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56静岡県

2015年10月 4日 (日)

浜岡原発の防波壁を見に行ってみた、と、NERV購買部足柄出張所って何?

2011年3月の東日本大震災の津波による福島第一原発の事故後、中部電力では7月に津波による浸水防止対策の一つとして防波壁を造ることを発表していました。

その防波壁がほぼ完成したというので、3週間前(2015年9月)に見に行ってきました。

といっても、セキュリティの関係で原発の施設には入ることはできません。

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原発の敷地内にある浜岡原子力館の展望台から見て見ることとします。

↑3年前に見に行った時はこんな感じでした(2012年10月の様子です)。

今回は防波壁にズームアップして撮影したいと思います。

↓同じく3年前(2012年10月)に展示コーナーにあった防波壁の実物大の模型です。

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2012年8月の内閣府による、南海トラフの巨大地震モデル検討会の第二次報告を受け、中部電力ではその年12月には、さらに津波対策を強化すると発表していました。

↓現在は、原子力館での展示の防波壁も少しだけ(4m)高くなり、たて壁下部も補強されたものとなっています(ここから以降の写真は現在(2015年9月)です)。

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原発の海沿いには砂丘堤防がありましたが、まずこれが海抜12m以上になるように嵩上げ工事され、2014年10月には完成しています。

さらにその内側に、この模型にある海抜22mの防波壁が造られています。

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当初18mの計画でしたが、嵩上げされて22mになりましたが、その4m部分はあまり頑丈そうには見えませんが、波力には耐えられるとのことです。

これが、1.6kmの長さに渡って造られました。

倒壊してしまった釜石港湾口防波堤とは構造が違うから、大丈夫だという説明もあります。

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下調べも終わったので、それではいよいよこの防波壁の全体像を展望台に見にいきます。

ところが、展望台行きエレベーターに乗ってびっくり!

なんと、展望台は撮影禁止との張り紙があります。

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2015年9月27日 (日)

高天神城の西峰は武田氏が守備固めした堀切や切割がすばらしい

静岡県掛川市にある高天神城の東峰に行った前回の続きで、西峰の方に行ってきました。

二つのコブのような形になっている東峰と西峰の間の谷の部分も、かなり高いところにあります。

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↑南方を見渡すことができるので、遠州灘の風力発電のプロペラがいくつも見えます。

また、南側も急斜面であることがわかります。

西峰の方を登ると、二の丸跡があります。

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この城の攻防戦で後期はこちらの西峰が中心となったようです。

北と東と南は急斜面で、攻めづらい地形となっている中、西だけが緩傾斜の尾根が続いているのです。

そのため、西側には長い横堀が造られています。

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実際に、徳川方の城を武田軍は、1574年(天正2年)の戦いでは西から攻めて、奪いました。

そのため、武田軍は西がこの城の弱点であることがわかっていたため、この横堀(空堀)を整備しました。

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空堀と通常書きますが、ここにある標識によると「隍堀(からぼり)」と書いてありました。

西の斜面を覗き込んでみると、十分に急斜面のように感じられます。

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ここを武器を持って駆け上がってくるのは、かなりきつそうに思われます。

この横堀を突破されたことも想定されています。

深い堀切があります。

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尾根上を進んでくる敵の攻撃を阻むため、尾根を切り開いて造られました。

発掘調査の結果によると、この上部を繋ぐ橋が架けられていたそうです。

普段は橋で行き来し、攻め込まれてきたら、橋を壊してたのでしょう。

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↑西の丸跡周辺は、高天神社となっています。

東峰にあったものが江戸時代になってから、こちらに移転されたものです。

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さらに西側に進むと、深い切割があります。

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2015年9月20日 (日)

武田徳川が争い、難攻不落の名城といわれた高天神城跡に行く

高天神城は、静岡県掛川市にある標高132mの鶴翁山を中心に造られた山城です。

「難攻不落の名城」や「高天神を制するものは遠州を制する」といわれた要衝で、小笠山の北を通る東海道を牽制できる立地条件にある重要な城であったため、徳川氏と武田氏が争奪戦を繰り広げました。

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北側と南側に入り口があるようですが、今回は車で行ったので駐車場の数の多そうな北口から行きました。

のどかな田園風景の中に山があります。

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高天神城跡は国指定史跡となっており、山の上には高天神社があり参道として、そしてハイキングコースとしても登れるようになっています。

