越辺川の大川堤、鶴見線の大川駅や大川町の由来と横沼白髭神社
越辺川右岸の坂戸市側の土手のところに「大川堤遺跡」という石碑が立っています。
遺跡という名に惹かれて調べてみましたが、私が勝手に勘違いした古い時代の「遺跡」ではないようです。

前回見た郷土の偉人大川平三郎の功績の一つです。
生誕の地である坂戸市横沼の辺りは、大雨が降ると越辺川の氾濫により水害が発生する状況でした。

大川平三郎は私財を投じて南へ1150メートルの堤防を築き、大川堤と呼ばれるようになりました。
ここに架かる橋は道場橋といい、剣術家であった祖父平兵衛英勝の道場であり、平三郎の生家である大川道場から名付けられているようです。

碑のある右岸下流側を見てきましたが、右岸上流側も同じような景色です。

大川について調べていて驚いたのですが、JR鶴見線の大川駅や地名の大川町も大川平三郎に因んだ名前だったのです。

↑川崎市の臨海部にある埋立地です。(国土地理院地図)
明治時代の浅野総一郎による埋立事業で造成された土地のイメージも強いですが、大川平三郎もそれに出資したことで、大正15年(1926)に大川町と名付けられました。

(↑坂戸市横沼の大川道場跡すぐ近くにある白髭神社の一の鳥居です。)
埋立地では、浅野総一郎から浅野町と浅野駅、同様に白石元治郎から白石町と武蔵白石駅も名付けられています。
JR鶴見線は鶴見臨港鉄道として、大正15年に大川駅開業しました。

↑先程の鳥居から参道を進むと、右に直角に曲がった向きに二の鳥居があります。
↓その奥が横沼白髭神社社殿になります。

創建年代は不詳のようですが、江戸時代の新編武蔵国風土記稿には横沼村の鎮守として記載されています。
南へ1キロほどの同じ坂戸市内の紺屋にも白髭神社があるそうです。
この近くには白鬚神社が多くあるようです。
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