和同開珎推しの秩父市黒谷と和銅と和同の違いの謎解き
前回書いた、春分の日なのに季節はずれの雪山であった美の山から、なんとか下山してきました。
秩父鉄道の和銅黒谷駅へ向かう途中に、和銅採掘露天掘跡があるので立ち寄りました。

現地に着くと、まずは目立つのは和同開珎の大きなモニュメントです。
日本通貨発祥の地と書かれています。
昭和時代に歴史で学習したこととは異なるという項目の一つに、日本最古の貨幣は富本銭だったというのがあります。

すると、ここでは情報が古いということでしょうか。
調べると、貨幣としては富本銭の方が古いものの、流通した通貨としては和同開珎が最古ということでした。
和銅元年(708)にここで和銅が採掘されたことから記念して元号を変え、和同開珎が鋳造、発行されました。

ここに流れる銅洗堀という小川の面の和銅山に露天掘跡があります。
縦に山頂に向かって続いているのが眼に入ります。
下流を見ていますが、小川に架かる橋を渡り階段を登れば、断層面をえぐる和銅の採掘溝を真上から覗くことができるはずですが、通行止めになっていました。

通貨名が和銅でなく和同なのは昔から不思議でした。
調べれば、この後150年に渡り作られた12種の皇朝十二銭の銅銭のうち、年号と名称が一致するものは4種しかなく、年号と名称はそもそも一致するのが前提ではありません。
中国の古典にある「天地和同」「万物和同」「上下和同」にある和らぎとか調和の意味の、よいことの前兆を表す言葉としての「和同」ということだそうです。

↑さらに麓の和銅黒谷駅近くまで行くと、聖神社があります。
創建は和銅元年で、採掘された和銅石13個(神社に現存するのは大小2個)と、元明天皇下賜の銅製の蜈蚣(百足)雌雄一対が御神宝として納められたということです。

社殿は何度か改築があり、一間社流造りの本殿と入母屋造りの礼拝殿からなり、江戸中期宝永6~7年(1709〜10)建築のもので、秩父市中町の今宮神社本殿から移築改修したものです。
文化4年(1807)再建の旧本殿は脇に移され、大国主命を祀る和銅出雲神社とされています。

ここにも和同開珎モニュメントがあります。
これまでと違い、国道140号や駅からも近いためか、数多くの参拝者がいてちょっとビックリするほどでした。
駐車場にもひっきりなしに車が出入りしていました。

↑和銅黒谷駅に到着です。
いい感じの木材駅舎ですが、黒谷駅だったはずと思いましたら、和銅奉献1300年を記念して平成20年(2008)に和銅黒谷駅に改称されたそうです。

↑このホームにも当然のように和同開珎モニュメントがありました。
和同開珎推しであることが伝わってきます。
残念なのは、聖神社には多くの人がいたのに秩父鉄道に乗る人はあまりいなかったことです。
もう一つ、今さら帰る頃になって晴れてきて少し暖かくもなってきました。

↑最後に、今でも石灰岩、かつては和銅も採れた秩父ですが、蛇紋岩もという話です。
美の山から下りて和銅採掘跡に行く途中、道を間違えて偶然見つけたものです。
蓑山蛇紋岩採掘の碑があり、国会議事堂の玄関中央ホールの床タイルにここで採掘された蛇紋岩が使われているそうです。
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