調整池式発電している大野ダムで13年ぶりの謎解き(前篇)
地図を見ていて、こんなところにダムと貯水池があるとは知らなかったと思い見に行きました。
中央自動車道の談合坂サービスエリア近くで、JR中央線では四方津駅の北西になります。

大野ダムは大正3年(1914)の建設当時、アースダムとしては日本一の高さを誇るというもので、高度な土木技術力が伺えるそうです。
100年以上も前のものですが、アースダムで堤体の下側は美しい景色です。

発電機2台による明治45年(1912)のハツ沢発電所を増備する役割となっており、このダムとさらに4台が加わり、35000kwと当時は東洋一の規模の発電量となりました。
後に42000kwとなっています。

↑Googleマップで大野貯水池とありましたが、現地案内板ではは大野調整池と書かれていました。
調整池式発電とは、夜間は調整池に水を貯め、電力需要の多い昼間に発電するというものです。
津久井湖と城山湖の間で水を行き来させる、揚水式発電の本沢ダムや城山発電所とも違うということです。

↑取水口はマップで下の方にあり、ここから八ツ沢発電所に水は流れていきます。
近くに行って見てみようとしましたが、施設内でこれ以上は近寄れませんでした。

取水口の裏側には行けますが、ちょっと全体像が見ることは出来ませんでした。↓
日本初の大規模調整池式発電所である八ツ沢発電所ですが、大月市にある取水口から大野ダムを含めて14キロに渡って国の重要文化財に指定されています。

大野ダム、大野調整池は上野原市大野にあります。
一方、ダム堤体の目の前には上野原市大目出張所や大目郵便局がありました。
大野と大目というここの地名について調べてみたら、さらに犬目も絡んでいて、ややこしい話となっていました。

↑近くの御嶽神社は古くからありそうですが創建は不詳のようです。
江戸時代は犬目村と大野村があり、明治8年(1875)に合併して大目村となりました。
大と目を一文字ずつとったのでしょう。

昭和30年(1955)に周辺いくつもの町村が合併して上野原町、後に上野原市になるのですが、この辺りの大字は大野にしました。
大字としては犬目もありますから、大目の方が広い概念ということになります。
御嶽神社の拝殿後ろの覆殿からは立派な本殿を間近に見ることができます。

甲州街道にあった犬目宿は上野原市の方で、八王子市にも犬目という地名があったので、私はさらに混乱していたのでしょう。
ところで、なんと13年も前に猿橋に行った時になんだろうと思ったものも、大野ダムと関係ある重要文化財の一つということでしたので、この話は次回に。
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