入間市の豊泉寺にある庭園とそれを造った茶藤翁
入間市の加治丘陵の東南端あたりに豊泉寺があります。
曹洞宗の寺院で、創建は戦国時代の天文元年(1533)と伝えられます。
開基は小田原北条氏の家臣で金子領主の豊泉左近将監です。
松龍山豊泉寺といい、境内裏一帯が樹齢数百年の古松で龍のような形をしているため、その名を松龍山と唱え、寺名を豊泉寺と称したと伝えられています。
ここには庭園があるということで来てみました。
本堂の裏側に造られた禅宗式庭園で、明治時代に地元根岸の庭師水村藤四郎によって造られたものです。
水村藤四郎は当初から庭師であったわけではないようです。
父の茶業を継ぎ、茶の製法研究と品質向上に努め、根通り茶独特の「ちらしより」いう技術を開発しました。
後年造園業に転じ、東京に出て多くの造園に携わり、帰郷後も作庭にあたったということです。
茶業と造園業という別々の道で実績を残すという見習いたい人です。
ところで、根通り茶というのは、狭山茶という名称に統一される前の加治丘陵南麓でのお茶の名称でした。
狭山丘陵北麓での狭山茶の名称が今に残っており、まあそれで良かったのではないかと思います。
↑境内には大正2年(1913)に建てられた水村藤四郎(茶藤翁)の記念碑があります。
碑があることは説明板に書かれていたのですが、結構探しました。
本堂裏の西側に庭園入り口やその説明板がありましたが、東側の鐘楼の上に碑はあります。
↑隣には狭山茶場碑もあります。
この碑は江戸時代末期の安政4年(1857)に儒者の佐藤一斎により撰文され、狭山茶の業再建の由来などが記されているものです。
当時建碑に至らず、昭和46年(1971)になってようやく建てられたものです。
↑鐘楼にある梵鐘は、寛文9年(1699)に造られたものは太平洋戦争により供出されてしまいました。
現在の梵鐘は、昭和39年(1964)に再建されたものです。
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