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2024年10月 6日 (日)

昭和天皇手植えの枝垂れた杉のある和田乃神社と臨川庭園

青梅駅から先はいきなりローカル線らしくなるJR青梅線で菅谷、一つめには宮ノ平駅があります。

この駅名の由来にもなった和田乃神社が国道411号青梅街道沿いにあります。

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青梅市日向和田2丁目で、古くはここは和田村でした。

和田村の総鎮守として和田明神でしたが、慶長3年(1598)には日向和田村と日影和田村に分村し、和田明神から三島明神と改称しました。

明治維新の際、和田乃神社となりました。

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↑ここには昭和天皇の手植えの杉があります。

戦後のことかと思いましたが、大正2年(1913)に在学中の皇太子であった昭和天皇であったということです。

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枝垂糸杉ということで、枝垂れている杉は見たことありませんでした。

すぐ近くの日向和田石灰石採石場を見学の際に、和田乃神社にも来られたとのことです。

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江戸時代には三島明神といっていたのは、静岡県の三島神社の分神を賜っての創始であるからということのようです。

境内には道を挟んだ向こうに土俵があります。

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奉納相撲の始まりは、江戸時代初期の寛文年間(1661〜72)といい、日向和田と日影和田に分村してた頃です。

多摩川を挟んで起きた争いを、和田明神(当時は三島明神)に仰ぐために相撲を奉納して勝敗によって争いを収めたと伝わっています。

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↑石灰石の採掘はもう行われていませんが、和田乃神社や宮ノ平駅すぐ北側にありました。↑ホームからは輸送のための貨物列車用駅の線路が見られます。

青梅線や青梅街道からちょっと南に坂を下ると多摩川が流れています。

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↑青梅出身の衆議院議員であった津雲國利が昭和9年(1934)に建造した「臨川梅園」と愛称していた邸宅跡です。

青梅市が日向和田臨川庭園として開放しています。

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多摩川沿いで川も見えるとのことですが、木々の隙間から見ることはできるものの川面を風流に眺める感じではありませんでした。

石灰石で財を成したのかとも思いましたが、経歴を見ると違っており銀行にいたようでした。

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庭園といってもさほど広くはありません。

↑水が流されていないのかと思いましたが、「枯れ流れ」ということで、これがいいのだそうです。

まだまだ知るべきことはたくさんあります。

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