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2025年9月

2025年9月28日 (日)

金比羅山の立派な天狗岩と金比羅公園と山との行先標識板での混乱

JR五日市線の終点五日市駅から気軽に歩いて行ける金比羅山に登ります。

あきる野市五日市出張所という合併前の町役場だった建物前などを歩きます。

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↑登山道入り口まで20分程です。

旧五日市町の中心市街地を通りながら、秋川市との合併から30年も経つと書かれていて時の流れの早さに驚かされました。

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↑山として軽く見ていたため、想像以上の林の中の坂を登り、400メートルを少し越えた辺りで展望が開けます。

先程いた学校などのある五日市市街が眼下に見られます。

五日市駅で標高は180メートルほどでした。

西秋川衛生組合のごみ処理工場も目立ちます。

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↑ここの分岐点に東京都設置の行き先標識板があり混乱したですが、事前のネット情報によると金比羅山は表示の左ではなく、右に行った方がいいというのです。

実際に右に行ってみました。

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↑少し遠回りしながら、とりあえず、金比羅公園として東屋やトイレの整備されている443メートルのところで休憩します。

夕方近くから雨が降るかもしれないという天気予報でしたが、昼ごろから降ってきました。

霧に包まれている感じで、麓の方から見れば雲の中なのでしょう。

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↑屋根のついた東屋のお陰で助かりました。

昼食を兼ねて1時間近くいましたが、雨も止んだようです。

琴平神社もある、ここ金比羅山公園が一般的には金比羅山とされているいるようで、東京都の案内標識板もこちらに誘導しています。

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↑ 琴平神社は五日市村名主が讃岐の金比羅宮を勧請し、阿伎留神社の神主が山上に鎮祭したと伝えられています。

年代は不詳ですが江戸時代以降のようです。

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2025年9月21日 (日)

ハイキングのまち越生の100メートル毎に登っていく大高取山

越生町はハイキングのまち宣言をしているということで町役場前には大きな看板もあります。

公民館と共用のこの駐車場も、越生駅から遠くないのですが無料で停めることができます。

ここは標高77メートルほどです。

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↑西にある大高取山を目指しますが、まずは右上に見える白い建物に向かって登ります。

さくらの山公園の彼岸花(曼珠沙華)咲く中を進み、次に階段を上ると「世界無名戦士之墓」があります。

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昭和30年(1955)に建てられたもので、有形文化財として国に登録されています。

第二次世界大戦で亡くなった将兵を敵味方の区別なく追悼する戦没者慰霊塔です。

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↑標高176メートルの大観山山頂に立地しており、上からは東向きに景色が見られます。

主に公園でしたが100メートルほど登ってきたことになります。

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↑ここから登山道という雰囲気になりますが、周辺の山々でよく見かける岩石がここにもあります。

どうやらチャートのようで放散虫などの動物の殻や骨片が海底で堆積してできた岩石です。

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↑やがて、少し広くなり西山高取、標高271メートルに到着です。

ここも100メートルほどで一つの区切りです。

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↑南東に眺望が開けていますので景色が見られます。

武蔵、多摩の山に登ると、西武ドームはどこからでも目立つので見えますし、しかもここまでの距離感を実感することができていいです。

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2025年9月14日 (日)

戦車道や鮎道、枯れ木立もある妙な名前の小山内裏公園

八王子市と町田市の境に跨って、都立小山内裏公園があります。

京王相模原線の多摩境駅の辺りで、多摩ニュータウン通りではトンネルの上です。

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(↑東京都公園協会の案内マップより)

北側の大田切側入口から入って下っていくと池があります。

大田切池といい、大田川源流の大田川が切れるところという意味です。

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↑枯れた杉木立ちが印象的ですが、もともと川岸にあったものが池ができてこうなったそうです。

東京都とは思えない光景です。

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↑公園を半時計周りに進んでみますと、北から西に向け登り坂で行く鮎道です。

津久井で獲れた鮎を江戸まで売りに行くのに使われていた「鮎のみち」ということで付いた名前です。

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↑案内図でもあるようにこの公園は至るところにサンクチュアリがあります。

自然保護区ということで動植物の保護保全のため立ち入り禁止です。

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↑公園の西端では眺望が開けますが、鑓水小山緑地の方から広い道が繋がっています。

↓この道は公園南側を西から東に向けて曲がりながら繋がっています。

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尾根を通っており、「尾根緑道」と言われていますが、以前「戦車道路」と呼ばれていました。

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2025年9月 7日 (日)

南向きから江戸の護りのため東向きになった武蔵御嶽神社と2本の巨木

ぷち登山を涼しくするのを目的に、御岳山にあるロックガーデンや滝めぐりを前回お伝えしてきました。

武蔵御嶽神社にも当然行っています。

標高831メートルのケーブルカー御岳山駅から想像していたよりは急な坂道で参道を登っていくと、大木が目に入ります。

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「御岳の神代ケヤキ」で国の天然記念物に指定されています。

幹回り8.2メートル、高さ30メートルで樹齢は1000年とも言われていると言います。

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日本武尊が東征の際の植えたという伝説があります。

名前の神代はそこから来ているようですが、となると1900年前のことになってしまいます。

そもそも1000年という樹齢も確認されたものではないようです。

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↑武蔵御嶽神社の石段ですが、330段ほどあるということです。

創建は10代崇神天皇7年と伝えられ、文書に残る記録としては、天平8年(736)僧の行基が東国鎮護を祈願して金剛蔵王権現像を安置したとあります。

創建当時は南向きだった社殿は、江戸時代の慶長5年(1605)にも徳川家康将軍により江戸のでしょうか守護のため東向きに改められました。

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↑この拝殿は東向きですが、5代徳川綱吉将軍の時に江戸の西の護りとして建て替えられたものです。

入母屋造で元禄13年(1700)に改築されたものが、明治時代に檜皮葺から銅板瓦屋根に改修されています。

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↑本殿は神明造で明治11年(1878)に造営されたものです。

↓常磐堅磐社(トキハカキハシャ)は旧本殿です。

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永正8年(1511)建立の流造で、国指定重要美術品、東京都指定有形文化財となっています。 令和時代に漆の塗り替えをしたので綺麗です。

さらに、玉垣内の最も奥にある奥宮遥拝所があります。

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奥の院である日本武尊を祀る男具那社(オグナシャ)が標高1077メートルの山の峰にあります。

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