貴志嶋神社洞窟と岩山の網代弁天山と山頂景色
あきる野市の網代弁天山に登ってきました。
JR五日市線武蔵増戸駅方面からは秋川を渡るのですが、網代橋は令和元年の台風の影響で車だけでなく歩行者も通行止めとなっており、山田大橋を渡って行きます。
秋川の橋の辺りの標高は150メートル程で、貴志嶋神の石段前のところで既に235メートルになります。
足利尊氏ご母堂の守護神として勧請されたといいます。
平成31年4月(2019年で令和元年になる直前)には、30年に一度という弁天像等のご開帳が行われたそうです。
すぐ近くには弁天洞窟があります。
左側のハート形というか逆三角形の洞窟が奥まで続いているようです。
貴志嶋神社奥の院ということになっています。
あきる野市指定文化財となっている石造大黒天像があり、文明9年(1477)の紀念銘が刻まれています。
洞内には毘沙門天石像(無銘)もあり、主尊としての弁財天像もあったと推定されています。
中世以来の弁財天信仰の証としても貴重だといいます。
↑さらに弁天山に登って行きましたが、都内でもありちょっと軽く思ってた割には険しい岩のある道でした。
やがて弁天山頂上に到着です。
標高292メートルになります。
さすがに景色と見晴らしは良く、西武ドームもよく見えます。
地図を見れば、この弁天山の下には五日市トンネルが通っているのですが、下に道路があるなんて当然に全然感じられません。
↑反対側に下って振り返れば、頂上近くは岩山なのがわかります。
岩の割れ目か二つの岩が合わさったのか、間から向こうが見通せるところもありました。
この先、しばらく下り西に向かい、城跡であるという城山に向かいます。
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