昭和、明治に次ぐ長期の応永年間からの鰐口もある南畑八幡神社
埼玉県富士見市にある南畑八幡神社に行ってみました。
南畑は富士見市東部の荒川と新河岸川に挟まれた水田の広がる地区になります。
応永7年(1400)に、足利満兼がこの地を鎌倉の鶴岡八幡宮に寄進して社領となり、分祀奉斎した時の八幡社だといいます。
足利満兼とは知っていそうで知らない名前ですが、第3代関東公方でした。
室町幕府の足利将軍ではなく、むしろ当時の関東公方と京都の将軍家とは緊張関係にありました。
ここには八幡社に奉納された鰐口があり、同じく応永年間の銘文の刻まれており、富士見市指定有形文化財となっています。
鰐口(ワニグチ)とは、神社仏閣の堂前にある参詣者が綱で打ち鳴らす大きな鈴のことです。
応永年間は1397〜1432年までの35年間に及ぶ長さです。
明治時代からの一世一元の制より前までは、元号は期間の短いものが多く、それまでで最長となります。
つまり、昭和と明治に続いて歴代3番目の長さということになります。
南畑八幡神社は、天文年間(1532〜55)には難波田城主の難波田弾正が篤く崇敬したといいます。
先程の鰐口にも難波田弾正によって再奉納されたという銘文も刻まれています。
明治時代には下南畑村の村社となっています。
↑本殿は昭和16年(1941)に川越中学(現高校)内に建てられた奉安殿を移築したものです。
奉安殿は室岡惣七が設計したもので、入間市の旧石川組製紙西洋館や川島町の遠山家住宅を設計した建築家です。
↑境内社が多くあり、右から稲荷社、八雲社、御嶽社、琴平社、庚申社、天神社と並びます。
↑境内には多くの立派な木々がありますが、盆栽のような松の木もありました。
.
.
.
« 豊洲千客万来施設の建設前後とゆりかもめ豊洲駅からの延伸 | トップページ | 木場から移ったけどもう使われなくなってしまった新木場の貯木場とその暫定利用 »
「51埼玉県」カテゴリの記事
- 享保の改革の時からある吉田家住宅と埼玉県一乗降客の少ない竹沢駅(2024.10.13)
- 西高勾配のため景色では半分不利だけど意外と運動になる龍崖山(2024.09.29)
- 無形民俗文化財まんぐりの川越市にある八咫神社と寺山堰(2024.09.22)
- 古くからの盛衰のあった岩殿観音への長い参道と比企能員の判官塚(2024.09.01)
- 青梅インター近くの入間市にある無料のパターゴルフ場(2024.08.04)
「神社」カテゴリの記事
- 呼ばわり山という今熊山の今熊神社と安閑天皇の頃とは(2024.11.24)
- 地理院地図で大書きしてある大澄山と草花にある草花神社(2024.10.20)
- 昭和天皇手植えの枝垂れた杉のある和田乃神社と臨川庭園(2024.10.06)
- 無形民俗文化財まんぐりの川越市にある八咫神社と寺山堰(2024.09.22)
- 読めないけど延喜式にも載る大麻止乃豆乃天神社のある大丸(2024.09.15)
« 豊洲千客万来施設の建設前後とゆりかもめ豊洲駅からの延伸 | トップページ | 木場から移ったけどもう使われなくなってしまった新木場の貯木場とその暫定利用 »
コメント