目指します。

ショートカットのつもりが炎天下のもと、上り坂があったりしますが、

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再び、筑波大学近くの木陰の道に戻ってきました。

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ここまで、ママチャリで帰ってくることはできるのか、途中で熱中症で倒れてしまうのではないかと不安になっていましたが、不思議なもので、つくば駅の近くまで来ると、つくばりんりんロードをもっと走ればよかったと後悔し始めます

市街地には松見公園があります。

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ここは有料の展望台もあり、池の上のレストハウスもあります。

200円だったかと思いますが、あまり人影は見かけませんでした。

休憩所は以前はレストランかなんか入っていたのではないかと思われます。

そして、つくば駅から徒歩3分の距離に、つくば市立中央図書館(右)と茨城県つくば美術館(左)があります。

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月曜日なので閉館です。

足利市と同じですねえ。

急遽休みが取れそうだからといって、リサーチもせず来るからこうなってしまいます。

駅まで戻り、500円のレンタサイクルは返しましたが、走行距離は31.64km、平均時速は17.88kmでした。

ただ、30kmちょっとの距離の割には疲労感は残りました。

でも4時半頃つくば駅を出たら、5時には北千住、家には6時頃には着きました。

結局、都内移動の方が時間がかかっています。

やっぱり、つくばエクスプレスは早い、時速130kmで走っていました。

つくばは近くなりました。

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2012年6月 9日 (土)

ひばりが丘団地行の中島航空金属専用線と、たての緑地

ひばりが丘って何市にあるかご存知ですか?

西武池袋線のひばりヶ丘駅は西東京市、公団ひばりが丘団地は東久留米市と西東京市の両市にまたがって建っています。

東久留米駅近辺からこの団地まで、いい道が通っています。

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東京電力の高圧線沿いですが歩行者自転車道となっており、

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細長いですが「たての緑地」という都市計画緑地とされています。

実は、この緑地・道は中島航空金属田無工場と西武池袋線(当時の武蔵野鉄道)を結ぶ専用線の廃線跡だそうです。

東久留米駅周辺は緑道にはなっていませんが、黒目川を渡る築堤らしきものが残っています。その奥は変電所として利用されており、さらに進むと東久留米駅です。

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では、緑道を工場(現在の団地)方面に向かいます。

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落合川の支流である立野川が下を流れているところでは、周囲より少し高いところに道があります。

高圧鉄塔のあるところでは、道が左右に分かれて狭くなります。

 

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ここに「中島航空金属専用線」が走っていた風景を想像しながら、気持ちよく進んでいくと、すぐに「たての緑地」は終点です。

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この鉄塔の向こう側はひばりが丘団地です。

団地側から振り返ると、

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こんな景色で緑道があることさえ、見えなくわかりません。

団地内に入ると、外周部にそれらしい道はあります。

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中島航空金属の工場跡地は、一部、住友重機械工業田無製造所となった他、かなり広大な部分が昭和30年代以降、公団ひばりが丘団地として生まれ変わりました。

この道は団地内で途切れてしまっています。

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団地ができた当初は、日本住宅公団の造成した国内最大の2700戸を超える団地であり、昭和35年には当時の皇太子・皇太子妃(今上天皇・皇后)も視察に訪れたという最先端の団地でした。

しかし、現在は老朽化により、このひばりが丘団地は建て替え中であり、「ひばりが丘パークヒルズ」として再度生まれ変わろうとしています。

既に建替えられて高層化した建物もあります。

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まさに建て替えの最中といった様子で、解体中の建物もあれば、以前のままの懐かしい感じの建物もあります。

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また、高層化に伴って現在のUR都市機構が、団地として建て替えで利用しない部分は、民間企業により一戸建て住宅として売り出されるようです。

団地のほんの一部なのですが、元々の規模が大きいため、115戸もの戸建住宅プロジェクトです。

以前、団地にはならなかった住友重機械工業田無製造所の工場も、10年程に比べてだいぶ狭くなっており、

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以前工場だったところのかなりの部分も、20階建てのマンションや戸建て住宅になっていました。

50年前に大きく様変わりしたこの地域は、今また大きく変わっているようです。



この団地内に「東久留米市立ひばりが丘図書館」があります。

市の南部地域センターの2階にあり、70000冊くらいの資料があります。

西側に窓があり、雑誌コーナーなどは西側にあるため、晴れた日はちょっと暑いです。

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なお、西東京市にも同じ名前の「ひばりが丘図書館」があり、こちらはひばりヶ丘駅のすぐ近くありますので、今度立ち寄ってみたいと思います。




ところで、気づきましたか?

団地名や図書館名、地名は「ひばりが丘」ですが、西武池袋線の駅名は「ひばりヶ丘」です。

世間では「ヶ」って結構定着していますが、役所では嫌われているんですよね。

「阿佐ヶ谷」駅も地名では「阿佐谷」です。

この日の走行距離は14.8km、平均時速は17.9kmでした。




余談ですが、先ほど「武蔵村山市立歴史民俗資料館」名で、展示室で撮影した写真は撮影許可と掲載許可がされていないため、即刻写真を削除するようにとのコメントがきました。

数週間前にアップした記事についてです。

まあ確かに許可をとっていないのは事実なので、資料館の名前、建物外観写真、内部の写真すべて削除しました。



ただ文面に、通常のビジネス文書で普通にある「平素より弊社業務に関しましては・・・」とか「来館いただき・・・」とか、いっさい書いていないものでした。

ほんとうに市の職員が勤務時間中にブログのチェックしているんですかねえ、それとも、やはり暇な誰かのいたずら? 

