はにわの丘はちょっと微妙なところだけど桜山窯跡群はすごいところ
いつものように地図を眺めていたら、はにわの丘というところが東松山市にありました。
関越自動車道の東松山サービスエリアの少し北東になります。

↑「ひきのみち」と名付けられた歩行者自転車用道路の弁天山橋から、南の練馬方面を見たものです。
ひきのみちを東に進むと、「はにわの丘」があります。

古墳時代後期である1450年前の須恵器や埴輪の窯の跡が見つかっています。
平成14年(2002)の東松山市教育委員会による説明板ですから、552年頃ということになります。

日本に仏教が伝来したのが538年とか552年とか言われますから、その頃のものかと思うとやっぱり悠久の昔です。
昭和55年(1980)に行われた発掘調査で、ここに須恵器の窯跡2基があったということです。

土器の中で、須恵器というものがよくわかっていませんでしたが、青灰色の1200度ほどの高い温度で焼かれた焼き物だということです。
それまでの縄文土器や弥生土器、土師器のように野焼きで作れるものではないところが大きな違いです。

↑斜面に沿って舟底型に長さ7メートル、深さ1メートルほどに穴を掘り、その上に天井を付ける登り窯です。
低い方に焚き口、高い方に煙道があり、高温にできるため硬く引き締まった土器ができるようになりました。

↑埴輪の窯跡は17基もありました。
須恵器に対して、埴輪は800度ほどで焼けるので、長さも4〜5メートルと少し小さめです。
埴輪は大量に生産され、坂戸市北峰古墳群、東松山市附川古墳群、吉見町三ノ耕地遺跡など広く供給されていました。

↑住居跡は一段高い平坦地にあります。
一辺3〜5、8メートルで煮炊きや暖をとるカマドがある、埴輪作り職人の工房跡と考えられています。
重要な遺跡なのですが、斜面のある敷地に植栽で窯跡などを再現する手法はどうなのでしょう。

↑案内板による図で全体像は分かりますが、見渡せる展望デッキとか何か出来なかったのかなと思います。
でも、ここで焼かれた埴輪が1年前に見た坂戸市の北峰古墳群で使われたと知って、地理的歴史的繋がりというものの面白さが感じられました。

↑弁天橋に戻り、関越自動車道の新潟方面を見ながら考えました。
2年前に見た鳩山町の瓦窯跡の瓦が武蔵国分寺で使用されたことから考えれば、すぐ近くの話しなのです。
こうした自動車など想像もしない世の中での距離感というものの感覚はどんなものなのかを。
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