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07武蔵村山市

2022年8月28日 (日)

のびる沢の先にある須賀神社奥の院と六道山公園展望台からの眺め

2年前に武蔵村山市の須賀神社に行きましたが、そこは以前は遥拝所であり社殿は別のところにあったといいます。

丘山の上にあったという場所にいつか行きたいと思っていたところでした。

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↑都立野山北六道山公園にある里山民家の東側から北に向かい登っていくと鳥居があります。

この公園は狭山丘陵にいくつも深い谷戸が入り込んでいます。

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↑のびる沢に沿って登って来ましたが、振り返って見ると谷戸となっているのが分かります。

さらに石段の上に須賀神社奥の院があります。

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麓の須賀神社に行った時にも書きましたように、社殿は江戸時代の寛永10年(1663)建立されたといいます。

それは丘山の上にあり、麓に寛政2年(1790)遙拝所が創立されました。

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その遥拝所を昭和51年(1976)に本殿としたのが現在の須賀神社になります。

東京都神社庁のホームページによると、元々は2000メートル余隔てた丘山にあったということです。

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↑それが須賀神社奥の院という名から、ここかと思われます。

社殿横の案内板には、麓の須賀神社の縁結びの木のことが写真付きでありますから、両社は関係社であることは確かです。

しかし、改めて公園のパンフを見ながら直線距離を測ってみても、2000メートルの半分以下しか離れていないのです。

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2021年1月10日 (日)

萌芽に期待する三本榎と引又街道と拡幅されていく新青梅街道

武蔵村山市の新青梅街道には「三本榎」という交差点があります。

ここは都道5号線と55号線の交差点です。

3本の榎の木があるのだろうと思い、辺りを見てみると「三本榎史跡公園」はあるものの、ちょっと様子が変です。

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「三本榎(乙幡榎)」と書かれた標柱や説明板があるものの肝心な木がありません。

武蔵村山市指定史跡の三本榎のうちの乙幡榎は、平成28年強風により幹の一部が折れ、保護措置を行いました。

しかし、令和元年5月には樹医より枯死した可能性が高いとされ、さらに令和2年6月には幹上部が折れ落下したため、止む無く幹本体を伐採したそうです。

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ただし、残存する根系部から後継樹となるよう萌芽更新による育成を行っているそうです。

萌芽更新とは、広葉樹の切り株から伸び出すのでその萌芽を育て、樹木の若返り(再生)を図ることです。

三本榎の由来としては、やはり、3本の榎はあるのようで、もう一本は都道55号線の向かい側にある加藤榎です。

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枯れた乙幡榎とこの加藤榎は、樹齢二百余年と推定されています。 

それぞれの榎に付いているのは何の名前なのかと思いましたが、昔、弓の遠矢競争で矢が落ちた場所にそれぞれの名の榎が植えられたそうです。

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↑3本目は東京都水道局学園配水場敷地内にある奥住榎で、こちらは大正時代末期に植え替えられ樹齢は60年ほどです。

三本榎の南を東西に走る道路は、引又街道(市街道)といい、江戸時代から明治時代にかけて重要な道路で、三本榎はここを往来する人々の休憩所でした。

2枚目の写真の乙幡榎の塚にあった庚申塔は、寛政11年(1799)に造立されたものです。

その引又街道の様子を見てみます。

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2020年11月15日 (日)

どこなのか謎の本殿から2000 メートル離れた元遥拝所の須賀神社とその前の350メートルだけの広い道路

武蔵村山市岸二丁目に須賀神社があります。

当然に海沿いではないのに、なぜ「岸」という地名なのか不思議です。

狭山湖のある狭山丘陵に沿っているとも言えますが、あの湖は貯水池としての人造湖です。

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そもそもからして、明治時代まで多摩郡岸村だったといいます。

残堀川の河岸というのも無理を感じます。

須賀神社の創立は古く、元々の社殿は寛永10年(1663)に建立されました。

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村内の悪病鎮護のため2000メートル余り隔てた丘山に奉祭されていました。

その後こちらに寛政2年(1790)に遙拝所を創立しました。

昭和32年(1957)に木造神明造を新築し、昭和51年(1976)には遙拝所を本殿と定めたといいます。

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↑社殿の裏側は小山のようになっており、北側には道があります。

