昭和用水の流れからの原水補給ポンプ所と龍津寺の湧水の流れ
前回、多摩川からのかつて九ヶ村用水、そして昭和用水の取水堰を見てきましたが、その昭和用水を少し辿ってみました。
まずは、多摩川に対して垂直方向に左岸の河川敷内を流れていきます。
土手の下を通ったところからは多摩川と並行に沿う方向に流れていきます。
周囲は木々が生い茂った林のようになっていますが、用水沿いに狭い道があります。
すぐに左手は啓明学園のグラウンドになります。
350メートル程で一般道に出て視界も広がります。
右には廃校となった昭島市の拝島第四小学校校舎があります。
左には東京都水道局の施設があります。
昭和用水から取水されて勢いよく水が流れ込んでいました。
正面入口の看板を見てみると、拝島原水補給ポンプ所となっていました。
何なのかと思い戻って調べてみると、昭和用水堰からの水を玉川上水に補給するための施設のようです。
その裏側にある、左に登っている道の下に導水管があって、水をポンプで汲み上げて北に流れている玉川上水に補給するため送っているようです。
水道局の資料によると、昭和用水が灌漑用水として必要となる期間を除いた、10月から4月だけに補給は限定されています。
また、原水というのは、飲む水になる水道水へ処理する前の水ということのようです。
ただ、上の写真で橋から奥には水路もあるのですが、そちらにも水が流されているように見られます。
↑この少し手前側では水路がありそうな空間は確保されているのですが、水は流れていません。
左奥の林のようなところは高低差のあるハケとなっており、水路を進むときれいな水が流れ込んでいました。
斜面上には龍津寺があり、この水は龍津寺の湧水として東京の名湧水57選の一つにもなっています。
一箇所ではなく小さな流れではあるものの何箇所かで流れています。
↑大きな石積みの庭園のようにされたところもあります。
下の川という名の水路で、ここにはちょっと座って休憩できるスペースもあります。
この辺りだけ異空間のようになっています。
下の川に流れている水は、湧水とおそらく昭和用水から水道局施設経由で入ってきた水がともに流れているのでしょう。
この時期は玉川上水への補給はしていないはずなので、水量は豊富ですが、冬の時期は湧水だけの流れになっているのでしょうか。
↑取水された後の昭和用水の方の流れも戻って見てみました。
こちらも豊富な水量が流れています。
並行するように流れる下の川と昭和用水は、しばらく先では合流するようです。
古くは九ヶ村用水として利用された水は昭和用水として、現在も灌漑用水の役割を果たしているようです。
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