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60福島県

2018年11月11日 (日)

安積発祥の地といえる安積国造神社で進みゆく紅葉を見る

安積というと安積疏水が有名で、場所的には郡山の辺りかな位しか分かっていませんでした。

郡山に行ったので、郡山駅周辺を歩いていると、西に向かい5分程度のところに「安積国造神社」がありました。

国造といえば、「くにのみやつこ」と読むのを習ったことを思い出しました。

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はるか昔、3代成務天皇5年(135年)のことですが、比止禰命(ひとねのみこと)が、初代安積国造に任ぜられて安積国を建国したといいます。

そして、神社を創建して、和久産巣日神と天湯津彦命禰命を祀り、比止禰命の死後には比止禰命が合祀され国造神社となったそうです。

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安積国の開祖が祀られているということです。

ここは郡山総鎮守、安積発祥之宮である安積国造神社となります。

三の鳥居の先には「安積発祥」という碑と石もありました。

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歴史的にはその後にも、坂上田村麻呂の東征の際には宇佐八幡大神が祀られました。

また、東北遠征時の源頼義が戦勝祈願し、義家は神領を寄進したとあります。

拝殿はすぐ先にあります。

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立派な歴史を感じられる拝殿ですが、1810年(文化7年)に再建されたものです。

郡山市内では数少ない江戸時代の現存する建築物となります。

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↑正面以上に斜めから見ると、一層美しさが際立ちます。

安積というのは、郡山市と合併した旧安積郡の範囲だけでなく、古くはほぼ郡山盆地全体という広い範囲の国名だったそうです。

大化の改新後は陸奥国の一部となりました。

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↑この神社の境内はさほど広くはありませんが、様々な建築物があります。

やはり、本殿が気になるところです。

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2018年5月13日 (日)

鶴岡ではなく亀岡八幡宮を居城を移すたびに作った伊達氏の梁川八幡神社

伊達市には福島県指定文化財の史跡・名勝が「梁川城跡及び庭園」だけでなく、もう一つあります。

「旧梁川八幡宮並びに別当寺境域」です。

梁川城からは20分近く歩いてくると参道がありますが、かつては城から八幡宮まで延々と続く松並木の参道があったようです。

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前にも書いたように、文治5年(1189年)源頼朝が奥州平泉の藤原泰衡を討つ際に活躍した中村入道念西一族が、頼朝から恩賞として伊達郡を拝領し、姓を伊達としました。

最初は高子岡に居城して、鎮護の神として亀岡八幡宮を山上に祀りました。

11代伊達持宗が居城を梁川に移すと、八幡宮も梁川に移したと言います。

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↑境内にあるこの鬼石観音堂は信達三十三観音の最終札所として信仰を集めたそうです。

伊達氏の氏神として、鎌倉の鶴岡八幡宮に分霊を請じ迎えて祀ったのが亀岡八幡宮です。

梁川城を鶴が岡、八幡神社を亀が岡と呼び、かつては伊達氏の総鎮守でした。

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↑周囲には池がありますが、これは当時のものが一部現存しているものです。

その後、14代伊達植宗が居城を西山桑折へと移した際、八幡宮も桑折に移されました。

次に米沢に移った後には、再びここ梁川に戻されたそうです。

天正10年(1582年)には、有名な17代の独眼竜政宗が、初陣の際、必勝祈願のために参詣しましたといいます。

居城が仙台城に移ると、八幡宮も仙台に移されました。

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↑現在は梁川八幡神社と言いますが、その拝殿の屋根の上には一部シートが被せられています。

瓦崩落危険と書かれたロープが張られています。

ここから先は入れないのかと思いましたが、軒先の瓦が落ちてこない横のところから入って参拝できるようになっていました。

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↑残念なことに、本殿は本格的に修理工事中のようで、全てがシートに覆われていました。

こちらは延享2年(1745年)に改築されたものだと言いますから、見たかったものです。

でも代わりと言っては何ですが、素晴らしいものがすぐ横にありました。

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2018年5月 6日 (日)