しかし、土曜日の夕方に行きましたが、車は数台止まっていたものの、結局、山中というか城跡内では誰ともすれ違いませんでした。

まず、搦手門跡の方から登って行きます。

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この城の北と東と南の斜面は、断崖絶壁という感じで、急な階段をハーハー息を切らせながら登っていきます。

その階段も三日月井戸のところでは、ヘアピンカーブのように曲がっており、いかにも攻めにくそうです。

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室町時代に今川氏により築かれたとされ、今川氏の滅亡後、徳川家康の持ち城となり、小笠原長忠が城主となりました。

武田信玄が1571年(元亀2年)に攻めますが落とせず、1574年(天正2年)、信玄の息子・勝頼が二万の大軍で攻め、ついに開城させ、まず徳川方から武田方の城になりました。

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↑少し平らなところがあり、かな井戸のある井戸曲輪跡に到着です。

ここを境に東峰と西峰に分かれています。

それぞれが独立した城のようになってますが、東峰と西峰を合わせて1つの城を形成する一城別郭式の縄張りとなっています。

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では、東峰に登っていきましょう。

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2015年2月22日 (日)

全国に4つしかない現存する城郭御殿の一つである掛川御殿

御殿というと、身分の高い人やお金持ちの邸宅のことをいいます。

近世の城にあっては、儀式・公式対面などの藩の公的式典の場、藩主の公邸、藩内の政務をつかさどる役所という3つの機能を合わせ持った施設のことをいいます。

静岡県掛川市にある掛川城御殿は、現存する数少ない城郭御殿です。

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本丸御殿は川越城と高知城、二の丸御殿は京都二条城とここ掛川城にしか、現存した城郭御殿は無いそうです。

先週ご紹介した天守閣は再建したものでしたが、こちらの御殿は江戸時代後期の建築物で、国重要文化財にも指定されています。

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旧御殿が嘉永7年(1854年)安政の大地震で倒壊したため、時の城主太田資功によって、安政2年(1855年)から文久元年(1861年)にかけて再建されたものです。

 安政2年から明治2年(1869年)までの14年間は掛川藩で使われましたが、廃城と同時に勤番所と徳川家兵学校に転用され、廃藩置県とともに掛川宿に無償下附され、聚学校、掛川町役場、市庁舎などに使用されました。

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建築様式としては7棟からなる書院造で、畳敷きの20もの部屋が連なり、各部屋はふすまによって仕切られています。

江戸時代の藩の政治や大名の生活が偲ばれる貴重な建物です。

天守閣との共通入館券(410円)で中に入れます。

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屋根組みだって、同じ木造とはいえ再建された天守閣よりも、古い渋い良さがあります。

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御殿から出て、振り返って正面玄関を見てみると、やはり美しい。

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2015年2月15日 (日)

日本初の木造で復元された掛川城天守閣

東海道新幹線に乗ると、左右どちらの窓側に座るか悩んでしまいます。

進行方向左側3人掛けの窓からは、海が見られます。

右側2人掛けの窓からは、富士山が見られます。

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結局、右です。雲のかかっていることもありますが、この日は良く見えました。

新幹線から写真を撮るのは初めてでしたが、防音壁や電線や架線柱などがあり、意外と難しいものでした。

さて、この日は所用があって、静岡県掛川市に来ました。

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昭和39年(1964年)開通から20数年間、静岡駅と浜松駅の間に新幹線の駅はありませんでしたが、昭和63年(1988年)に、掛川駅にもこだま号が止まるようになりました。

南口はどこにでもよく見かける、いかにも新幹線の駅という雰囲気ですが、こちらの北口は木造駅舎です。↑

昭和15年(1940年)に建てられたもので、新幹線停車駅としては唯一の木造駅舎だそうで、木造駅舎保存運動により、元の資材を活用して耐震化工事を行い、平成26年(2014年)1月26日に供用開始したとのことです。

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ところで、電車で旅をするときは車窓を見ていて、様々な新しい建物が建ったりするのを楽しみに見ていますが、東海道新幹線に乗っていて、ある日当然、城が建ってびっくりしたことがありました。

これまでも、鉄筋コンクリート造で復元された城はありましたが、平成6年(1994年)に日本で初めて木造で復元されたという、掛川城天守閣です。

140年ぶりに再建されました。

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戦国時代に駿河の守護大名であった今川氏が、遠江支配の拠点として重臣朝比奈氏に築かせたといわれています。

