巨大で景色を見ることもできる荒川ロックゲートと歴史ある小松川閘門
都営新宿線東大島駅周辺では、荒川の右岸である西側すぐ横には旧中川が流れています。
その旧中川は荒川に合流するのですが、そこには大きな水門があります。

荒川ロックゲートという名前の閘門になります。
コウモンという読みのイメージが良くないからではないでしょうが、荒川閘門ではなく荒川ロックゲートです。
6階建ての建物のように階段があり、昼間は上に登ることができます。

↑いわば展望台から見ると、もともと水量も豊富な荒川ですが、河口間近でもあり川幅はかなり広いです。
閘門・ロックゲートは、水面の高さが違う二つの川で、船が通行出来るようにするための施設です。

川と川の間に二つの水門を作って水位を調節し、水面の高さを同じにして船を通します。
↑門の高さは18.2メートルもありますから、通行のための水路はかなり下に狭く見えます。

↑降りて改めて振り返ってみれば、水路幅は14メートルもあり12メートル幅の船が通れるようになっています。
先程登っていた荒川側にあるのが前扉となります。

↑旧中川側が後扉で、こちらの高さは14.7メートルです。
荒川と旧中川は水面差が最大3.1メートルあるため船の往来が不可能となっていましたが、荒川ロックゲートの完成によって両河川は船で結ばれました。

後扉は上には登れませんでした。
↑後扉越しに前扉の方を見ていますが、前後扉間が65メートルあり、長さ45メートルの船まで通ることができます。
荒川と旧中川が船で通れるということは、それだけの意味ではありません。

↑南北に流れる旧中川は、すぐ近くで東西方向の小名木川と同じ水面高で繋がっています。
小名木川は西では隅田川に繋がっていますから、隅田川から小名木川、旧中川、荒川へと船で結ばれているということです。

↑旧中川の対岸で下流向きに、左からの小名木川との合流を見ていますが、正面の奥の橋の左に荒川ロックゲート後扉が見えます。
ややこしいですが、旧中川はすぐ先の小名木川排水機場を通って荒川と合流しています。

荒川ロックゲートは平成17年に完成しましたが、実は閘門は昭和時代にはありました。
↑それを見ることができます。
現在の荒川である荒川放水路が完成した時、同時に昭和5年に小松川閘門が作られました。

↑大島小松川公園にその小松川閘門の上部が移設保存されています。
当時は1日に1200隻もの船は通船していたそうです。
しかし、自動車交通の発達により物資輸送方法が船からトラックに変わり、昭和50年に閉鎖されたものです。
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