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02小平市

2024年12月22日 (日)

東京最古の私鉄駅である小川駅西口で進められる再開発事業

小川駅と言われても地元の人以外はあまり知らないかもしれません。

西武国分寺線と拝島線が交差する駅ですから、新宿にも国分寺にも直接行くことができます。

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そんな小川駅西口で再開発事業が行われており、タワーマンションができるというので見に行きました。

↑西口階段を降りて交番の裏側から見ますが、全貌がわからないほど駅前です。

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↑「市報こだいら」より

1.2ヘクタールの広さで中央の再開発ビルの南には駅前広場、北には小川にぎわい広場も設置されます。

駅前広場の地下には1200台分の市営駐輪場も作られます。

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↑小平市ホームページより

ビルの高さは27階建になります。

市によると「小平市の西の玄関口にふさわしい地域の拠点として」整備するということです。

小川駅のイメージはブリヂストン工場くらいでしたが、確かに立地的には小平市の西の玄関です。

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6階から27階までは219戸のマンションになり、アトラスタワー小平小川として旭化成不動産レジデンスにより分譲されています。

↑南西から見ており右側が駅なのですが、工事としてはまだ低層部分の工事中です。

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↑南から見ていますが、今いるローソン100の辺りは駅前広場の中央部になるのでしょう。

1階から3階はスーパーなどの商業施設、4階から5階は西部市民センターなどの公共施設となり、令和8年度には完成予定です。

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2021年6月 6日 (日)

多摩野という名の付いた神社とそれがある小平市天神町の地名の由来

地域の呼び名として武蔵野という名称は以前からありました。

そうした「〇〇野」という名称は市町村合併に伴い、あきる野やふじみ野など野のつく自治体名が近年では多く見受けられます。

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↑そうした中ではよくありそうで、実はあまり聞かない「多摩野」という名の神社があります。

新小金井街道と青梅街道の交差点の近くで小平市天神町にあります。

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↑境内は広くなく、社殿もこちらになります。

創建は不詳ですが、江戸時代の享保年間のようです。

この多摩野神社社殿のすぐ後ろには鐘楼があります。

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というよりは延命寺の境内の南西一部が多摩野神社となっているという感じです。

延命寺は享保18年(1733)に武蔵国多磨郡中藤村から引寺されてきたといいます。

多摩野神社はその10年ほど前からあったといいますが、新編武蔵風土記稿では稲荷社とされており、多摩野という名がついた由来はわかりません。

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↑延命寺山門の左にある庚申塔は嘉永3年(1850)に造立されたもので、小平市内にある中では珍しい形であり市有形民俗文化財です。

この延命寺本堂への参道には橋があり、水路が流れていました。

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↑西から東の奥の方に向かって流れているようです。

小平市内にはいくつかの用水路があるようなので少し見てみます。

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2020年11月29日 (日)

砂川用水の二ツ塚緑道と上鈴木稲荷神社にある陸軍経理学校の神社本殿

小平市に府中街道と五日市街道の交わる上水本町交差点があります。

地名になっているように、ここから400メートル程北には玉川上水が流れています。

その途中には玉川上水と平行する東西方向に「二ツ塚緑道」という表示があります。

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これは砂川用水(砂川分水)の敷地で小平市の愛称公募により名付けられました。

一方、交差点を東に少し進むと「五日市街道立坑」と書かれた小さな建物があります。

これは武蔵野線の地下トンネルへの出入り口であることは既に知ったところです。

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↑その隣には上水本町ビオトープ公園があります。

狭いところなのですが南北方向の水路らしきものがあり「砂川用水」と書かれています。

ここは玉川上水から南へ300メートル程のところです。

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↑「明暦3年(1657)開削 流れているのは多摩川本流の自然水です」と書かれています。