永禄3年(1560年)桶狭間の戦いで、今川義元が織田信長に討たれると、永禄11年(1568年)義元の子氏真は甲斐の武田氏に駿河を追われ、掛川城に立て籠もりました。

徳川家康がここを攻めましたが、この時、井戸から立ち込めた霧が城を包み、攻撃から城を守ったという「霧吹き井戸」です。↓

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長期にわたる攻防の末、和睦により開城され、家康領として重臣石川氏が入り、武田氏侵攻の防御の拠点となりました。

天正18年(1590年)豊臣秀吉が全国平定し、徳川家康が関東に移されると、掛川城には秀吉配下の山内一豊が入りました。

山内一豊の妻が有名ですが、その一豊が天守閣をつくったのです。

では、そこに入ってみます。(入館料410円でした。)

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2012年11月 9日 (金)

横須賀城跡と駿遠線廃線跡をめぐり、再び新幹線輪行

太平洋岸自転車道とはお別れして、旧大須賀町の市街地へ行きます。

古い街並みの残る、いいところですが、平成の大合併により、掛川市の一部となりました。

ここには、かつて横須賀城がありました。

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戦国時代の末期、天正6年から8年(1578~1580)にかけて、徳川家康の家臣大須賀康高によって築かれました。

当時この辺りは、西の徳川勢力と東の武田勢力の境界に当たり、攻防が続きました。

6km東にある武田方の高天神城を攻略するために造られたようです。

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横須賀城は、中世城郭と近世城郭の二つの特徴を持った平山城です。

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高天神城は天正9年には落城し、その後は横須賀城が遠州南部の拠点となりました。

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その後、明治維新で廃城となるまで、288年間、20代の城主を数えます。

現在は公園のようにきれいに整備されており、本丸跡からのどかな景色が見られます。

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古い街並みの中には、清水邸庭園があります。

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清水家は江戸元禄時代に回船問屋を営み、藩の御用達を務めるなど、栄えた旧家です。

江戸時代中期に作られた回遊式庭園があります。

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さて、ここ大須賀町からはそろそら帰る方向に向かうこととし、東海道本線を目指します。

ここで聞き覚えのある、静岡鉄道駿遠線の廃線跡を通って、袋井駅を目指します。

昨日通った地頭方駅付近から、私は海岸沿いを走ってきましたが、この駿遠線は少し海から離れて通っていましたが、ここから再び合流します。

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(↑ 昨日の地頭方で撮った写真ですが、路線の全体像がわかるかと思い、再掲します。

今回は、この地頭方から新横須賀まで、駿遠線では20km位のところを、海沿いに先端の御前崎を通り、遠回りしながら40km位を走行してきました。

新横須賀駅付近からのこの廃線跡は、静岡県道41号袋井大須賀線と、くっつき離れしながら、ほぼ並行して北へ向かいます。

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上の写真の、建物を挟んで右が県道、左の細い道は廃線跡の自転車道兼ウォーキングコースです。

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のどかな気分で楽しく走れます。

この廃線跡はこうしたホーム跡が残っているところもあります。

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五十岡と書いて、いごおかと読みます。

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袋井市としては、ウォーキングコースとして親しめるようにしているようで、地図情報も豊富です。

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県道の西側を走ってきましたが、旧浅羽町(合併して袋井市の一部)浅名の旧町役場の辺りからは、県道の東側を通り、舗装も単なるアスファルト舗装ではなく、インターロッキング舗装となってきました。

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やがて、袋井駅の近くにくると、快適な一本道も、県道と合流してしまいます。

私はこの後も廃線跡と思われる道を探し歩き(走り?)、道を間違えてしまいましたが、新幹線のガードをくぐるまで県道の一部がルートのようです。

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その新幹線ガードは、今でも「駿遠線架道橋」の名前となっています。

なんでかと不思議に思いましたが、東海道新幹線の開通したのは昭和39年ですが、この辺りの駿遠線は昭和42年に廃止されたので、建設当時はまだ存在したようです。

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袋井駅近くで廃線跡は、再び県道を離れ、駅南口へ向かいます。

