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2024年6月

2024年6月30日 (日)

ブログサービスのココログフリーの容量上限と有料プランへの変更

ブログを見るだけでなく自分でも書いている方もいるかと思いますが、その写真などによる利用可能ディスク総容量は気にしていますか。

そろそろ、このブログが容量上限に迫りつつあるので、対策を考えてみる必要があります。

ブログを始めたのは平成24年(2012)1月2日のことで、東日本大震災の翌年明けですから随分前のこととなります。

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ちょうどパソコンを買い替えたので、ブログでもやってみるかな!くらいの軽い気持ちでした。

当然に有料プランなど考えてはいなく、当時よく見ていたブログに「ココログ」のものが多かったのでココログを選び、ココログフリーという無料プランでスタートしました。

niftyの回線を使用していませんでしたが、フリーならそれでも開始できるようなので気にしていませんでした。

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始めてみると、スマホやデジカメ写真はそのままでは容量が大きいので、画面サイズに合わせて写真を小さくしてアップロードをしてきました。

nifty接続サービスを利用していない人向けプランは、どれも上限は2GB(2000MG)でしたが、いつまで続けるかもわかりませんから十分と考えていました。

それでも12年半もすれば、さすがに上限に到達することになります。

現在のココログのプラン比較表は以下のようになっています。

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数年前にちょっと気にはなって調べた際は、家での通信回線を運営会社nifty接続にすれば、5GBなどの容量のより大きなプランもあるようなので、その時改めて考えればいいやとそのままにしてきました。

今その時がやってきたのです。

改めて調べてみると、「フリーからベーシック、プラス、プロという会員向けプランには変更できません」とあります。

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ただし、nifty接続会員以外の人向けのココログフリーでも有償オプションで最大容量が大きくされていました。

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2020年9月から「広告ライトオプション」の上限が2GBから3GBに引き上げられたのです。

無料ではないですが、月額275円という考えるに微妙な金額設定です。

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少なくともこの変更をすれば、当面は上限オーバーを気にする必要はなくなりますし、広告が少なくともパソコンでは少なくなるのは魅力です。

ココログから別の運営会社にブログの引っ越しをするという方法も考えましたが、そもそも、そこまでしてブログを書き続けるのかもあります。

でも、週一回毎週末にブログを書くことは習慣化しているところです。

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ココログを運営しているニフティは富士通の子会社でしたが、2017年に家電量販店のノジマに個人向けインターネット接続事業が250億円で買収されました。

直前までKDDIほかいろいろな会社名が候補として報道されてきましたが、ちょっと意外な結果でした。

↑改めて現在のノジマグループを見てみると、その事業範囲の広さに驚かされます。

ノジマ及びニフティがブログ運営という事業をこの先どう考えているのかはわかりません。

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↑合わせてどうしようか考えているのが、ブログランキングとのリンクです。

一人でも多くの方に見てもらいたいと思い、リンクさせているのですが、最近広告が多くて鬱陶しい面があります。

ブログ村からは月額500円の広告非表示プランへの変更案内も来ていましたが、無料で様々なサービスを享受するが当たり前という時代は終わったということなおでしょうか。

ブログ運営会社の方も、Yahooにしても、ヤプログにしても運営サービスをやめてしまいましたし、自分もこの先継続するのかどうするか考えものです。

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2024年6月23日 (日)

木場から移ったけどもう使われなくなってしまった新木場の貯木場とその暫定利用

地下鉄東西線に木場駅があり、有楽町線、京葉線、りんかい線に新木場駅があります。

今時間違える人もいないでしょうが、かなり距離は離れています。

ご存知の方も多いと思いますが、地名の由来は、かつて貯木場が木場にあり、それが新木場に移転したというものです。

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↑その新木場駅近くには「木材会館」という建物があります。

東京木材問屋協同組合100周年記念事業として平成21年に建てられたもので、木材需要の低迷する中、いかに木材を使って安らぎを感じる魅力的な空間を作るか、地球環境に貢献できる建物が出来るかを探求したプロジェクトだそうです。

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「木材は燃える」という既成概念がありますが重要なのは、材料が可燃かどうかではなく、火災の際に建物が安全かどうかということだといいます。

見かけは木材で燃えそうですが、耐火性能の高い鉄骨鉄筋コンクリート造で構造躯体を形成し、外壁が炎上しても上階へと燃え広がらないように、階の途中に不燃処理を施したファイアーストップ木材を設置することで、火災の拡大を防ぐ構造になっています。

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↑木材会館からもう一つビルを挟んだ背面である、新木場駅南東方向の水辺側には「14号地第一貯木場」があります。

江戸時代から深川の木場にあった木材関連企業が1972年に、この貯木場水面もある「14号埋立地」に移転してきたのが新木場地区です。

現在では、見たところ貯木場としては使われていないようですが、曙運河からは立ち入り禁止の表示があります。

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原木取扱量は昭和48年(1973)をピークに減少しており、ここ以外でも貯木場水面は既に利用転換が次々と図られています。

調べてみたら、夢の島マリーナは旧砂町貯木場でしたし、お台場海浜公園も旧台場貯木場でした。

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↑新木場駅から南への千石橋から南西を見ると、曙運河と左には新木場公園があります。

テントらしきものがありイベントが開催されるのかとも思いましたが、バーベキュー広場として事前予約により貸し出しているようです。

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↑公園の南西側は「旧12号地貯木場」ですが、ここも貯木はされていません。

木材輸入される荷姿が貯木する原木ではなくコンテナに変化して、原木の取り扱い自体が無くなっています。

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↑何やら工事しているように見られますので、こちらも調べてみました。

