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2024年6月16日 (日)

昭和、明治に次ぐ長期の応永年間からの鰐口もある南畑八幡神社

埼玉県富士見市にある南畑八幡神社に行ってみました。

南畑は富士見市東部の荒川と新河岸川に挟まれた水田の広がる地区になります。

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応永7年(1400)に、足利満兼がこの地を鎌倉の鶴岡八幡宮に寄進して社領となり、分祀奉斎した時の八幡社だといいます。

足利満兼とは知っていそうで知らない名前ですが、第3代関東公方でした。

室町幕府の足利将軍ではなく、むしろ当時の関東公方と京都の将軍家とは緊張関係にありました。

Img_4838a

ここには八幡社に奉納された鰐口があり、同じく応永年間の銘文の刻まれており、富士見市指定有形文化財となっています。

鰐口(ワニグチ)とは、神社仏閣の堂前にある参詣者が綱で打ち鳴らす大きな鈴のことです。

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応永年間は1397〜1432年までの35年間に及ぶ長さです。

明治時代からの一世一元の制より前までは、元号は期間の短いものが多く、それまでで最長となります。

つまり、昭和と明治に続いて歴代3番目の長さということになります。

Img_4848a

すぐ近くには8年前に見てまわった難波田城跡があります

南畑八幡神社は、天文年間(1532〜55)には難波田城主の難波田弾正が篤く崇敬したといいます。

先程の鰐口にも難波田弾正によって再奉納されたという銘文も刻まれています。

Img_4854a

明治時代には下南畑村の村社となっています。

↑本殿は昭和16年(1941)に川越中学(現高校)内に建てられた奉安殿を移築したものです。

奉安殿は室岡惣七が設計したもので、入間市の旧石川組製紙西洋館や川島町の遠山家住宅を設計した建築家です。

Img_4847a

↑境内社が多くあり、右から稲荷社、八雲社、御嶽社、琴平社、庚申社、天神社と並びます。

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↑境内には多くの立派な木々がありますが、盆栽のような松の木もありました。

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