玉川上水には多摩川の水が羽村から取り入れられていますが、東大和市駅近くの小平監視所からは地下で東村山浄水場へと水は流れています。

つまり、この辺りの玉川上水の水は東京都の清流復活事業による高度二次処理下水が流れているはずです。

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↑少し北に行くと、右側の敷地は「武6」と書かれており、地図を見ると左の建物手前地下には武蔵野線の地下トンネルが通っているようです。

ここは先程の砂川用水両方の流れを辿った先になるのですが、水路に蓋かけされたようなところが見えます。

多摩川の水の件を調べてみると、砂川用水は文字通り砂川付近の松中橋辺りの玉川上水から取水されているので、その水が流れてきているのなら,玉川上水とは違って本当に多摩川の水ということになります。

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↑ここには上鈴木稲荷神社があります。

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2020年10月25日 (日)

鈴木稲荷神社にある小平市指定文化財の見られる江戸時代後期の彫刻と明治時代初期の鏝絵

小平市には花小金井駅南西に「鈴木町」という地名があります。

また、そこには都道132号線小川山田無線が通っており、一部は「鈴木街道」と呼ばれています。

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↑そこにはさらに「鈴木稲荷神社」があります。

鈴木という名前の由来は江戸時代のようで、この辺りは鈴木新田として開発されました。

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新田と言っても現在は田畑もほとんどなく、すぐ脇は住宅地となっています。

↑といって住宅地でよく見かける神社と違って、神門があり水路を渡る神橋もあります。

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鈴木新田は貫井村(現在の小金井市)の名主である鈴木利左衛門の発願によるものでした。

開発許可は享保9年(1724) だったといいますから、8代将軍徳川吉宗の「享保の改革」の行われた頃です。

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開発宰領人である利左衛門は、境内地として約25000平方メートルを寄進して、貫井村の稲荷神社を新田の鎮守として同じ年に勧請ました。

↑右の木のところに両側への矢印の向いた案内板があります。

ここには小平市指定有形文化財が2つあるのです。

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↑覆殿は土蔵造りとなっており、上部の白壁に絵が描かれています。

鏝絵(こてえ)という漆喰で立体的に表現されたもので、この北と南面には狐の親子が書かれています。

明治時代初期のものですが、さらに社殿裏側にあたる西面には不思議な絵があります。

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2020年6月28日 (日)

ムサビ間を横切る小平市小川の不思議なほど幅は広いが短い道路

青梅街道の小川寺前交差点から南に向かう「美大通り」があります。
通称ムサビ、武蔵野美術大学の前を通るのでついた名前でしょう。
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↑その美大近くに、不自然に広い西方向に向かう道路が出来ていました。
美大通りは左右の方向で、この広い道は数年前にはありませんでした。
↓交差点側を振り返ると、東方向には住宅があり、T字路となっています。
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西武国分寺線の鷹の台駅方面から大学に向かう、東から西に向けて小平市中央図書館前からの「たかの街道」は、玉川上水の流れところで行き止まり、西に向かえなくなっています。
そのため、バスも北向きに進路を変えます。
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となると、さらに西に向かう道が必要なのは理解できます。
しかし、それならば、たかの街道を西に延伸すればいいはずです。
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↑先程の新しい道路を西に向かってみると、見事に武蔵野美術大学の敷地を分断しています。
↓500メートルほどで、再びT字路となってこの道は終点です。
行く先には、住宅ばかりでなく、高圧線鉄塔さえも立っています。
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この南北を結ぶ都市計画道路は小平3・4・23号線で、南の五日市街道から北へ向かい青梅街道や新青梅街道を結んでいます。
この道路も数年前に開通したものです。

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2020年6月 7日 (日)

