八王子の昔ながらの絹の道と誰も通らない道了山跨道橋
八王子市鑓水に絹の道資料館があります。
シルクロードといえば、ユーラシア大陸の中国と地中海を結ぶ交易路です。
日本では横浜への絹織物を運ぶルートが「絹の道」です。

↑生糸商人、八木下要右衛門の屋敷跡に建てられたもので、石垣が立派ですが要右衛門は「鑓水の石垣大尽」と呼ばれていたということです。
建物は復元ではないのですが、庭には排水溝の跡が整備されています。

展示室内には絹の道や製糸・養蚕に関する資料が展示されています。
近くに、絹の道が未舗装のまま残されており、八王子市指定史跡にもなっているというので行ってみました。

↑道路を北へ行くと分岐があり、思っていたより坂道のようです。
八王子の中心部から鑓水を通って横浜へ至る浜街道は、輸出用の生糸の流通路となり、「絹の道」と呼ばれるようになりました。
だんだん当時の様子が感じられる薄暗い山道となります。

昔の面影をよく残す未舗装部分は、文化庁選定「歴史の道百選」に選ばれています。
官営富岡製糸場もあって絹織物は群馬県という印象が強いですが、なぜ八王子なのという疑問がありました。
江戸時代末期の安政6年(1859)横浜開港により、桑都八王子は脚光を浴びたようです。

谷戸に囲まれた中で農業や養蚕などを生業としていた鑓水は、外国人遊歩規定で定められた横浜から40キロメートルの圏内に位置することから、日本の養蚕に興味のあった西洋人から注目されましたからだそうです。
江戸時代の旅人は一日に35キロほど歩いたといいますから、40キロという距離感は一日以内の移動距離ということでしょうか。

↑やがて左右への道とともに、北へは石段があります。
また絹の道碑も立っています。
神社のようですが違っており、道了堂跡です。

道了堂は明治7年(1874)鑓水商人大塚忢郎吉が中心となって、浅草花川戸から道了尊を勧請して建立されました。
礎石の跡と灯籠が残り、大塚山公園となっています。
かつては十二州が見晴らせたというだけあって標高は213.5メートルあり、三角点もありました。

↑大塚山公園は木々に囲まれて眺望はできませんでしたが、石段下から左に回ると鑓水峠から北方が見渡せます。
また、ここからの下り急階段からもここの高さが感じ取れます。
絹の道資料館前では標高135メートルでしたから、絹織物の運搬には急な坂だったでしょう。

西に向けて大きな電波塔の横に細い道があり行ってみました。
八王子バイパスを越える道了山跨道橋があります。
↑振り返って見えているのは、大塚山とNTTドコモの御殿山無線中継所です。

↑さらに西に進もうと思いましたが倒木で通れませんでした。
橋は歩道もされた立派な橋ですが、ほとんど使われていないようです。
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