南一揆の逃げ込み城であり北条氏の伝えの城になった網代城跡
あきる野市の網代弁天山から、次に網代城跡がある城山を目指して歩きます。
標高292メートルから数十メートル下った先、再び登り坂となるところは城の空堀かと思われましたが、実は自然の地形のようです。
この先の城山頂上にある説明板によれば、網代城は15世紀中頃の「南一揆」による山城だということです。
大手道であるこの斜面を登っていくと、少しだけ平らなところがあり、郭のようです。
通り道が鍵型に曲がっていますが、初期の枡形であり、木戸跡もあるようです。
当時、農山村民らの指導者であった地侍が各地に村単位の自営権力を保持していました。
ここでは、南一揆と呼ぶ武装集団を成立させ、この山城もできたといいます。
↑少し登っていくと、再び郭でしょうか。
すぐ先、標高330メートルのところが頂上で、広く平らになっています。
ここが網代城の本丸があったところで、長さ35メートルほどの広い空間です。
説明板によると、ここ網代城は戦国時代の山城にある戦いのための城というイメージとは少し違うようです。
領主の重税から逃れる逃散の場であったいい、また逃げ込み城としての役割であったということです。
ここにある説明だけではわからない点もあり戻って調べてみると、これと同じ中世城郭研究家の中田正光氏の解説が、あきる野市HPにありました。