奥溜から地名が変わった奥富にある歴史ある梅宮神社と富士塚
入間川右岸の狭山市上奥富から入間川を渡る道は、狭山環状有料道路でした。
今では、2021年7月に無料開放されています。
その道の近くに梅宮神社があります。

この地区は平安時代に、京都西院の勅旨田として開田されたそうです。
西院とは淳和天皇の退位後の京都四条にあった御所です。
嵯峨天皇の第二皇子で、武蔵守となった源朝臣信公が当地を開拓したということです。

梅宮神社はその際、承和5年(838)に山城国葛野郡梅津郷(現在の京都市右京区)の梅宮大社から分霊され創建されました。
現在の社殿は安政4年(1857)に再建されたものです。

本殿を守る覆殿の後ろ側にも屋根が付けられています。
御神木の覆殿というところでしょうか。

拝殿入り口は大きく開かれており、中を見ることができます。
桃園三傑図が飾られており、江戸時代後期の雲谷派の画家・雪山堤等琳により文政3年(1820)に描かれたものです。

狭山市指定有形文化財となっています。
鰐口も同様に指定されていますが、拝殿内に飾られていたかは、その時知らなかったので探していないのでわかりません。
その鰐口は応永33年(1426)のもので、武州入東郡奥溜郷と書かれているそうです。

かつて地名は奥溜だったものが、江戸時代初期の慶安3年(1650)川越藩主松平伊豆守信綱が稲の豊作で年貢米完納に喜び、吉祥文字の奥富に改称したといいます。

↑いくつもの境内社があり、富士嶽神社があります。
後側から見た方が富士塚として高くなっているのはわかります。

↓富士嶽神社のすぐ隣には阿夫利神社はあります。
富士山とともに江戸の人々に人気があったという大山詣もここでできるということでしょうか。

元有料道路である埼玉県道397号堀兼根岸線沿いのローソン狭山上奥富店のすぐ裏側になります。
道路沿いでもありこの店は利用したことはありましたが、こうした神社や富士塚があるとは知りませんでした。
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