国分寺崖線西端の国分寺市西町にある西向きの西町神明社と中藤公園
国分寺崖線は、古代多摩川が南へと流れを変えていく過程で武蔵野台地を削り取ってできた河岸段丘の連なりで、30キロほどあります。
立川市ではほとんど高低差はありませんが、国分寺市からは崖線らしい高低差があり、東南に向け大田区田園調布まで続きます。
↑その国分寺崖線の西端となるところに西町神明社があります。
村社神明社と刻まれた石碑があります。
この付近はかつて中藤新田と称されおり、江戸時代の享保年間(1716〜35)に新田開発と考えられています。
ここに限らず北多摩地区を巡っていると、至るところで享保年間の開発地があると感じられます。
学校で習う享保の改革が実際にあったことが実感できます。
本殿拝殿などの建築は昭和3年(1928)ということです。
社殿は西向きに建てられており、石段から鳥居を振り返ってみると、さらに西向きの道が延びています。
国分寺崖線もこの辺りでは既に10メートルほどの高低差があります。
崖下正面の道は崖線に沿うように少し曲がりながら進む道です。
今時にありがちな歩道の広い道ではなく、やはり古道だということです。
初詣に向けて準備が進められており、混雑を避けるためでしょう、ロープで順路を誘導してあります。
行きは正面の石段を登る一方通行とするようです。
帰りは社殿左側である北側から出ることとなります。
一方通行にするというほど初詣する人の来る、地元に根付いている神社なのでしょう。
ところで、親村は中藤村であったということで、武蔵村山市に中藤の地名は残っています。
現在の感覚で国分寺市と武蔵村山市を考えると、逆に思えますが当時は青梅街道沿いの中藤の方が既に開発されていたのでしょう。
↑北側から出て古道であった道へ西向きに下ったところから振り返ってみました。
国分寺崖線では樹林地として残っているところは、35パーセントだということです。
ここは都市計画公園緑地としては中藤公園となっています。
一般の地図などでこの名称は全く出てこないのですが、都市計画図には載っています。
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