辛垣城の読みは揶揄っているのではなくカラカイだという三田氏の城
青梅丘陵ハイキングコースというのがあり、青梅駅から軍畑駅まで6時間ほどのルートだといいます。
以前に青梅駅から途中の矢倉台までは歩いたものの、そこから宮ノ平駅にショートカットしたことはありました。

リベンジとして、標高219メートルの宮ノ平駅から後半のルートを行ってみました。
辛垣城跡に行くことも大きな目的の一つです。
前半はのどかなハイキングコースですが、後半は山道だとは聞いていましたが、その通りでした。

↑2時間ほど歩いて名郷峠に到着です。
長尾峠とも言われており標高387メートルで、東西方向に尾根伝いに行くこのコースの峠というより、南の二俣尾駅から北の北小曽木や成木方面に行く道にとっての峠です。

↑少し行くと、辛垣城跡登り口(急坂)と書かれたは分岐地点があります。
コースの方は迂回しますが500メートル先でまた合流できます。
ちょっと躊躇うほどの急坂がまずあります。

↑それを登りしばらく行くと、大きな岩がありその上が辛垣城跡です。
中世の青梅地区を支配していた三田氏の山城です。

↑土塁の間の虎口とように見えます。
辛垣と書いてカラカイと読むとは思いもしませんでした。
揶揄っているのかよとも考えてしまいます。

↑本郭のところには青梅市教育委員会による説明板があります。
市指定史跡となっています。
三田氏というと東青梅の勝沼城が頭に浮かびますが、ここ辛垣城は西城と呼ばれていました。

↑山城らしいところなのですが、山頂の平担部は、大正末期まで石灰石の採掘が行われており大きく崩されてしまっているそうです。残念ながら土塁に見えるところも、石灰石を掘ったので周囲が相対的に高くなっているだけかもしれないのです。

永禄6年(1563)八王子の滝山城からの北条氏照の軍勢に攻められ落城してしまいました。
城主の三田綱秀は岩槻城に落ちのびたものの自害し、三田氏は絶滅しました。

↑辛垣山山頂456.8メートルという標識がありますが、山頂らしき眺めはありませんでした。
堀切や竪堀を留めているところもあるということですが、どれが当時のものでどれが石灰石採掘の結果できたものか区別ができません。

↑上りほど急ではない坂道を下ると元のハイキングコースに再合流します。
ここから雷電山などを目指して進みます。
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