そこには、縁結びの木というものもありました。

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木が繋がったようになっています。

ところで、以前の本殿がどこだったのか気になります。

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↑こうして北の方に見える山というか丘の上にあったのでしょうか。

これらの丘陵は、都立野山北・六道山公園となっています。

その公園パンフレットに、「須賀神社(奥の院)」というのがあります。

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2019年6月 9日 (日)

多摩湖自転車道沿いの谷津仙元神社と富士塚とそこから南向きの謎の道

多摩湖の南西の端近くの多摩湖自転車歩行者沿いに富士塚があるというので行って来ました。

外からでは分かりづらいですが、少し高い山が築かれています。

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入口も分かりづらいのですが、ここは谷津仙元神社の北西側からの入口というか参道になります。

住居表示では武蔵村山市中藤ですが、谷津は地名のようですから以前の小字だったのでしょうか。

入っていくと神社の社殿があります。

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その横には教育委員会による案内板があり、市指定無形民俗文化財の谷津仙元神社富士講の説明があります。

これは富士講を信仰行事として続けている都内でも数少ない団体だそうです。

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↑右には谷津仙元富士塚への登り口があります。

神社社殿前の石碑には「身禄山仙元神社」と書かれていましたが、谷津地区に富士講を伝えた富士講中興の祖 食行身禄からついているようです。

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↑頂上は平らな少し広い空間となっており、そこには祠があり、「浅間神社」と書かれています。

読みは同じ「せんげん」ですが、仙元と浅間の違いがありちょっと不思議です。

この日は天気も悪く木々も生い茂っていて見られませんでしたが、ここは標高150メートルほどで本物の富士山が見えるそうです。

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↑先程の南東側からの登山道の他にも、この南西側からの登山道などのいくつかの登り口があります。

上の写真は分かりづらいかもしれませんが、急な上り坂です。

不思議なことに、富士塚とは関係のない、神社社殿の南の方角に向けて謎の道が真っ直ぐに続いていきます。

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2019年3月31日 (日)

貢物を調製するから三ツ木村にある和銅創立だという十二所神社

武蔵村山市三ツ木の青梅街道近くに十二所神社があります。

峰という交差点の近くを少し北に向かったところにあります。

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 この神社は、天照大御神をはじめとする天神七代、地神五代からなる十二代の大神が祀られているところから十二所神社とよばれています。

多摩湖のある狭山丘陵の麓からの斜面の上にあります。

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↑階段を上ると正面に社殿があります。

和銅年間(一説には和銅元年)に創立されたと言われています。

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↑拝殿はまさか創建当時のものではありませんが、いつ再建されたかは分かりませんでした。

和銅といえば708年から715年ですから、和銅元年は708年ということになります。

なんとキレイな平城京の710年よりも前と考えると、驚かされます。

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↑本殿もいい感じの木造建築物です。

和同でないのかと思いましたが、和銅という銅塊が献上されたことを祝い和銅に改元され、それで作られたのが和同開珎といいます。

この地区は三ツ木という名称ですが、この由来も面白いものでした。

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2018年11月25日 (日)

三春滝桜の子孫樹とやっと見つけた都立中藤公園の入口とデエダラまつりの元

引き続き、都立中藤公園を探して自転車道周辺を巡っていきます。

御岳トンネルを出ても周辺に行ける接続道がないようななので、次の赤堀トンネルに向かっています。

赤堀トンネルの右手前に「赤堀トンネル上の山桜」との表示があります。

上には山桜があり、手前は逆光ですが、花が咲いているように見えます。

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また、同じく右上の木について、「福島県三春滝桜の子孫樹」と書かれています。

本当に子孫樹なのかは確認出来ませんでした。

前回も見た公園HPによると、赤堀トンネルの上にも一部開園部分があるようです。

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このトンネルを抜けたところから南へ道路を迂回して、行ってみることとします。

どこでどう間違えたのか、赤堀トンネルの上部へ行く道が見つからず、大きく迂回して、一つ手前の御岳トンネル上部の道に行くことになり、そこに辿り着きました。

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↑しかも、先程自転車道を通った時は後ろを振り返らなかったので気付きませんでしたが、階段があり、自転車道と繋がっています。

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↑さらに、トンネル上部の奥の方を見ると、小さな「都立中藤公園」との表示があります。

