新河岸川の増水対策として造られた13ヘクタールの寺尾調節池
各地で台風等の影響による水害はたびたび起こってしまっています。
新河岸川沿いの川越市とふじみ野市境界付近の寺尾地区に大きな調節池があります。

寺尾調節池といい、面積13ヘクタールもあります。
平成15年(2003)に造られたもので、容量36万立方メートルあります。
↑南端から新河岸川の流れる北方を見ていますが、渇水期であるこの時期は水は入ってないようです。

↑南西端から同じく北方ですが、川までの距離は450メートルほどあります。
災害時の保水だけでなく、自然環境の保護や地域住民の憩いの場となることも考慮したといいます。
1枚目の写真でも中央付近にニコニコ橋という木橋が架かっています。

周囲は散歩やジョギングできるように距離表示もあり、一周1820メートルあります。
↑新河岸川土手沿いには、こんなところに一軒家かと思うような建物があります。
もちろん、家ではなく寺尾調節池排水機場です。
大雨時に調節池に入った水を通常時に川に戻すための施設です。

↑土手から調節池を見ると、ここには少し水が溜まっているようです。
右が新河岸川上流ですが、まず調節池からの水流出口があり、下流である左に水の流入口があります。

↑土手の川側には、川面の近くまで下りて行くことができる階段があります。
そこで水の流入口を間近に見ることが出来ます。
もちろん、水の多い時には危険で入ることも見ることも出来ないところでしょう。

↑上に架かる橋は新鷹匠橋といいます。
以前にはすぐ近くに鷹匠橋という木橋があり、江戸時代に徳川家康や家光が喜多院の天海僧上を訪ねた折に鷹狩りをしたと言われてことから名付けられました。

↑(埼玉県ホームページより)
調節池は川越市寺尾になりますが、調節池に左から出っ張っているところは、ふじみ野市立元福小学校でふじみ野市の敷地です。
鷹匠橋はその近くにあったそうです。
新河岸川上流方向を見ていると、穏やかな流れと景色で、こんな大きな調節池が必要なのかと思ってしまいます。

しかし、平成10年(1998)には新河岸川の川越市の不老川合流点から九十川合流点辺りにかけての地域で越水しました。
その時には3800戸もの家屋への浸水被害が発生してしまい、その対策として寺尾調節池は計画されました。

↑川の下流方向を見てみると、向こうの左岸側にも排水機場らしき建物が見えます。
九十川が合流してきますので、九十川排水機場です。
大雨の時は驚くほど川は増水するようで、寺尾調節地完成後の被害もあるそうですから調べて次回に続けます。
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