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そして、駅近くは入ることができません。

JR東海の袋井駅は北口しか改札はありませんが、南側に、駿遠線のものかと思われるホームはあるようです。

ここからは進めないので、県道を通って迂回して、北口に回り、袋井駅に到着しました。

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ここは、東海道五十三次のひとつ、袋井宿のあったところで、江戸から数えても、京都から数えても27番目なので、「東海道どまんなか」ということだそうです。

本陣跡もありました。

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袋井駅からは輪行で、東海道本線で掛川駅に行き、15時3分発こだま658号で東京駅に向かいます。

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今回は最後列の指定席がとれました。

二人席の窓側E席はなく、三人席の窓側A席です。

始発ではないので、座席後ろのスペースが空いているか不安でしたが、大丈夫でした。

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自分以外の人が座った時を想定して、リクライニングシートをフルに倒しても邪魔にならないか実験してみました。

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このようにまだ余裕があります。

ちなみに、E席の後ろにも輪行袋が置かれていました。

この自転車はどうも最後列の方のものではないようでした。

そして、東京駅から中央線に乗り換えて、家路につきました。

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この日の走行距離は40.25km、平均時速は17.40km、消費カロリーは977kcalでした。

二日間では、走行距離101.54kmとなりました。

1日で100km以上走っている人も多いと思いますが、私は40~50km位がせいぜいだったので、二日目の上り坂では膝が痛くなり、困りました。

また、駅の階段の昇り降りで、歩いても膝が痛いことに気づき、後まで残るかとちょっと焦りました。

今では、痛みはありませんが、無理しちゃ、いけないんだなと感じました。

では、3回に渡りお読みいただいた方、長い間お付き合いいただき有難うございました。

2012年11月 2日 (金)

太平洋岸自転車道で行く浜岡原発と浜岡砂丘

御前崎灯台を後にして、再出発です。

引き続き、太平洋岸自転車道を走りますが、ここからは正式名称は「静岡県道第376号線浜松御前崎自転車道線」となります。

道路のガードレールで仕切られた歩道部分が自転車道です。

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歩行者は全くと言っていいほどいないので、車を気にしながら車道を走るよりは、この歩道を走る方が快適ですが、所々にある「この砂」(上の写真)が走行の妨げになります。

また、この先に登り坂が見えますが、海沿いとはいえ、こうした多少のアップダウンはあります。

坂を登り切りると、楽しい下り坂です。

彼方には、高圧送電線鉄塔が多数見えています。あそこが次の目的地「浜岡原子力発電所」でしょう。

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近づいてみると、まずあったのは風力発電所でした。

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近くで見ると結構大きく高さ120mで、30階建てのビルに相当します。

1基で、一般家庭1500世帯分の発電をするそうです。

そして、いよいよ浜岡原発に到着したかと思えば、解体中の建物がいくつも見えて来ました。

原発は運転停止中とは聞いていましたが、既に解体まで始まっているのかと驚いていたら、勘違いでした。

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浜岡東芝エレクトロニクスという会社の建物でした。

でも、原発の原子炉停止の影響かなと思いながら走っていましたが、後で調べてみると半導体関連の工場だったようです。

そして、思ったより遠く、御前崎から10kmほどで、ようやく浜岡原発に到着です。

原発本体は関係者以外は入れませんので、PRのために作られた「浜岡原子力館」を見てみます。

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ここには、原子炉の実物大の模型があります。

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意外と大きくて、びっくりしました。高さ22mあるそうです。

また、原発の中央制御室のモデルもがあります。

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さらに、話題となっている津波対策の防波壁も実物大のものがありました。

海抜6mのところに、高さ12mの壁を設置するので、合わせて18mの波に耐える高さとのことです。

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どうやら、この防波壁は現在建設中のようです。

展望台へ行くエレベーターがあるので、見に行ってみます。

海抜62mの高さということで、いい景色が良く見えます。

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浜岡原発が一望できます。

たまたま、この展望台では地方議会か自治体の視察の団体さんへの説明をしているところでした。

1階には、大学の先生がゼミの学生を連れての見学かと思われるような集団がいました。

個人で見学に来ているのは、私くらいでした。

ところで、防波壁を見てみると、まさに工事中です。

海沿いにクレーンや壁が見えます。

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今、津波来たらどうなるのかな、ここは高いからいいけど、壁は工事中だから、原子炉はどうなるのかな、冷却はされているのかななどと、いろいろ心配になってきます。

