吾野駅から行く歴史あり難読地名の顔振峠、越上山
以前に習ったりして覚えていたことが、今では新たな発見や学説により変わっていることがあります。
地名の読み方でもたまにあるものです。

西武池袋線終点の吾野駅から行ける顔振峠がその一つです。
はるか昔に小学校の遠足で行ったことがあるのですが、コオブリかコウブリ峠と言われてました。
↑峠の標高530メートルで吾野駅近くの172メートルから山道を1時間ほど登ってきましたが、峠には車が走れる道路が通っていて、茶屋も数軒ありました。

地元ではカアブリと呼ばれていたということで現在ではカアブリ峠と読むのが一般的となったそうです。
源義経が奥州に逃れる際ここを通り、あまりの絶景に何度も振り返ったということや、弁慶があまりの急坂で顔を振りながら登ったということが由来だといいます。

↑その絶景というのがこちらになります、
吾野駅の向こう側にある石灰石の採石場は平安時代にはありませんから、ちょっと違う感じではあったでしょう。
今ではいいアクセントです。
この展望のできるところには摩利支天の二重塔がありました。

平九郎茶屋というのがありますが、渋沢栄一の養子である渋沢平九郎のことです。
幕末の慶応4年(1867)の飯能戦争といわれる幕府軍と新政府軍の戦いで、幕府軍の中心的存在でした。
この戦いに敗れ郷里である越生を目指して顔振峠を越えましたが、その先で新政府軍と出会い自刃しました。

歴史上様々な人々が行き交った顔振峠ですが、ここからは東へ腰上山方面に向かいます。
↑まずは一般道を進みますが、地層の露頭がありました。
説明板もなくいつの時代のものかはわかりませんが、何気なくあってちょっとびっくりしました。

途中から左に山道に入るはずですが、ここまであった案内表示板がなく、あやうく通り過ぎるところでした。
↑その山道を少し進むと諏訪神社があります。
ここは山中にありながら割と大きな神社で、トイレもあることからハイキングで立ち寄る人が多くいました。

大字長沢の阿寺にあるのですが、阿寺の獅子舞として飯能市指定無形民俗文化財となっています。
再び山道を進んでいくと鳥居があります。

↑階段を登っていった先には祠がありました。
また上の右方に大きな岩があります。
こうした巨岩も多くのところで祀られてきたようです。
この先東へ向かうルートからは少し北に入る越上山に行きました。

↑登り坂の途中に景色が見られるところがあります。
どこの街並みかなと思いましたが東方向なので毛呂山町のようです。
かなり大きな岩を登ると越上山山頂です。

オガミと読みます。
ここは飯能市と越生町の境界になりますから、オゴセから越をオと読むとすればいいということでしょうか。
拝み山やお神山、越辺川の上流にあるから越上などの説が由来としてあるようです。
標高566.5メートルですが山頂は狭く、二組の先客がいましたので、休憩と撮影はここではやめておきました。
この先ルートに戻りさらに東に向かいます。
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