【後編】おとぎ電車、おとぎ列車が走っていた「おとぎ線跡を歩く会」に参加して歩いてきた
西武山口線のレオライナーが運行開始から30周年といいます。
1985年(昭和60年)4月25日運行開始とのことです。
あのゴムタイヤで、西武遊園地駅から西武球場前駅まで走るレオライナーは、新しい路線のイメージでしたがそんな経つのですか、時間が過ぎるのは早いものです。
↑上の写真が、書いてあるように、レオライナーになる前の山口線のB型蓄電池機関車、おとぎ電車です。
前回に引き続き、この「おとぎ線跡を歩く会」の話です。
西の方から、おとぎ線跡を辿ってくると、旧山口線と現山口線は全然別のルートを通っており、旧山口線は西武第二球場の辺りからは、多摩湖北岸の道路に沿って走っていたようです。
↑狭山スキー場があり、ここには通れる空間が無かったじゃないかとも思われますが、以前はスキー場構造物の長さがもう少し短く、道路との間に山口線が通っていたそうです。
確かによく見ると、端の部分だけ柱や構造が違い、増設されたのがわかります。
西武プリンスドームの関係者用駐車場は、西武ライオンズ球場の頃からあり、ここには踏切がありました。
↑改めて見てみると、ドームと道路の間に廃線跡らしき狭い敷地があります。
西武ドームと道路の間にも、言われてみると、旧山口線の線路があったらしき空間があります。
でも、1998年(平成10年)と99年(11年)に西武ドームができた時には、既に現山口線になっていたのだから、関係ないのではないかとも思いましたが、こちらは、後楽園球場と東京ドームの関係のように、敷地内の別の場所に新たに建替えたのではないようです。
良く覚えていませんでしたが、西武ライオンズ球場に屋根を付けて、ドーム球場としたため、位置はかわっていないのです。
ですから、旧山口線が通る空間は、当然あって然るべきです。
↑そして、現在のレオライナーが走っている山口線が、このトンネルから出てくる、このドームのすぐ東からは、現山口線も新山口線もほぼ同じルートでした。
つまり、この西武ライオンズ球場や西武プリンスドームの西側に駅があり、今は北を通って迂回していますが、当時は南側から迂回して通っていたのです。
現山口線から見ると、こんな感じです。
↑現山口線が西武球場前駅を出て、ドームを迂回して北の方から短いトンネルを出て、東に向きを変えて多摩湖の北岸沿いの道路沿いに向かうところです。
旧山口線もこの道路沿いをそのまま走っていたのです。
この多摩湖の北岸沿いの道路は、東京都東大和市と埼玉県所沢市の境界となっています。
この道路と西武園ゴルフ場の間を、旧山口線(おとぎ線)も現山口線も通っていました。
でも、所々で違うルートとなるようで、単線のためにすれ違いをするための信号所も、別の位置にあったようです。