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2024年11月

2024年11月24日 (日)

呼ばわり山という今熊山の今熊神社と安閑天皇の頃とは

最近はそれほど高くない山登りに行くことが多くなってきましたが、今回は今熊山に行きました。

登山口には今熊神社遥拝殿があります。

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今熊神社の創建は、安閑天皇の時代に紀州の熊野本宮大社を勧請して、今熊野宮と号して

祀ったものと伝えられています。

今熊神社は今熊山山頂にあるため、山登りしなくても参拝できるように登山口に遥拝殿があります。

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ここでも既に標高280メートルです。

先月行った小峰公園に近いので、あきる野市かと思っていましたが八王子市上川町になります。

安閑天皇って何時代だっただろうかと考えながら坂道を登っていきました。

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かなり暖かい日だったのですが、今熊山登山道を登っていくと山の中で木陰でもあり、かなり温度は低く感じられます。

↑山の木々も日向と日陰で見え方が全く異なっていて、コントラストがきれいです。

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↑途中にはゴツゴツした岩の上を登るところもあります。

この辺りに天狗岩があったのらしいですが、わかりませんでした。

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↑やがてベンチやトイレもあり、北から東に向け展望も開けたところに着きました。

ここはまだ頂上ではなくあと少し先のようです。

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2024年11月17日 (日)

田端駅前高低差解消のエレベーター工事と雰囲気のいい南口改札

JR赤羽駅から上野駅辺りまで京浜東北線などの線路は、崖線に沿って通っています。

標高20〜30メートルほどの武蔵野台地の東端と10メートル以下の荒川低地の間の崖線です。

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↑田端駅北口の南西方向を見ていますが、田端駅前通りに面した左端の駅ビル1階から右の建物は3階のところが地表面となっています。

右端に見えるアーチ橋はかなり高いところを通っています。

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↑台地側に行くためには、用もないのに建物内を通過するわけにはいかないですから、構造物となった立派な階段が設置されています。

それでもバリアフリーの観点からの配慮もあり、エレベーターが設置されるようです。

階段を登って、上に行ってみました。

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令和6年11月1日頃から11ヶ月ほど工事のため階段は通行止めとなるということです。

工事開始が遅れているようで、11月上旬になっていましたがまだ通ることはできました。

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↑北区役所による「田端駅北口周辺の高台側との約10mのバリアを解消」する工事ということで、HPにイメージパースが載っています。

「周辺建物と調和したデザイン」とするそうです。

↓高台側には田端駅南口改札もあります。

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2024年11月10日 (日)

八王子の昔ながらの絹の道と誰も通らない道了山跨道橋

八王子市鑓水に絹の道資料館があります。

シルクロードといえば、ユーラシア大陸の中国と地中海を結ぶ交易路です。

日本では横浜への絹織物を運ぶルートが「絹の道」です。

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↑生糸商人、八木下要右衛門の屋敷跡に建てられたもので、石垣が立派ですが要右衛門は「鑓水の石垣大尽」と呼ばれていたということです。

建物は復元ではないのですが、庭には排水溝の跡が整備されています。

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展示室内には絹の道や製糸・養蚕に関する資料が展示されています。

近くに、絹の道が未舗装のまま残されており、八王子市指定史跡にもなっているというので行ってみました。

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↑道路を北へ行くと分岐があり、思っていたより坂道のようです。

八王子の中心部から鑓水を通って横浜へ至る浜街道は、輸出用の生糸の流通路となり、「絹の道」と呼ばれるようになりました。

だんだん当時の様子が感じられる薄暗い山道となります。

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昔の面影をよく残す未舗装部分は、文化庁選定「歴史の道百選」に選ばれています。

官営富岡製糸場もあって絹織物は群馬県という印象が強いですが、なぜ八王子なのという疑問がありました。

江戸時代末期の安政6年(1859)横浜開港により、桑都八王子は脚光を浴びたようです。

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谷戸に囲まれた中で農業や養蚕などを生業としていた鑓水は、外国人遊歩規定で定められた横浜から40キロメートルの圏内に位置することから、日本の養蚕に興味のあった西洋人から注目されましたからだそうです。

江戸時代の旅人は一日に35キロほど歩いたといいますから、40キロという距離感は一日以内の移動距離ということでしょうか。

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2024年11月 3日 (日)

近いようで遠い藤野の難読でしかもヤマビルが多くいた葛原の金剛山

JR中央線で高尾駅からたった2駅めですが、藤野駅は知らない人も多いでしょう。

高尾から行きは12分、帰りは26分かかりました。

帰りの電車が遅れていたわけではなく、ダイヤ通りで相模湖駅に13分も停車しているためでした。

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特急の通過待ちとはいえ、次の高尾が終点の電車でしたから不思議なダイヤ設定です。

↑藤野駅跨線橋から西を見ると、遠くに近くに山々が並びます。

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↑駅南側には相模川が流れており、相模ダムの上流になるため川幅も広く、まだ相模湖の一部という感じです。

日連大橋を渡ると、南の奥からの秋山川と右の東からの相模川が合流しています。

南に向かい標高170メートル位まで下った秋川橋で秋山川を渡り、舗装された登り坂を1時間ほど歩きました。

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↑標高318メートル程の天神峠のところで左に高倉山に登る山道があります。

ヤマビル注意と書かれており、忌避剤を靴や足首回りにスプレーしてくださいとあります。

しかし、容器はすでに空でした。

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↑379メートルの高倉山はすぐ近くで再び天神峠に戻り、右に金剛山に登りました。

こちらはもう少し登りでがあり、456.4メートルでした。

景色は南方が見えますが、天気のせいだけでなくあまり遠方は見えません。

それでも山に雲が重なる様子はいつ見てもいいものです。

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