陣屋跡でもある文化財としての永田家長屋門と簓子塀と立隠れ
さいたま市西区土屋に永田陣屋跡や土屋陣屋跡といわれるところがあります。
県道57号さいたま鴻巣線沿いで、前回見た馬宮コミュニティセンターの県道向かい側になります。

説明板らしきものはあるのですが、雑草が生い茂った民有地の中のようなところで近寄れませんでした。
目的の建物には、右の道路から迂回して行くことができます。
Googleマップでは「永田陣屋跡」と表示されているところになります。

さいたま市というか大宮市の時の文化財説明板があり、そこには「永田家長屋門及び築地塀」とあります。
長屋門は桁行き21メートル、梁間5メートル、棟高6メートル、面積100平方メートルと市内最大規模です。

門の両端に接しているのが「忍び返し」の付いた築地塀だとあります。
大宮市で市内最大だとありますが、浦和市、与野市と合併した現さいたま市でも最大なのかどうか、念のためホームページで調べてみました。
文化財の情報を見ましたが簡易なものなので、その答えは結局わからず、さらに疑問が一つ湧いてしまいました。

名称が若干変わって「永田家長屋門及び簓子塀」と表記されており、建築物として市指定有形文化財となっています。
漢字からして難しくなりましたが、簓子はササラコと読み、「簓子塀」は簓子下見板の付いた塀ということらしいのですが、これもわかりません。
簓子下見板とは、つまり細い角材で押さえた下見板を取り付けた塀ということのようです。

またホームページには「立隠れあり」とも書かれていますが、これも意味がわかりませんでした。
調べてみても、これは一般的な用語ではないようですが、さいたま市の文化財解説ではよく使われているようです。

↑どうやら、門構えが半間引っ込むという意味で、入口部の引っ込んだ所に立つと、姿が壁の陰に隠れるということのようです。
この長屋門の正確な建築年は不明ですが、江戸時代後期のものと考えられています。
説明板に「忍び返しのついた築地塀」とあった、その忍び返しは確かに見つけることができました。

ここは永田陣屋跡として埼玉県選定重要遺跡にもなっています。
江戸時代初期に関東郡代伊奈忠次が陣屋を設置した地で、家臣であった永田氏が拝領しました。
今でも周囲には水堀があり、ほぼ一周しています。

↑左側の道路との間が草木で見づらいですが水路で、長屋門右側から撮った写真でも、水草というか雑草の生い茂ったところに水路があります。
江戸時代初期に伊奈忠次が、荒川改修や新田開発のために陣屋を築いたということです。
長屋門の内側に立入禁止の表示があるわけではありませんが、現在も永田家の住宅があるようなので中の撮影は止めておきます。

↑ただし、長屋門の裏側だけは失礼して撮らせてもらいました。
上の両側に駕籠が掛けられています。
これも江戸時代のものなのでしょうか、こうしたものが保存されているのは有り難いことです。
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