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2025年2月

2025年2月23日 (日)

高低差はあるが思ったより駅も近い入間市谷津池団地と鹿もいる加治丘陵

さほど遠くないのに自然と地形の楽しさを感じることのできる加治丘陵は好きなところの一つです。

そんな加治丘陵の南東麓には入間市青少年活動センターがあります。

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青少年が豊かな自然の中で研修、宿泊、キャンプなどする施設だといいますが、市でこうしたところを持っているのは羨ましいものです。

↑蝋梅がきれいに咲いていました。

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このすぐ南側には丘陵への高台となる入間市小谷田を開発した八津池団地があります。

最寄り鉄道の駅は西武池袋線仏子駅と思われますが、かなり遠いイメージがありました。

↑しかし、駅への近道があることを知りました。

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↑(入間市HP、加治丘陵マップより)

小谷田と新久の境界線にあたる急坂でGoogleマップに道自体は表示されないのですが、「八津池からの山道」という名所があると載っています。

加治丘陵を突っ切って行くルートとなります。

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↑林の間を通り抜けていく道で鬱蒼とした木々、そして深い谷戸が見下ろせます。

歩行者しか通れなくなっています。

坂の上では標高は146メートルほどあります。

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階段をおりていくとやがて車も通れる広い道幅となります。

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2025年2月16日 (日)

飯能、越生、毛呂山境界を通りユガテ、国指定重要文化財の福徳寺阿弥陀堂へ

標高566メートルの越上山から下り、再び顔振峠からユガテ方面へのルートを東へ向かいます。

所々で境界杭を見かけます。

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多少のアップダウンはあるものの歩きやすい山道です。

道路を横断すると急な登り坂があり登っていくと北と南への分岐があります。

ここにはなぜか境界杭が3本あります。

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これまで飯能市と越生町との境界の飯能市側を主に進んできましたが、ここは毛呂山町も含めた三市町の境界のようです。

そもそもは境界杭は点を示すものだから一つあればいいはずですが、それぞれの市町からの委託先がそれぞれ打ち込んだのでしょう。

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ここからは飯能市と毛呂山町との境界上にルートがあるようで、所々に2本の境界杭が並んで打ち込まれていました。

↑木々の中で景色が単調でしたが、20分ほどでようやく西に向けて遠くが見られました。

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↑さらに進んでいくと周囲に木々がなく視界の広がるところに出ました。

高い山でもあれば、森林限界を越えたということでしょうがそんなはずはありません。

不思議だったのですが、コンクリート基礎らしきものから察すると、高圧線鉄塔を撤去した跡でしょう。

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さらに下り坂がメインの針葉樹の中の尾根道を1時間近く歩いていくと、ようやくユガテです。

↑そろそろ疲れてウンザリしてきたところ、まず蝋梅の花が迎えてくれました。

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2025年2月 9日 (日)

吾野駅から行く歴史あり難読地名の顔振峠、越上山

以前に習ったりして覚えていたことが、今では新たな発見や学説により変わっていることがあります。

地名の読み方でもたまにあるものです。

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西武池袋線終点の吾野駅から行ける顔振峠がその一つです。

はるか昔に小学校の遠足で行ったことがあるのですが、コオブリかコウブリ峠と言われてました。

↑峠の標高530メートルで吾野駅近くの172メートルから山道を1時間ほど登ってきましたが、峠には車が走れる道路が通っていて、茶屋も数軒ありました。

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地元ではカアブリと呼ばれていたということで現在ではカアブリ峠と読むのが一般的となったそうです。

源義経が奥州に逃れる際ここを通り、あまりの絶景に何度も振り返ったということや、弁慶があまりの急坂で顔を振りながら登ったということが由来だといいます。

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↑その絶景というのがこちらになります、

吾野駅の向こう側にある石灰石の採石場は平安時代にはありませんから、ちょっと違う感じではあったでしょう。

今ではいいアクセントです。

この展望のできるところには摩利支天の二重塔がありました。

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平九郎茶屋というのがありますが、渋沢栄一の養子である渋沢平九郎のことです。

幕末の慶応4年(1867)の飯能戦争といわれる幕府軍と新政府軍の戦いで、幕府軍の中心的存在でした。

この戦いに敗れ郷里である越生を目指して顔振峠を越えましたが、その先で新政府軍と出会い自刃しました。

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歴史上様々な人々が行き交った顔振峠ですが、ここからは東へ腰上山方面に向かいます。

↑まずは一般道を進みますが、地層の露頭がありました。

説明板もなくいつの時代のものかはわかりませんが、何気なくあってちょっとびっくりしました。

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2025年2月 2日 (日)

東西南北で景色が見られて起伏に富んだ軽ハイキングもできる長沼公園

京王線に乗り新宿から高尾方面に向かうと、多摩川を渡ってからは南側の車窓間近に、多摩丘陵の木々の緑とそこを開発して建つ戸建住宅地が見えます。

登って上からの様子を見てみたいと思っていました。

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↑八王子市に都立長沼公園があり、駐車場もあるようなので行ってみました。

道を間違えたかと思うような細い道路を通ると駐車場はあります。

駐車可能台数もわずかだし京王線長沼駅もすぐ近くなので、電車で来るべきだったようです。

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↑長沼公園は多摩丘陵へ切り込んだ谷戸から上に続く、雑木林の36ヘクタールに及ぶところです。

駐車場のある標高90メートルのところから高いところは180メートルほどあります。

いくつもルートはあるのですが、まず長泉寺尾根を登りました。

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↑縦方向にある谷戸と尾根に対して、頂上といえる高い地点は横方向の野猿の尾根道となっています。

展望園地とあずま屋がありました。

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↑ここからは元いた北側を見渡すことができます。

公園敷地は尾根道までとなっており、反対の南側住宅地として開発されたり雑木林ではなく畑になったりしています。

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↑尾根道なので南側に向けても木々の隙間から見られるところがありますが、すぐ左には住宅地の南陽台です。

東に向かうと長沼公園の平山口ですが、向かう右端に下り階段があり、向こう側に見えている草原との間にはだいぶ下に道路があります。

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平山城址公園に通り抜けることはできないと書かれていました。

あの草原は航空写真では平山城址公園のように見えますが、地図で見ると東京農工大学波丘地実験施設の敷地のようです。

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