となりには、新エネルギー館という太陽光発電や風力発電のPR館もあり、どちらも運営は中部電力です。

こちらの模型では今日走ってきたルートを改めて見ることができました。

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出発した島田駅や大井川よりも手前しかありませんが、それでも走ってきた海岸線の形などは確認できました。

さて、本日はこの浜岡の市街地に宿泊することとします。

原発の原子炉が停止され、技術者などのニーズがなく、まちは閑散としてホテルはガラガラかと思われましたが、私の宿泊したビジネスホテルは結構、宿泊客がいたように思いました。

メンテナンスもあるでしょうし、防波壁の工事関係者もいるのでしょうか。

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この日の走行距離は61.29km、平均時速18.83km、消費カロリー1447kcalでした。

さて、次の日、まずブログタイトルを思い起こし「御前崎市立図書館アスパル」に行きました。

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浜岡町(平成の大合併により、御前崎町と合併し、御前崎市)といえば、やはり原発立地の町として、公共施設が充実しているイメージがあります。

図書館はどうかなと思って来てみると、意外と普通の建物に見えます。

しかし、左に行ってみると、

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やはり、旧浜岡町で約25000人、合併後の御前崎市で35000人の人口の図書館としては立派です。

この円形の部分はどうなっているのか、入ってみました。

雑誌コーナーの横には、座敷で読めるところがあります。

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座席数も数多くあります。

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窓の向こうにもうひとつ円形が見えます。

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こちらはビジネス支援コーナーといった感じです。

また、電動書架もありました。

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ここは一般の人も入れるようになっています。

図書館はざっと見ただけですが、この天気のいい中、先を急ぎます。

太平洋自転車道をその名の通り、海沿いを通るところが多いのですが、浜岡原発の立地しているところは、原発の陸地側を通っています。

原発の西から再び海の近くとなりますが、ここには浜岡砂丘(浜岡大砂丘)があります。

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足元の悪い砂浜を登っていくと、視界には一面、海です。

右を見ても、

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左を見ても、

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前を見ても、

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太平洋です。

ここで、ボーっと海を見ていたら、あっという間に時間が過ぎてしまいました。

しかも、季節外れの日焼けをしてしまいました。

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さて、再び、自転車道で西に向かいます。

河津桜の並木ですが、季節外れにポツポツと花が咲いていました。

22℃の気温で長袖では汗だくになる気候なので、春と勘違いしてしまったのでしょうか。

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ここからは再び自転車専用道です。(車がいないという意味で、歩行者は当然通れます)

多少のアップダウンはあるものの快調に走れます。

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自転車道は、防砂林の海側を走ったり陸側を走ったりするので、海も見えたり見えなかったりで、飽きない景色が続きます。

でも、やはり海沿いは気持ちいいです。

それにしても、誰ともすれ違いません。

歩行者は当然としても、自転車とも会いません。

やがて、自転車道とは思えないような立派な橋があります。

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菊川を渡る潮騒橋です。

ただ、上の写真にもあるように砂がたまっているのが、玉にきずです。

ところどころ、全面に溜まっていて、ハンドルをとられます。

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一応、砂がたまって通りにくい場合の連絡先はあるのですが、箇所数があまりに多すぎて、これを連絡していたらクレーマーとなってしまいそうです。

ところで、上の写真左にある「赤ずきんちゃん西」ってなんでしょう。

わからないままでした。

この海沿いの道も、旧大須賀町あたりでお別れすることとします。

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見飽きるほど見た海も、お別れとなると悲しいものです。

ちょっと、長くなってきたので、この続きは次回とします。

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2012年10月27日 (土)

新幹線輪行で行く大井川、御前崎

10月25日朝6時に家を出て、初めての新幹線輪行で静岡県に行きました。

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7時26分発こだま635号です。 

景色の見れる窓際で、後ろに自転車が置ける最後列の指定席を確保したかったのですが、あいにく後ろから2列目の窓際E席です。 

自転車をおいて、いちおう最後列の方に一言ご挨拶。

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平日朝の下りこだま号の指定席って、すいていると思っていましたが、途中でほぼ満席になるんですね。

9時前には静岡駅に着き、東海道本線に乗り換えですが、電車が来ない。

約20分の遅れでしたけど、まあ急ぐ旅でもないからいいか。

そして、島田駅に到着です。

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田舎の駅を想像していたら、立派な駅舎でちょっとびっくりしながら、いつものDAHON speed p8でスタートです。

