石神井川新青梅街道付近の河川改修工事と太田道灌が築いたともいう愛宕山城
石神井川の大雨対策の河川改修工事は、上石神井周辺で新青梅街道と交差する辺りから下流については、既にほぼ完了していました。
大泉学園と上石神井の間のバス通りに架かる愛宕橋と新青梅街道の間の区間も工事が進んだようです。

↑上を通る新青梅街道の扇橋のすぐ下流に架かる小ヶ谷戸橋は、新たな橋梁に架け替えられていました。
コロナ緊急事態宣言が出る直前の3年半前に見に行った時は、工事で架け替えで通行止めになる直前でした。

↑橋から下流を向くと、左岸側は歩行者自転車道が上下二段に分かれてありました。
下流の愛宕山橋から見ても、親水のため川に近づく意図でもなさそうで、地形的な配慮でしょうか。

通行する人や車のことを考えて、仮橋を横に通すのが一般的ですが、この小ヶ谷戸橋は3年も単に通行止めとされていました。
見たところ、車はあまり多くなく歩行者は愛宕橋に迂回すればいいと思われてしまったのでしょうか。

↑小ヶ谷戸橋に戻り上流側を見ると、こちらはまだ拡幅前であり作業用の仮橋のようなものが見えます。
橋の架け替えに際しては通行用仮橋は無かったのにどういうことでしょう。

↑高い位置にある新青梅街道の扇橋から見ると仮橋でもなさそうです。
大型重機が行き来するだけでなく、護岸に杭打ち等もする重機も乗せて作業できるような頑丈なもののようです。

↑新青梅街道の反対側はまさに工事中というか工事開始準備中という感じです。
H綱の上が鉄板で覆われていて、間もなく拡幅部分の護岸に鋼矢板などを打ち込んでいくのでしょう。
100メートルほど奥の上石神井アパートのところは既に工事完了しています。

↑再び下流側に戻って、バス通りである愛宕橋の向こうには城跡があります。
何回か通ったことのあるところなのに知りませんでしたが、たまたまGoogleマップで存在を知りました。

愛宕山城または愛宕山砦と言われており、江戸城を築いたことで有名な太田道灌が築いた城だということです。
えっ、こんなところに?と思いましたが、ここから500メートルほどの石神井城攻略のための砦だったということで納得です。

↑この城跡の目の前は、親水のため川に近くづけるようになっていて高低差が感じられ、しかも川面も周囲も雑草で覆われているので、なぜか当時の趣きが想像される景色となっています。
文明9年(1477)の江古田原沼袋の戦いで敗れた豊島泰経が逃れた石神井城と攻めるために使われたということです。
ただ、そもそもは石神井城の支城だったものを利用したともいいますから、中世の城の築城主はよくわかりません。

↑遊歩道の低くなったところから見れば、確かに石神井川が天然の堀となったいい城です。
今は荒れた森の中という感じですが、早稲田大学高等学院の敷地で、学校からすれば校舎やグラウンドの奥の土地で放置されているのでしょう。
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