調節池のすぐ近くでの想像していなかった川越江川による浸水被害とそのための調整池
平成10年(1998)には新河岸川の越水による3800戸もの家屋への浸水被害が発生して寺尾調節池は平成15年(2003)に整備されました。
この辺りでは被害はもう起きなくなったのかと思っていましたが、そうでもないようです。

↑寺尾調節池のすぐ東隣りには川越江川が新河岸川に流れ込んでいます。
ややこしいことに、wikiで見ても埼玉県だけで江川は6つあります。
しかも、新河岸川支流だけで富士見江川、福岡江川、川越江川の3つがあります。

↑樋門から上流側を見ても、右には堤防に囲まれた寺尾調節池があります。
その調節池があるというのに、平成29年そして令和元年の台風で寺尾地区では浸水被害が発生してしまいました。

↑沿って500メートルほど歩きましたが、以前は蓋掛けされていて、それが壊れるほどの被害だったようです。
新河岸川増水時には逆流防止のため先程見た樋門は閉まってしまいます。

↑寺尾調節池に沿って流れる川越江川は、ここから上流は暗渠として水が流れてきています。
寺尾地区では、新河岸川への樋門が閉まって行き場を失った江川の水により、内水氾濫が発生してしまったということです。

↑ここには中島雨水排出ポンプ場がありますが、これ自体も冠水により作動停止してしまいました。
すぐ先に見えるのが寺尾調節池の南端です。
堤が少し高くなっていますが、周囲に比べれば低い土地です。

↑300メートルほど南東から見ていますが、こちら側とは10メートル位の高低差があります。
この河岸段丘のような地形は続いており、西沼公園も斜面となっていて、300メートルほど先に川越江川と寺尾調節池があります。

↑中央奥に見えているのが元福小学校の校舎です。
標高を国土地理院地図で調べて驚いたのですが、この高いところで17メートル、低いところでは7メートルほどでした。
ふじみ野市ではこうした被害を受け、対策として新たな川崎調整池を整備しようと用地取得を行なっています。
↑(ふじみ野市ホームページより)
広さは16000平方メートルほどで、令和4年11月時点で98%ほど取得済ということです。
下の写真は、新河岸川土手の寺尾調節池横から下流方面を見たものです。

右にある川越江川樋門の左のところの、新河岸川が大きくカーブしている内側に新たな調節池が計画されています。
寺尾調節池のすぐ隣りにはなりますが、新河岸川と川越江川という別の対策のことをしなければならないとは、改めて、水害対策の難しさを考えさせられます。

↑ところで、ちょっと関係ない話になりますが、この川越江川沿いすぐ近くに「防衛庁第一公園」というのがありました。
特に何もない狭い公園ですが、地図を見ると近くに第三、第四公園もあるようです。
戸建て住宅地の中であり、防衛庁の官舎にも見えません。
ここが以前は防衛庁の基地または官舎があった名残りなのでしょうか、この件についてはもう少し調べてみたいと思います。
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