さらに奥には、東京都による都市計画公園事業のお知らせ表示板もありました。

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かなりの広範囲である57.7ヘクタールが公園区域となっているようです。

そのうち色のついた西側の28.41ヘクタール部分が事業認可を取って、用地取得が進められているようです。

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↑先程の小さな公園表示板のあった入口から公園に入って行くと、斜面に登り坂の通路が整備されています。

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↑隣はみかん畑のようで、数多く実っていました。

整備されている開園面積は広くなく、すぐに展望台のような、ベンチのあるところに到着です。

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2018年11月18日 (日)

これまで知らなかったのに地図にある都立中藤公園を目指して探検気分の山歩き

多摩湖の南西側となる狭山丘陵の中央南部辺りに、Googleマップを見ると「東京都立中藤公園」との表示があります。

もっと西に東京都立野山北・六道山公園があることは知っていましたが、中藤公園は初めて聞いた名前です。

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↑ゆったりした田園風景も見られる住宅街を東西に通るこの道路から、地図を見ると公園や池のある北に向けて道があります。

「この先行き止まり」との看板表示されていますが、おそらく自動車のことで、徒歩では通れることでしょう。

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↑この道の入口には、狭山丘陵の緑地があるためか、東京都水道局の「中藤水源」がありました。

進むとすぐに道路は狭くなり、山道となります。

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ちょっとした探検気分です。

気温も少し低くなった気がします。

やがて左手に「魚つり禁止」と書かれていますから、気付きませんでしたがここに池があるようです。

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池は南北に2つに分かれているようで、その間から見てみると水はほとんどありません。

魚釣りどころか魚が居なさそうです。

歩いていると、引っ切りなしに耳元で虫の羽音が聞こえてくるのですが、これがハチなのか、叩いていい虫なのか分からないのが困りました。

Google マップではこの辺に東京都立中藤公園と表示されているのですが、公園らしさは感じられません。

↑Yahoo!マップでは「中藤公園」との表示です。

先程の魚つり禁止は武蔵村山市の名前でした。

やがて、かなり前に見たことのある景色に出会いました。

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↑トンネルだらけの不思議な自転車道の赤坂トンネルです。

6年半前に来ました。

自転車道はここで終点ですが、100メートルほど北に行くと別世界が広がっていたはずです。

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↑しかし、台風の影響でしょうか、倒木のため行けなくなっていました。

この先は人があまり行かず、特に前に来たのは季節も春だったせいか、蝶が飛び交い、ウグイスの声が聞こえる素晴らしい場所でした。

ところで、場所は分かったものの結局のところ都立公園らしさがありません。

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2017年7月23日 (日)

岸田んぼや里山民家のある宮野入谷戸の風景を見に野山北・六道山公園に

多摩湖、狭山湖は狭山丘陵の中央部に造られましたが、その尾根の南西側は雑木林の「都立野山北・六道山公園」となっており、度々訪れています。

なにしろ200ha以上の広さがありますから、まだ行ったことのない場所が数多くあります。

田んぼもあると聞きましたので、そんな風景を見てみたいと思い、行ってみました。

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これまで北多摩地域では田んぼを見たことはありません。

ここでは公園内に谷戸の風景を残そうとしており、「岸田んぼ」があります。

広さは0.5haほどしかないとはいえ、いいものです。

でも、水がありませんでした。

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「日本晴」という、うるち米が植えられていましたが、大丈夫なのでしょうか。

他にも、もち米や古代米も植えられているようで、それぞれに名札が表示されていました。

この公園には狭山湖を取り囲むように、大きな尾根道が東西方向にあるとともに、南北方向にいくつかの短い尾根道があります。

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その尾根の間に、ここのような谷戸が南北方向に食い込むような形であります。

この「宮野入谷戸」は比較的大きいほうです。

暑い日でしたが、ここには日陰もあるし、吹いてくる風も木々があるため少し温度が低いようで、涼しく感じられます。

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ここが公園になる前から、ここには田んぼがあったのでしょうか。

北多摩で田んぼを見たことがなかったと書きましたが、それは平地の部分のことであって、今では多摩湖や狭山湖となっている狭山丘陵近辺には田んぼはあったのかもしれません。

この谷戸のまわりの尾根道のある山というか丘の部分も公園の敷地内です。

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↑「宮野入西の森」と名付けられており、この雑木林の間にも通路があり入っていけます。

