妙見菩薩や平将門についてwikiにも資料引用されている円泉寺は久邇宮とも関係があり久邇カントリーの隣り
圏央道狭山日高インターの西、飯能市平松に円泉寺があります。
弘法大師が開いたと寺の縁起にありますが、延享5年(1748)の石塔に書かれていることより以前のことについては、詳細についてはよくわからないようです。
↑参道左には六地蔵、右には十三重塔があります。
また、円泉寺は武蔵野七福神の福禄寿の札所となっています。
武蔵野七福神は飯能市、所沢市、入間市の六寺院、一神社にあるということです。
↑本堂は天保15年(1844)に再建されたものです。
円泉寺で最も古い石仏・六地蔵石幢には延宝9年(1681)と彫られています。
↑本堂の西には石段があり小さな山となっており、妙見堂があります。
平安時代に平将門が妙見菩薩に危機を救われ像を受け、その二代目妙見像があるということです。
弘化五年(1847)妙見菩薩像を、京都神祇官統領伯王殿公文所より円泉寺境内に祀ることが許可されたものです。
その際、土を村民総出で高く盛り上げて、お堂を建立し祀りました。
↑妙見堂に向けては、先ほどの東側の石段だけでなく、南側の正面からも石段があります。
妙見菩薩は北極星、北斗七星の神格化された姿であり、その信仰は奈良・平安時代かなり盛んだったといいます。
妙見堂の右には天神社もあります。
円泉寺ホームページは資料が充実しており、妙見菩薩や平将門については円泉寺のものがwikiでも資料として引用されています。
またそれに伴い研究や卒論など多くの人に利用されています。
藤棚があり、花のピークではありませんが咲いていました。
円泉寺本堂には久邇宮家に下賜された檜の板3枚が飾られているそうです。
昭和11年(1936)には、久邇宮様と女子学習院初等科生徒一行が遠足に円泉寺参拝と栗拾に来ました。
↑円泉寺境内の妙見堂と天神社の間には忠魂碑があり、立派な松も植えられています。
戦後になってからも、久邇宮様は鉄砲打ちによくこの辺りに来ていたそうです。
↑北側にある墓地のさらに北には池があり、ため池と思いましたが、どうやら久邇カントリークラブの敷地のようです。
西武鉄道、プリンスホテルグループのゴルフ場ですが、こういったことから久邇という名がついているようです。
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