小田急多摩線の田名への延伸計画と田名八幡宮の微妙な時期の改称
前回見てきた相模原市の水郷田名を巡っていると「小田急多摩線を田名に延伸させよう」という立看板をいくつか見かけました。
小田急線の新百合ヶ丘から多摩ニュータウンへのアクセス路線として唐木田まで整備されている路線です。

そんな延伸話あるのかと戻って調べてみると、相模原市ホームページにも載っていました。
「小田急多摩線について、町田市を通り、JR横浜線相模原駅、JR相模線上溝駅、更には、田名地区を経由し、愛川・厚木方面へ延伸する計画です。」とあります。

平成28年に国の交通政策審議会答申「東京圏における今後の都市鉄道のあり方について」で、小田急多摩線の延伸が、東京圏の都市鉄道が目指すべき姿を実現する上で意義のあるプロジェクトの一つとして位置付けられましたということです。
↑ただし、その答申本文を見てみましたら、唐木田から上溝までの延伸で、記載されているのも上図です。

なお書きで「更なる延伸を検討する場合は本区間の整備の進捗具合を踏まえつつ行うことが適当」とされています。
↑田名から相模川対岸の愛川町ホームページではこのような図も載せられ、やはり地元は盛り上がっているようです。

↑最初の写真の水郷田名自治会館敷地の左には消防団分団、さらに左には、田名八幡宮があります。
延暦17年(798)に天地大明神を勧請したのが始まりだと社伝にあります。
田名八幡宮となったのは建久2年(1191)といいますから、何時代というか微妙です。

私は源頼朝が征夷大将軍となった1192(いい国)から鎌倉時代と覚えましたが、今は守護地頭を配置した1185(いい箱)説が有力だといいます。
江戸時代は田名村の鎮守で、明治時代には村社となっていました。
相模川の洪水や火災などによって何度も社殿は失われ、再建されてきました。

↑社殿左奥には、天地大明神があります。
ここ田名八幡宮では「的祭」という神事が鎌倉時代から行われているといい、相模原市重要無形文化財になっています。
毎年1月に桃の木(現在は榎)の弓で大的を4人の射手が射て、その年の豊凶を占うものです。

↑地元に愛されている神社なのでしょう、敷砂利にきれいに模様が付けられています。
天地大明神の隣には、左から「ばんばあ石」「じんじい石」と代理の石があります。
雨乞いのために、ばんばあ石を相模川に沈めると不思議に雨が降りましたが、多くの場合大洪水となり被害も大きかったそうです。

あとに残されたじんじい石の涙による仕返しだろうと、右側の代理石を置くことで怒りも収まり洪水にならないだろうと考えたということです。
この行事は江戸中期から大正末期まで続いたそうです。
やはり、田名水郷地区では相模川の水とは何かと縁があるようです。
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