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2024年6月 9日 (日)

豊洲千客万来施設の建設前後とゆりかもめ豊洲駅からの延伸

1ヶ月ほど前に乗った日暮里・舎人ライナーと同じように新交通システムである「ゆりかもめ」に乗りました。

正式には「東京臨海新交通臨海線」という名称で、臨海が二度も出てくるのはおかしいですが、株式会社ゆりかもめが以前は東京臨海新交通株式会社という名だったことによるみたいです。

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↑東京ビッグサイト駅から豊洲駅方面に向かうと、路線はすぐに90度ターンしますが、鉄道ではできない直角カーブができるのが新交通システムの利点です。

新橋駅から豊洲駅までの14.7キロを31〜33分ほどで結ぶAGT(Automated Guideway Transit)自動案内軌条式旅客輸送システムです。

やはり、ATO(Automatic Train Operation)自動列車運転装置による無人運転のため、前面展望は抜群です。

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↑市場前駅直前でも90度ターンとなりますが、この周辺では豊洲市場が開場したため以前とは風景が大きく変わりました。

左には、ようやく今年令和6年2月に開業した豊洲千客万来の建物が見えます。

都による築地から豊洲への市場移転への混乱の影響もあり、平成30年には事業者としての万葉倶楽部会長と都知事との直接会談もありました。 

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(平成29年10月当時)

豊洲市場が開業するより前の、平成29年10月に自転車でこの辺りを見て回った時の千客万来施設予定地です。

あの頃は豊洲市場自体の開業が延期され移転日が定まらず、この施設はどうなることかと思っていました。

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(平成29年10月当時)

↑当初は、平成31年(令和元年)8月に商業棟、その翌年に温泉棟が開業する予定でした。

現在のゆりかもめからの写真で正面に見えている豊洲大橋も、閉鎖され通行できない状態でした。

Img_6711a

(平成29年10月当時)

平成30年11月になってようやく、やはり遅れていた環状第2号線の暫定開通に伴い、この橋も通れるようになりました。

コロナの影響で東京オリンピック開催が平成30年から令和元年に延期され、かつ、あのような開催形態となりましたし、なんだか不思議な過去の話となってしまいました。

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↑現在のゆりかもめに話を戻しまして、終点の豊洲駅手前の様子です。

日暮里・舎人ライナーと同様に、車両はH型鋼のガイドレールの固定案内板に沿って進み、ポイント切り替えは可動案内板の動きで行われています。

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↑正面の1番線ホームに入線します。

周辺にはタワーマンションも増えており、左側の江東区豊洲シビックセンターは平成27年9月にオープンしています。

豊洲駅ホームで降り振り返って見てみると、路線は豊洲市場に向けて、直進ではなく下の道路に合わせて、左に少しカーブしながら進んでいるのがわかります。

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こんなに発展するとは思っていなかった豊洲周辺ですが、思えば、ゆりかもめ延伸の話があったはずです。

こうした延伸話が進むためには、まず国の審議会答申に記載されなくては話が進みません。

平成12年(2000)の運輸審議会答申では、豊洲駅勝ちどき駅間が、2015年までに整備着手することが適当である路線に位置付けられていました。

しかし、その後、中央区がLRTやBRT、地下鉄を要望しており、江東区も地下鉄延伸を強く要望していました。

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↑豊洲駅の終点部の先端は、勝ちどき延伸を踏まえて少し左にカーブして建設されています。

でも残念ながら、平成28年(2016)の交通政策審議会答申では地下鉄延伸は記載されましたが、ゆりかもめ延伸は載っていません。

地元が要望していないのですからこの計画はもう無くなったようです。

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