まずは、すぐ近くに流れる大井川沿いで海に向かうのですが、東海道本線もこの辺りでは、20kmほど海から離れています。

江戸時代に「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」と言われた、あの川で、当時は架橋が許されていませんでした。

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現在は、当然のようにいくつも橋はありますが、世界最長の木造歩道橋としてギネスにも認定されている「蓬莱橋」に行きました。

全長897.4m、通行幅2.4mで、歩行者も自転車も100円かかります。

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さすが木造で、自転車で走るとカタカタ揺れるので、水面の上ではちょっと不安になります。

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反対岸まで行って帰ってきました。

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観光客らしき人も十数人渡っていましたが、対岸には用がないみたいで、皆さん途中で引き返していました。

地域の足というより、観光用の橋なのですかね。

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川原に降りて、改めて蓬莱橋を見ると、橋桁が意外と細いのが気になりました。

渡る前に見なくて良かった…

この川原にはマラソンロードがあり、自転車も走れるので、この道で下流に向かいます。

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やがて、東海道新幹線の下を通りますが、新幹線って外で見ると早いですねー。

さらに川沿いを快適に進み、東名高速道路も過ぎ、富士見橋という橋で、対岸の西に渡ります。

ここからは「太平洋岸自転車道」を進みます。

名前の大げささの割には、この辺りは海から数キロ離れたところを通っています。

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実はこの道の一部は、静岡鉄道駿遠線という軽便鉄道の廃線跡を利用しています。

昭和45年には廃止されたようです。

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上の写真のように、全駅ではありませんが、旧駅の駅名標が置かれています。

国土交通省による大規模自転車道のひとつで、一般県道静岡御前崎自転車道線として、静岡県が管理しています。

国道に「太平洋岸自転車道」と書かれた大きな看板が立っているかと思えば、この廃線跡を利用されている区間では、交差点に看板もなく、どちらに向かえば良いかわからなくなるところが、何カ所かありました。

吉田町の能満寺には国指定天然記念物の大蘇鉄(ソテツ)があります。

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6mあり、平安時代に陰陽学者の安倍晴明が植えたといわれており、江戸時代には徳川家康が駿府城に移植したところ、もとの能満寺に帰りたいと夜な夜な泣かれたので、家康があわれに思って戻したそうです。

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さらに進み、途中道を間違えたりしながらも、坂口谷川に沿って、ようやく海、太平洋に出ました。

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ここは海岸がちょっときたないのが残念ですが、ここから静波海岸に沿って、太平洋岸自転車道の名にふさわしい海辺を走ります。

ここ以外は海辺もきれいでした。

やがて相良水門から、相良の街中のルートとなります。

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この水門は、田沼意次が築いた相良城の大手門をイメージしたため、このような不思議なデザインとなっています。

資料館もこんな立派な建物となっており、相良城本丸跡にあります。

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日本史での江戸時代の老中田沼意次というとあまりいいイメージではありませんが、この地ではそんなこと言ってはいけません。

再び、自転車道を進みます。

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ここまでの自転車道は、東から(上の地図の右上から左下に向かう)駿遠線廃線跡を来ましたが、この旧地頭方駅から鉄道路線は北西(左上)に向きを変えていたようです。

この自転車道はさらに南へ向かい先端の御前崎を目指します。

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走っていくとトンネルです。また道を間違えたかな。

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大丈夫でした。御前崎港です。

海上保安庁の船ふじも停船していました。 

ちょっと遅くなりましたが、昼食です。

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海鮮なぶら市場で、生しらす丼を食べました。

「なぶら」とはカツオの群れのことだそうです。

ここから海岸沿いの道を走りますが、時折防波堤を波しぶきが超えてきます。

ウミガメの産卵地を見ようと思っていましたが、いつのまにか通り過ぎてしまったようです。

そしてようやく御前崎灯台ですが、高台にあるため、自転車を置き、長い階段をのぼります。 

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せっかく、ここまで来たのですから200円を支払って、灯台の展望台に上ります。

目の回るような階段を進み、最後ははしごです。

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誰もいないから、すれ違いにも困りませんが、混んでいるときは大変でしょう。

やっと、外に出ると、強い風と素晴らしい景色。

今きた東の方角。

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南は海しかありません。

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そして、これから向かう西です。

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はるか彼方にうすーく見えるか見えないか位の建物群がこれから向かう浜岡原発です。

長くなるので、この続きは次回にします。