呼ばわり山という今熊山の今熊神社と安閑天皇の頃とは
最近はそれほど高くない山登りに行くことが多くなってきましたが、今回は今熊山に行きました。
登山口には今熊神社遥拝殿があります。

今熊神社の創建は、安閑天皇の時代に紀州の熊野本宮大社を勧請して、今熊野宮と号して
祀ったものと伝えられています。
今熊神社は今熊山山頂にあるため、山登りしなくても参拝できるように登山口に遥拝殿があります。

ここでも既に標高280メートルです。
先月行った小峰公園に近いので、あきる野市かと思っていましたが八王子市上川町になります。
安閑天皇って何時代だっただろうかと考えながら坂道を登っていきました。

かなり暖かい日だったのですが、今熊山登山道を登っていくと山の中で木陰でもあり、かなり温度は低く感じられます。
↑山の木々も日向と日陰で見え方が全く異なっていて、コントラストがきれいです。

↑途中にはゴツゴツした岩の上を登るところもあります。
この辺りに天狗岩があったのらしいですが、わかりませんでした。

↑やがてベンチやトイレもあり、北から東に向け展望も開けたところに着きました。
ここはまだ頂上ではなくあと少し先のようです。

↑次に鳥居と社殿がありますが、今熊開運稲荷社です。
さらに隣には石段があり、少し登るとようやく今熊山山頂に到着です。

標高は505メートルで、時間としては30〜40分程度ですが、225メートルの山登りではあります。
気軽には来られないので遥拝殿があるのはわかります。

↑いよいよ今熊神社の鳥居と石段です。
今熊山は呼ばわり山と言われています。
安閑天皇の宮妃が熊野宮に行かれた際、大風雨により行方不明になってしまいました。

神託により、今熊神社で呼戻祈願したところ無事戻ってきたということです。
そのことから、呼ばわり山と言われるようになったということです。
勝手に古い社殿を想像していたので予想外でしたが、裏手から見上げてみれば石垣上に建つ社殿の姿は見事です。

調べてみたら、安閑天皇は531〜36年という第27代天皇で、大化改新のあった645年よりも100年以上前の古墳時代のことでした。
前代は、越前から来たといい、実は系統が途切れたのではないかとの説もある継体天皇ですから、本当に古い時代の話しです。
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