地理院地図で大書きしてある大澄山と草花にある草花神社
国土地理院の地図はホームページでも地理院地図として見ることができます。
多摩川沿いのあきる野市に「大澄山」と大きな文字で記載がされています。
あまり聞いたことはないけれど、あえて目立つ書かれ方をしてあるので行ってみました。
草花という地名ですが、以前は草花村だったということで、のどかな風景を想像させるいい名前です。
↑南から北への坂道と先の長い階段の上に草花神社があります。
奥多摩に近づき標高がどんどん高くなっていく中、多摩川と平井川に挟まれている地形のため、急坂が多く見られます。
↑石段途中で右に向かい大澄山に登るルートと分岐しています。
まずは草花神社に行きました。
高いところにありますから古くからこの場所にあるのだろうと思いましたが、江戸時代までは麓にあったものが明治2年(1869)にこの地に移ることとなったそうです。
十二天社でしたが、四社を合祀し草花神社として村社になったということです。
↑坂の下で標高150メートルでしたが、この境内では170メートル以上となりますから、南から南西を遠くまで見渡せます。
平井川の流れているところは130メートルほどです。
↑草花神社からも大澄山へのルートがあるようなので、そこから登るとすぐに頂上に到着します。
頂上といっても標高は192メートルですから、あまり感動はありません。
北に向けて先に下っていくルートもあるようです。
↑大澄山からは東に向けての展望が開けています。
多摩川の向こうの福生市街地が見えています。
正直言って、大澄山は特に特長のあるわけではない低山でした。
再び戻るルートは先程通らなかった石段途中から分岐していた道を通りました。
↑そこには御嶽神社分社がありました。
Googleマップを見ると、草花神社から石段を下りて西へ500メートルほどのところに御嶽神社があります。
↑大澄山とは別の山の山腹に御嶽神社はありました。
しかし、こちらは先程の御嶽神社の本社ではないような感じです。
青梅市の御岳山にある武蔵御嶽神社の方なのでしょうか。
↑ここからも谷戸越しに南へ見ることができます。
この辺りは、住宅の数多くありながら自然も身近にあっていいところです。
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