伊達市にある伊達氏の梁川城は一時期には奥州の政治的中枢となっていた

独眼竜政宗として伊達氏は有名であり、場所としては東北地方の中でも、仙台をイメージする人が多いと思います。

福島県には伊達市がありますが、あの伊達氏とは関係ないと思われてしまうでしょう。

しかし、奥州攻めの手柄として源頼朝から伊達郡を領地として与えられたことから、伊達氏を名乗るようになったのですから、こちらが本家です。

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↑鎌倉時代に築城されたという伊達市の位置する梁川(やながわ)城は、南に広瀬川、北には塩野川が流れる平山城で、11代伊達持宗から14代稙宗まで伊達氏の本拠として整備されました。

城跡は梁川小学校、中学校、高等学校の敷地となっていますが、一部保存されています。

上の案内図もある北東側の入口から攻め込もう?とすると、かなりの急斜面の上にあることがわかります。

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↑ここはGoogleマップでは梁川城跡と表示されるところで、少し前までの梁川小学校の入口にあたりますが、ロープが張られて立入禁止になっているようです。

そこで、南側にまわり城跡を見てみます。

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↑こちらには、梁川城本丸跡、庭園「心字の池」との案内板が立っています。

低い微妙な位置にはロープがありますが、「ここをまっすぐ」とも書かれています。

ロープは車止めの意味であると解釈して中に行ってみました。

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やはり人が入ってくることが想定されており、福島県教育委員会による案内板もあります。

福島県指定史跡であり、名勝ともなっています。

中世の城郭内庭園では、梁川城のように本丸に庭園が現存する例は少なく、この心字の池は極めて貴重といいます。

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梁川城の築城年は明確にはわかっていませんが、少なくとも嘉吉元年(1441年)に、11代持宗が梁川に輪王寺を創建した記録から、その前には梁川城に居城していたことは間違いないといいます。

石垣も見られます。

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大永2年(1522年)に14代稙宗が室町幕府から陸奥国守護に任命されたことから、梁川が奥州の政治的中枢の位置を占めるようになったと伊達市HPにありました。

↑奥の少し高くなったところに建物らしきものがあるので城と関係するのか見てみましょう。

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2018年4月29日 (日)

福島城のあった場所とその名残と福島という名前の由来、そして日銀東北初の出張所

かつて藩の城が位置していたところに明治維新後、県庁があるところが日本中に数多くあります。

福島県も同様で、福島県庁のあるところに福島城があったようです。

しかし、そこは県庁周囲に堀があるわけでもないし、そもそも福島城ってあまり聞き覚えがありません。

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↑県庁前の案内板を見ると、やはりここに福島城があり奥州街道も通っていたようです。

城郭どころか、本丸、二の丸、三の丸などの区画さえ今では残っていません。

福島県の城というと、会津城の方がずっと有名です。

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↑わずかにある福島城の名残りとしては、県庁駐車場隣りにあるこの紅葉山公園です。

ここは「二の丸御外庭」という江戸時代の福島藩主板倉重寛により設けられた庭で、ケヤキの大木も当時のものだたそうです。

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また、ここには県指定有形文化財の宝塔があります。

大佛城跡出土宝塔で、弘安六年と刻まれており、1283年のものとなりますから、鎌倉時代のものです。

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この辺りにはかつては杉妻(すぎのめ)寺があったということです。

この宝塔は厳密には、県庁西庁舎南の位置から出土したといいます。

そこには、もう一つある福島城の名残である土塁がありました。

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案内板には、平安時代末に信夫庄司佐藤氏一族の杉目太郎行信が居住した杉妻城があったとありました。

また、福島市HPによると、文治5年(1189年)、初代伊達朝宗が奥州攻めの手柄として源頼朝から伊達郡を領地として与えられ、伊達家を名乗り住むようになり、信夫の里の杉目(すぎのめ)郷と呼ばれたここに応永20年(1413年)ころ、当時の伊達盆地の支配者である伊達持宗が城を築いたとあります。

杉妻(すぎのめ)寺の大仏堂があったため杉妻(杉目)城、または大仏城と呼ばれていました。

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城の南東には阿武隈川が流れていますから、こちらは天然の要害となっています。

↑江戸時代の寛文年間に、幕府に命じられた河村瑞賢が江戸までの年貢米の輸送する「東回り航路」を開発して、ここ福島河岸は福島藩、米沢藩の御米倉専用の船着場となり、それが復元されています。

右の壁に何か表示があるのが気になります。

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