令和5年12月の東京港第9次改訂港湾計画の審議資料によれば、どうやらここでは、水面が「工事作業船係留水域」として暫定利用されているようです。

こうした工事作業船を一時停めておくスペースも確かに必要でしょう。

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↑終点である有楽町線新木場駅の東側への引き込み線の奥には東京メトロの車庫があるのも新木場地区になります。

こうして木材関連だけでなく陸も海も利用していくのは時代の流れとして必要なことなのでしょう。

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2024年6月16日 (日)

昭和、明治に次ぐ長期の応永年間からの鰐口もある南畑八幡神社

埼玉県富士見市にある南畑八幡神社に行ってみました。

南畑は富士見市東部の荒川と新河岸川に挟まれた水田の広がる地区になります。

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応永7年(1400)に、足利満兼がこの地を鎌倉の鶴岡八幡宮に寄進して社領となり、分祀奉斎した時の八幡社だといいます。

足利満兼とは知っていそうで知らない名前ですが、第3代関東公方でした。

室町幕府の足利将軍ではなく、むしろ当時の関東公方と京都の将軍家とは緊張関係にありました。

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ここには八幡社に奉納された鰐口があり、同じく応永年間の銘文の刻まれており、富士見市指定有形文化財となっています。

鰐口(ワニグチ)とは、神社仏閣の堂前にある参詣者が綱で打ち鳴らす大きな鈴のことです。

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応永年間は1397〜1432年までの35年間に及ぶ長さです。

明治時代からの一世一元の制より前までは、元号は期間の短いものが多く、それまでで最長となります。

つまり、昭和と明治に続いて歴代3番目の長さということになります。

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すぐ近くには8年前に見てまわった難波田城跡があります

南畑八幡神社は、天文年間(1532〜55)には難波田城主の難波田弾正が篤く崇敬したといいます。

先程の鰐口にも難波田弾正によって再奉納されたという銘文も刻まれています。

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明治時代には下南畑村の村社となっています。

↑本殿は昭和16年(1941)に川越中学(現高校)内に建てられた奉安殿を移築したものです。

奉安殿は室岡惣七が設計したもので、入間市の旧石川組製紙西洋館や川島町の遠山家住宅を設計した建築家です。

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↑境内社が多くあり、右から稲荷社、八雲社、御嶽社、琴平社、庚申社、天神社と並びます。

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↑境内には多くの立派な木々がありますが、盆栽のような松の木もありました。

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2024年6月 9日 (日)

豊洲千客万来施設の建設前後とゆりかもめ豊洲駅からの延伸

1ヶ月ほど前に乗った日暮里・舎人ライナーと同じように新交通システムである「ゆりかもめ」に乗りました。

正式には「東京臨海新交通臨海線」という名称で、臨海が二度も出てくるのはおかしいですが、株式会社ゆりかもめが以前は東京臨海新交通株式会社という名だったことによるみたいです。

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↑東京ビッグサイト駅から豊洲駅方面に向かうと、路線はすぐに90度ターンしますが、鉄道ではできない直角カーブができるのが新交通システムの利点です。

新橋駅から豊洲駅までの14.7キロを31〜33分ほどで結ぶAGT(Automated Guideway Transit)自動案内軌条式旅客輸送システムです。

やはり、ATO(Automatic Train Operation)自動列車運転装置による無人運転のため、前面展望は抜群です。

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↑市場前駅直前でも90度ターンとなりますが、この周辺では豊洲市場が開場したため以前とは風景が大きく変わりました。

左には、ようやく今年令和6年2月に開業した豊洲千客万来の建物が見えます。

都による築地から豊洲への市場移転への混乱の影響もあり、平成30年には事業者としての万葉倶楽部会長と都知事との直接会談もありました。 

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(平成29年10月当時)

豊洲市場が開業するより前の、平成29年10月に自転車でこの辺りを見て回った時の千客万来施設予定地です。

あの頃は豊洲市場自体の開業が延期され移転日が定まらず、この施設はどうなることかと思っていました。

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(平成29年10月当時)

↑当初は、平成31年(令和元年)8月に商業棟、その翌年に温泉棟が開業する予定でした。

現在のゆりかもめからの写真で正面に見えている豊洲大橋も、閉鎖され通行できない状態でした。

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(平成29年10月当時)

平成30年11月になってようやく、やはり遅れていた環状第2号線の暫定開通に伴い、この橋も通れるようになりました。

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2024年6月 2日 (日)

金子十郎家忠に関わる入間市木蓮寺の瑞泉院と桂川神社

JR八高線金子駅近くの入間市木蓮寺には、地図でみる限り木蓮寺という寺院は見当たりません。

木々の中にあり、寺社のどちらであろうと立ち寄ると、桂川神社がありました。

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上州の赤城神社を勧請したもので、金子氏館の鬼門徐けとして金子十郎家忠によって建立されたといいます。

平安時代終わりから鎌倉時代初期の頃のことです。

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近くにはJR八高線の金子駅がありますが、金子氏とは武蔵七党の一つである村山党に属していた武士です。

村山頼家の三男家範が、ここ入間郡金子郷を本貫地とし、金子氏を称したことが始まりだといいます。

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家範の子である十郎家忠(1138〜1216)は、源義朝に従い、保元・平治の乱に参陣しました。

その後も衣笠城攻や源平合戦にも参陣しました。

↑桂川神社の裏側は斜面で高くなっていますが、数多くの墓石の並ぶ大規模な墓地となっているようです。

行ってみると、入間霊園とともに、看板には公益財団法人瑞泉院メモリアルアカデミーと書かれています。

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↑石柱には金龍山木蓮寺瑞泉禅院とありますが、瑞泉院は既に廃寺となっているようです。

「入間市指定文化財 金子十郎家忠一族宝篋印塔入口」との看板がひときわ目立ちます。

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