武蔵野とは何処のことなのかを小平市にある武蔵野神社で考えてみる

小平駅と花小金井駅の中間にある西武新宿線の青梅街道踏切の近くに、武蔵野神社があります。
武蔵野というと吉祥寺のある武蔵野市がまず浮かびますが、ここは小平市です。
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国語辞典によれば、東京都と埼玉県にまたがる洪積台地で、南は多摩川から北は川越市あたりまで広がるとあります。
そう考えれば、小平市の武蔵野神社があってもおかしくはありません。
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武蔵野といえば、国木田独歩の随筆や、野口五郎の歌う「むさし野詩人」も浮かびます。
その歌詞にも出てくる「武蔵野公園」は、小金井市と府中市にまたがっています。
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しかし、wikiによるとこの「むさし野公園」は井の頭恩賜公園をイメージしているといいます。
作詞した人にどうなのか確認したいものです。
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改めて歌を聞いてみたら「映画帰りにここまで来たね」とあります。
となると、野川や東八道路に近い武蔵野公園ではなく、映画館のある吉祥寺駅に近く、武蔵野市と三鷹市にまたがる井の頭恩賜公園がこの歌の舞台なのでしょう。
調べていたら、作詞家にも驚きました。

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2020年5月10日 (日)

小平霊園内で行われている道路工事と新青梅街道側入口前のサイゼリヤの想定外の後継店

小平霊園は、小平市、東久留米市、東村山市に跨る広い敷地の都立霊園です。
外出自粛のため、遠出できない数多くの人が散歩やジョギング、犬を散歩させたり、ヤギを散歩させている人もいました。
その新青梅街道側のお盆時期しか車は入れない、通常は歩行者、自転車用の入口を入ると、すぐのところで工事が行われています。
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新青梅街道に沿った道路の舗装が剥がされて、砂利道となっています。
道路排水とともに道路(園路)整備をするようです。
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↑働き方改革の一環なのでしょうか、「週休2日確保試行工事」と書かれています。
小平霊園内では近年こうした工事が順次実施されているようで、既に完了したところはこんな様子です。
V型側溝に雨水を流し、集水桝で集めるようですが、雨水浸透桝ではなさそうです。
小平霊園内では、最近こうした工事が順次実施されており、既に完了したところはこんな感じです。
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幻の湧水と言われている「さいかち窪」に水が湧いた様子を、何度かこのブログでも見てきました。
その時には、さいかち窪の敷地に向けて南から流れ込む水流もあった気がします。
あれはこうした道路排水だったのでしょうか。
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↑この日はいつものように、さいかち窪に水は無く、ここから北の黒目川への流れは枯れています。
小平霊園内や周辺に浸み込んだ雨水が集まって、さいかち窪の湧水になっているはずです。

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2020年5月 3日 (日)

小平市の小川駅付近を東西に立体交差する都市計画道路の事業が進められている

西武拝島線と西武国分寺線の小川駅の西口には、南北方向に富士見通りという広い道路が通っています。
しかし、その道を南に向かうと、西武拝島線の手前で細い路地となってしまい、直角に西向きのこぶし通りという道路と繋がっています。
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南北方向の道は、小平3・4・21号線という東村山市富士見図書館の辺りからここまでの開通済みの都市計画道路です。
もう一方の、東大和市方面に向かって西武拝島線と平行して真っ直ぐ西に向かっている道は。小平3・4・10号小平大和線という別の都市計画道路です。
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この東西方向の都市計画道路の東に向けての延伸計画が事業化されています。
平成28年に策定された都による第四次事業計画でも、優先整備路線に位置付けられています。
西から東を見ると、現在は畑で、その先には家屋等があります。
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さらにその向こうには西武国分寺線と北に向きを変えた拝島線の線路があります。
その場所の様子を見ようと行ってみましたが、家屋等の建物が線路に沿ってあり、左には行けなくなっています。
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↑4階建ての建物の先の辺りで、この道路を横断するように計画線が通っています。
この道路計画は線路の下をアンダーパスする単独立体交差事業となっています。
先程の道を100メートルほど南に行って、西武拝島線の踏切から立体交差となる方向を見てみました。
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わかりにくいですが、新宿方面に東に向かっていた西武拝島線はここで北に向きを変え、同じく北向きの国分寺線とすぐ先で合流するところです。
その合流直前辺りが道路計画線です。
線路の向こう側(東側)には道路があるようなので、そちらから見てみることにします。

