金子十郎家忠に関わる入間市木蓮寺の瑞泉院と桂川神社
JR八高線金子駅近くの入間市木蓮寺には、地図でみる限り木蓮寺という寺院は見当たりません。
木々の中にあり、寺社のどちらであろうと立ち寄ると、桂川神社がありました。

上州の赤城神社を勧請したもので、金子氏館の鬼門徐けとして金子十郎家忠によって建立されたといいます。
平安時代終わりから鎌倉時代初期の頃のことです。

近くにはJR八高線の金子駅がありますが、金子氏とは武蔵七党の一つである村山党に属していた武士です。
村山頼家の三男家範が、ここ入間郡金子郷を本貫地とし、金子氏を称したことが始まりだといいます。

家範の子である十郎家忠(1138〜1216)は、源義朝に従い、保元・平治の乱に参陣しました。
その後も衣笠城攻や源平合戦にも参陣しました。
↑桂川神社の裏側は斜面で高くなっていますが、数多くの墓石の並ぶ大規模な墓地となっているようです。
行ってみると、入間霊園とともに、看板には公益財団法人瑞泉院メモリアルアカデミーと書かれています。

↑石柱には金龍山木蓮寺瑞泉禅院とありますが、瑞泉院は既に廃寺となっているようです。
「入間市指定文化財 金子十郎家忠一族宝篋印塔入口」との看板がひときわ目立ちます。

金子十郎家忠が開基となった瑞泉院は、金子氏代々の菩提寺でした。
瑞泉院という名は家忠の院号だったということです。
↑霊園の一画といっても、やはり目立つ位置に金子氏に関わるものがあります。

6基の宝篋印塔がありますが、これは金子氏一族の供養塔とされています。
いずれも形式は、安土桃山~江戸時代前期のものです。
ということは、鎌倉時代初めの金子十郎家忠から大分後のことになります。

この地に徳川家支配が及んだ頃、本貫地を離れることになった金子氏一族の先祖供養のため造立されたものと考えられています。
また、金子氏一族の位牌もあります。

ここは瑞泉院でしたが、この地の大字は木蓮寺ですし、入り口石柱にも木蓮寺瑞泉禅院と彫られていました。
十郎家忠の妻の諡(戒名)が「木蓮院」であったことから、このように呼ばれるようになったということです。

院号や戒名は今以上に世間に浸透していたことが改めて感じられます。
↑寺院は廃寺になったとはいえ、千体地蔵塔があり、この裏側も含め四面に並ぶ姿は壮観です。
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