気分はですけど、まあ数多くの人に見てもらえているとポジティブシンキングして、梅雨入りしてしまいましたが頑張っていきましょう

2012年5月26日 (土)

軽便鉄道羽村山口線と空堀川の源泉(後篇)

不思議な森の中から出て、またいくつかの自転車道のトンネルを抜け、横田トンネルの出口まで戻ってきました。

ここから、かなり川幅の狭くなった空堀川に沿って北に向かおうとすると、

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すぐに上流端の看板です。

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しかし、この先にも、いわゆるドブ板で蓋かけされた川があるので、先を目指します。

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途中グラウンドの横などを進んでいくと、再び、水の流れがあります。

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そしてすぐ先には池がありました。

ここが空堀川の源泉のようです。

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釣りをしている人などのいる、のどかな雰囲気です。

案内板によると市立野山北公園のようですが、気になるのは私一人しか自転車に乗っていないことです。

自転車を降りて、おして歩いていくこととします。

入り口まで行ってわかったのですが、自転車進入禁止との看板がありました。

私は正式な入口でない、川沿いの(正確には川の上の)小道を通って来たので看板がなかったようです。

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この市立公園の周辺は、広大な都立野山北・六道山公園となっています。

村山温泉かたくりの湯も隣接しています。

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日帰り温泉なので立ち寄りたかったのですが、残念ながら9月末までリニューアル工事中でした。

先ほどのトンネルや自転車道のことについては、いろいろ調べたところ、

(写真削除)


大正10年に多摩川の水をひいて貯水池を作ろうとした時、その資材等を運ぶ鉄道を作るとともに、その地下に導水管を埋めたようです。それが今の多摩湖(村山貯水池)です。

工事終了により鉄道は撤去されましたが、さらに、昭和4年には狭山湖(山口貯水池)の堰堤の砂利運搬のために再び鉄道を敷設し、昭和19年の工事終了まで軽便鉄道「羽村山口線」として、利用されたそうです。

この軽便鉄道の軌道敷の跡地が自転車道になったようです。

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先程行った横田トンネルの反対側にも、上の写真のように鉄道跡地が道になっており、野山北公園自転車道と名付けられています。

柵のしてあったトンネルの奥がどうなっているのかにも興味はありましたが、先にあるのが多摩湖や狭山湖だとわかったので、この自転車道を反対に向けて進むこととしました。

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現在でも多摩川の水を、湖(貯水池)に運ぶための導水管が地下にあるため、東京都水道局の敷地のようです。

武蔵村山市境のこの住宅街のところでまで来ましたが

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ここから先は自転車道がありません。

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IHIの工場(航空宇宙事業本部)敷地内にまっすぐ軌道敷跡は伸びていますが、入れません。

ただし、空間はありますから、この感じなら工場の反対側に回れば道はありそうですが、

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すぐ隣は米軍横田基地です。

よく見ると飛行機も見えます。

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工場の南側は基地に隣接しているので、北側から回りました。

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北側も横田基地です。

手前が基地の周りの一般道ですが、フェンスの向こうの基地内にも外周道路があり、時々車も走っていますし、ジョギングしている人もいます。

南北方向に滑走路があるため、フェンスが延々と続きます。

基地内の道路の何もないところに信号機がありましたが、飛行機の離発着時に滑走路北側を通らなくするためのものかと思われます。

そして、ようやく北端に来ました。

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滑走路への着陸空路の延長線上にJR八高線が通っていますが、横田トンネルという名の不思議な所があります。

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以前はトンネルでしたが、電化に伴って屋根部分を撤去したものです。

だったら何でトンネル作ったのかということになりますが、飛行機の着陸地点すぐ近くだから落下物等で列車が危険だと判断したからとの説や、パイロットが着陸時の視界に入らなくするためという説を聞いたことがあります。

いずれにしても、じゃー今はいいのか?と思ってしまいます。

ところで、自転車道の先も気になるところですが、こんな大きな基地敷地の向こう側では、位置の見当もつけられないので、あきらめて、最寄りの箱根ヶ崎駅に向かいました。

(後から地図で確認したところ、横田基地の西側の羽村市内にも、多摩川までの自転車道らしいものがありました。別の機会に行ってみたいと思います。)

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箱根ヶ崎駅は駅前はがらんとしていますが、駅舎は建替えられており立派です。

ここは瑞穂町にあり、東京都では島を除けば、奥多摩町、日の出町とともに三つしかない「町」です。

なお、先程見た多摩都市モノレールは、上北台からここまで延伸しようと計画されています。

ここから輪行して帰ろうと思いますから、開通していれば今日は便利だったでしょうが、需要がどのくらいあるのか、ちょっと心配です。

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東京のローカル線である八高線は運行本数が少なく、駅で30分ほど待つことになりました。

こんなことなら、もう少し自転車で走ればよかったなあと、ホームのベンチで考えているとき、轟音とともに飛行機が着陸していきました。

日曜日なので離発着も無く、静かだなあと思っていたけれども、やはり基地の町であることを改めて実感しました。

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ところで、途中、自転車道のトンネルに入る前、武蔵村山市立中藤地区図書館にも立ち寄りました。

この市では地区館の名称に「地区」という言葉をいれるようですが、市内には「図書館」が2か所、「地区図書館」が4か所あります。

本館と地区館を区別するための名称なら、1と5になりそうですから、規模の違いでしょうか。

この図書館は廃校跡を活用したような作りで、階段などでちょっと懐かしさを感じましたが、

暖かい日曜日の昼だったせいか、利用者はあまりいませんでした。

この日の走行距離は、22.5km、平均時速は19.9kmでした。