少しだけこの雑木林の中を歩くつもりだったのですが、途中で道を間違えてしまい、40mもの結構な高低差があるので、汗だくになってしまいました。

通路以外は入っていけないような斜面の林です。

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2016年6月19日 (日)

多摩地域を不自然に南北に流れる残堀川の謎を探ってみる

残堀川は、瑞穂町から武蔵村山市を通り、立川市、ちょっと昭島市、再び立川市から多摩川に流れ込んでいますが、以前から不思議に思っていることがありました。

東京都区内や北多摩地域内を流れる川は、北東に流れて荒川に合流するか、南東に流れて多摩川に合流するかに分かれます。

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↑東京都建設局HP「東京都河川分布図」より

江戸時代には玉川上水が、多摩川の水を江戸市中に引くために開削されましたが、それはこの東京の分水嶺、分水界というか、西東京の尾根筋に作られました。

この件には興味があり、3年3か月ほど前にも自転車で調べてまわったことがあります。

残堀川は不思議なことに、この話の例外な存在なのです。

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この残堀川は玉川上水と交差しています。

玉川上水が分水界なら、それを横断する川は無いはずだというのに…

↑右から左に残堀川は流れており、奥から手前に向けて玉川上水は流れています。

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そのために、わざわざ残堀川の下を玉川上水が伏越すという、川の立体交差化がされています。

↑玉川上水上流から下流を見ると、こうして水の流れは地下に入っていきます。

そして、残堀川が左から右方向に流れていくため、道路にも橋が架かっています。

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ふせこし工法はサイホンの原理を応用しているそうです。

下流部から上流側を振り返ると、こうして水が出てきます。

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3年ちょっと前に玉川上水の取水口を目指して走り、ここを通った時には、説明板はまだ無かったように思われますが、この日にはあって組みもわかりました。

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明治時代には今とは逆で残堀川が下を潜るように工事されていたようです。

また、そこには重要なこともありました。

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やはりというべきかもしれませんが、驚くべきことが何気なく書かれていました。

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2016年3月20日 (日)

イオンモールむさし村山や若葉ケヤキモールの客足は、ららぽーと立川立飛オープンで減ったか

2006年(平成18年)11月に、華々しくオープンした「ダイヤモンドシティ・ミュー」は、現在は「イオンモールむさし村山」という名前です。

敷地面積137000平方メートル、店舗面積84000平方メートルという広大な面積に、店舗数は約180もあり、当時は近隣に大型ショッピングモールもなかったため、人があふれていました。

そこに昨年末、4.5kmほど離れた場所に大きなライバルが出現したので、どんな様子になっているか、車で見に行ってみました。

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休日とはいえ、予想外にというか、周辺道路は渋滞していて、駐車台数4000台という駐車場も満車で、車を停める場所探しに苦労しました。

店舗内も、オープン当初よりは少ないとはいえ、混雑していました。

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ここには当初は、大きな核店舗として三越とジャスコの2つがありましたが、2009年(平成21年)に三越が撤退してしまいました。

その跡地がどうなってしまうのか不安でしたが、1階はFLAXUSという衣料品店、2階にはスポーツ用品店Victoria、3階に家電量販店のnojimaノジマが入っています。

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2007年(平成19年)、運営会社のダイヤモンドシティがイオンモールと合併したことに伴い、「ダイヤモンドシティ・ミュー」から「イオンモールむさし村山ミュー」に、さらに、2011年(平成23年)、今の「イオンモールむさし村山」に再改称しています。

「ミュー」という名称は微妙でしたが、消えてしまうと寂しいものです。

同じ時期、もう一つの核店舗「ジャスコ」は「イオン」に名称変更されています。

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シネマコンプレックスの「ワーナー・マイカル・シネマズむさし村山」も「イオンシネマむさし村山」と名称変更されていますが、数多くの人がいました。

4か月ほど前の、2015年(平成27年)12月に「三井ショッピングパーク ららぽーと立川立飛」がオープンして、大きな影響を受けて、空いてしまっているかと思っていましたが、そうでもないようで安心しました。

フードコートにもたくさんの人がいます。

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そうなると、同じ立川市にある比較的小さなショッピングモールの方が、打撃を受けてしまっているのかも気になるので、行ってみます。

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