飯能の第二天覧山と中山氏、加治神社、中山家範館跡
飯能市の宮沢湖周辺はちょっと寂れた雰囲気でしたが、ムーミンバレーパークができてすっかり観光地として復活しました。

その宮沢湖の西側をぐるっと反時計回りに、武蔵丘ゴルフコース沿いにある山道の遊歩道があります。
南側を東に向かっていくと分岐があり、南に加治神社や飯能駅方面に向かえます。
表示に従い左斜めに進みました。

歩いていくと、踏切と電車の通る音が聞こえて、そんなに西武線近かったかな、この辺り踏切なんてあったかなと不思議です。
すると、標識の表示通りに進んだはずですが、第二天覧山の標識です。
でも山らしさ、頂上らしいところはありません。

天覧山は有名ですが第二天覧山は存在自体知りませんでした。
検索して調べてみても由来がよくわかりません。
桜の名所とも書かれていますので、その桜つながりなのでしょうか。

↑一旦北へ戻り、表示の方向ではない真っ直ぐ向かうと加治神社がありました。
中山家範の家臣が慶長元年(1596)聖天社として勧請したのが由来のようです。

↑参道の右側の建物は中山城会館と書かれていますが閉鎖されていました。
中山氏とは、中世の武蔵七党の一つである丹党の出で、鎌倉時代の加治家季がここ中山の地に居住し中山を名乗ったといいます。

参道にある6基の石灯籠は江戸時代の寛永19年(1642)のもので、明治時代に丹生明神社が合祀されたときに本殿とともに移築されたものです。
丹生明神社は智観寺境内にあったもので、この寺も中山氏の菩提寺です。
戦国時代の天文15年(1546)には中山家勝は山内上杉氏の家来として、後北条氏との河越夜戦に敗れた際に祀った天神社も加治神社の境内社です。

↑近くには中山家範館跡があり、埼玉県指定旧跡となっています。
中山氏はこの時は後北条氏に従い、家勝の子である家範は天正18年(1590)後北条の城だった八王子城で戦死しています。
周囲には推定幅4〜6メートル、深さ1~2メートルの空濠をめぐらしていました。

↑西から東にわずかに空堀跡が残っています。
碑はこの奥に立っています。
ここから東西60メートル、南北90メートルの内堀となっており、南に向けての道も空堀跡のように思われます。

周囲には鎮守一二社や守護神が置かれ、中山家に仕える武士の居宅があったといいます。
現在は宅地化が進んだため空濠の一部を残すのみとなってしまいました。

館は、北に蓬莱山、遊亀山、勘解由山と続き、丹生堀と加治堀の水源に挟まれていたと教育委員会の案内板に書かれています。
↑南西から館跡のあるところを見ると、確かにこちら北側は宮沢湖やゴルフ場のある高い山となっています。
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