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2024年10月

2024年10月27日 (日)

水にぬれて狭く通るか躊躇する手掘り隧道の先にあった金剛の滝

小峰公園はあきる野市にある都立公園です。

ただ都立公園の一般的なイメージとは違い、ちょっとした山登りをすることができます。

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↑標高206メートルの小峰ビジターセンターから小峰公園に入り、まずは公園内の桜尾根を登っていきました。

公園の南西端で既に標高336メートルに達しており、園内最高地になりますが、眺望は全くなく木々の中です。

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↑ちょっと疲れてしまいましたが、センターでもらったハイキングコース図によると序の口のようです。

林の中を進んでいくと、急に南に視界が開け、東京電力の新多摩変電所の大規模な施設が隣接していました。

すれ違った人から、この先トレランやってますよと言われましたが、あまり気にせず歩いていました。

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ほかの道との合流地点のところで、トレイルランのランナーが登坂を向こうから走ってきます。

しばらく、通り過ぎるのを待っていましたが、何十人行ってもさらに走ってきます。

やむを得ず、狭い道ながらすれ違いながら進むことにしたら、途中で立ち止まるランナーさんがいて

「ハイカーさん通ります」と後方に大声で伝えてくれました。

その後は、皆さんスピードを遅くしてすれ違えるようにしてくれて有難かったです。

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↑次の分岐からはランナーもいなくなり、案内表示に従い急な下り坂を降りて行くと砂防ダムがあります。

その先の小川を跨ぎ、逆川を上流に向けて砂利の川原を進みます。

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水量が少なく端の方を流れていますが、大雨の時は普通の靴で歩けないでしょう。

両側は切り立った岩壁です。

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↑金剛の滝が見えてきました。

滝のすぐ右には穴が開いていて、人1人は通れそうですが中は水が少し流れたり垂れたりしています。

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2024年10月20日 (日)

地理院地図で大書きしてある大澄山と草花にある草花神社

国土地理院の地図はホームページでも地理院地図として見ることができます。

多摩川沿いのあきる野市に「大澄山」と大きな文字で記載がされています。

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あまり聞いたことはないけれど、あえて目立つ書かれ方をしてあるので行ってみました。

草花という地名ですが、以前は草花村だったということで、のどかな風景を想像させるいい名前です。

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↑南から北への坂道と先の長い階段の上に草花神社があります。

奥多摩に近づき標高がどんどん高くなっていく中、多摩川と平井川に挟まれている地形のため、急坂が多く見られます。

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↑石段途中で右に向かい大澄山に登るルートと分岐しています。

まずは草花神社に行きました。

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高いところにありますから古くからこの場所にあるのだろうと思いましたが、江戸時代までは麓にあったものが明治2年(1869)にこの地に移ることとなったそうです。

十二天社でしたが、四社を合祀し草花神社として村社になったということです。

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↑坂の下で標高150メートルでしたが、この境内では170メートル以上となりますから、南から南西を遠くまで見渡せます。

平井川の流れているところは130メートルほどです。

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2024年10月13日 (日)

享保の改革の時からある吉田家住宅と埼玉県一乗降客の少ない竹沢駅

東武東上線は池袋駅から寄居駅までの路線ですが、池袋からは遠くても小川町駅行きしかありません。

小川町が終着駅の印象です。

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そんな小川町勝呂には、吉田家住宅という国指定重要文化財があります。

江戸時代の享保6年(1721)に建築された、実年代のわかる埼玉県内で最古の民家です。

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建物の規模は桁行21.8メートル、梁間10.5メートルあります。

茅葺、入母屋造りの大きな民家で、三間広間型と呼ばれるものです。

奥に2間の畳敷きの座敷、手前に広い板間のある江戸時代の典型的なものだそうです。

享保の改革は徳川8代将軍家光の時ですから、本当に時代劇の頃の建物です。

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他でこれまで見てきた文化財の古民家は、閑散としてガランとしているイメージでした。

ここでは飲食店として商売されており、休日のためか子供連れの家族などで賑わっていました。

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↑すぐ裏は山となっている標高150メートル辺りのところです。

すぐ近くには西浦川が流れており、木呂子川と合流して兜川となります。

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その西浦川には砂防ダムらしきものもあります。

大雨の時には結構水量もあるのでしょう。

最寄り駅はJR八高線の竹沢駅になります。

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wikiによると埼玉県内で最も乗降客数の少ない駅ということで、1日30人ほどでした。

ちょっと情報が古かったのでJR東日本ホームページを調べてみましたが、何度見ても竹沢駅が見当たりません。

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↑埼玉県ホームページで謎が解けました。

JR東日本では1日平均の乗車人員を把握できる駅を掲載しているため、無人駅である八高線の各駅は近年載っていないようです。

となると、最少を脱出できたのか、そのままかは不明です。

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2024年10月 6日 (日)

昭和天皇手植えの枝垂れた杉のある和田乃神社と臨川庭園

青梅駅から先はいきなりローカル線らしくなるJR青梅線で菅谷、一つめには宮ノ平駅があります。

この駅名の由来にもなった和田乃神社が国道411号青梅街道沿いにあります。

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青梅市日向和田2丁目で、古くはここは和田村でした。

和田村の総鎮守として和田明神でしたが、慶長3年(1598)には日向和田村と日影和田村に分村し、和田明神から三島明神と改称しました。

明治維新の際、和田乃神社となりました。

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↑ここには昭和天皇の手植えの杉があります。

戦後のことかと思いましたが、大正2年(1913)に在学中の皇太子であった昭和天皇であったということです。

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枝垂糸杉ということで、枝垂れている杉は見たことありませんでした。

すぐ近くの日向和田石灰石採石場を見学の際に、和田乃神社にも来られたとのことです。

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江戸時代には三島明神といっていたのは、静岡県の三島神社の分神を賜っての創始であるからということのようです。

境内には道を挟んだ向こうに土俵があります。

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奉納相撲の始まりは、江戸時代初期の寛文年間(1661〜72)といい、日向和田と日影和田に分村してた頃です。

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