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2016年10月16日 (日)

黒目川のまぼろしの源泉である小平霊園の「さいかち窪」に久々の湧水を見る

東久留米市から埼玉県を通り、新河岸川と合流する荒川水系の黒目川は、小平霊園内のさいかち窪が源泉とされています。

しかし、ここに水が湧いていることは滅多になく、「まぼろしの湧水」といわれています。

平成27年には7年ぶりに水が湧いたということで、東久留米市HPの写真ニュースに掲載されているほどです。

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↑この2haほどの雑木林の中に、さいかち窪はあります。

このブログでも何回か見に行ってきましたが、水はありませんでした。

今年、平成28年はお盆休みの頃までは水不足と言われてきましたが、その後、数多くの台風がやって来ており、降水量は多いはずですから、湧水があるのではないかと期待して行って来ました。

10月11日体育の日のことです。

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↑すると、雑木林側から新青梅街道をくぐる土管に向けて水の流れがあります。

平成になってからの湧水の記録で調べてみると、平成3年、9年or10年、16年、20年、そして平成27年に水が湧いたといいますから、今年たった1年ぶりで湧いたとなると奇跡的ともいえます。

勢いよく流れてくる水を上流へたどっていきます。

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あまり人が入っていかない雑木林の中なので、滑らないように気を付けながら歩かなくてはいけません。

こうして写真を撮っていると、耳元で数多くの虫の羽音がします。

手で払っても、すぐに近づいてきます。

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↑やがて、窪地に小さな池のようになった水溜まりがあります。

さいかち窪に水が湧いているのです。

私が前回これを見たのは平成16年だったはずですから、12年ぶりです。

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再び見てみたいと思っていた光景を、ついに目にすることができました。

大きさとしては、長さで50mくらい、幅は広いところで10mくらいでしょうか。

そして、この手前の上流側には水はありません。

ここがこの時の黒目川の上流端です。

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しかし、さらに先には、明らかに水の流れがあった跡と思われるものがあります。

この水路跡を歩いて、雑草の間をぬって、上流方向にたどってみます。

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2015年1月31日 (土)

バス停の通信住宅って北多摩陸軍通信所の官舎だったとは

小金井街道を通る西武バスの停留所に「通信住宅」というのがありました。

近くにそれらしいNTTの社宅も見当たらないし、ちょっと不思議に思っていました。

東久留米市が「北多摩陸軍通信所跡」を、平成26年9月に旧跡として文化財指定したことからその謎が解けました。

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↑小金井街道と滝山中央通りの滝山東交差点を北東方向から見ていますが、味の民芸の向こう側には、かつて「北多摩陸軍通信所」があったそうです。

昭和8年(1933年)、海外無線の傍受を目的に、田舎で電波状況の良好な久留米村前沢に受信所が建設され、その南側に職員用の官舎も建設されました。

現在の東久留米市前沢五丁目と小平市花小金井四丁目が複雑に入り組んでいるところで、敷地は両市にまたがっています。

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↑昭和22年に米軍撮影の写真によると、上下(南北)方向の小金井街道と、斜めの滝山中央通りは狭いながらもこの頃からあるようですが、その他にはこの施設しかありません。

現在はほとんど私有地になっていますが、上の写真で官舎がいくつも立ち並んでいる真ん中にある広場は、今でも広場です。

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東久留米市の管理する前沢南公園となっていますが、敷地は今でも国の所有のようです。

古い写真の円形のものは防火水槽だったようですが、今でもその名残が残っていました。

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その右に、昨日降った雪で作った雪だるまが二つあるのが、今の時代の平和を感じさせています。

では通信所のあった辺りもどうなっているのか見てみます。

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