鳥羽井沼自然公園と九頭竜神社と上八ツ林氷川神社の大ケヤキ
荒川サイクリングロードを上流に向かい圏央道を過ぎてしばらく行くと、左手に鳥羽井沼があります。
ここは川島町になり、下流方面を振り返ると沼が右手に見えます。

江戸時代の安永年間(1772〜81)に市野川の洪水によりできた河跡湖だということです。
当時の荒川と市野川の流れるルートを確認できていないので、真偽は調べられていません。
↑少し戻って土手上から、鳥羽井沼に下りてみます。
鳥羽井沼自然公園とされていますが、左には排水機場があります。
埼玉県営排水事業として口径1200ミリのポンプ2台で排水能力は毎秒6.5トンの鳥羽井排水機場です。
沼は2つあり、手前の南側は前沼といい、南北100メートル、東西70メートルほどあります。
↑境目付近には九頭龍大権現と一目連大明神が祀られています。
やはり荒川という大きな川に近いので、水の神様を祀っているのでしょうか。
↑北側の沼の奥まで回って振り返って見ています。
こちらは中沼といい、南北120メートル、東西100メートルほどです。
前沼と中沼ということだと奥沼もありそうな気がします。
↑上流方向には水路がありますが、奥沼らしきものは見当たりませんでした。
鳥羽井沼は灌漑用の溜井との役割を果たしているということで、灌漑面積は15ヘクタールにもなるそうです。
↑近くに上八ツ林氷川神社があります。
創建は不詳ながら、延宝6年(1678)には再建されたようなので、江戸時代には既にあったようです。
八ツ林の歴史をみていくと、江戸時代始めの慶長14年(1609)検地の段階では八ツ林村には周辺の村も含まれていました。
慶安年間(164852)に八ツ林村、畑中村、大塚村に分村しましたが、この神社はそれら八ツ林郷の総鎮守だったようです。
さらに寛文年間(1661~73)には八ツ林村が上下二村に分村して、ここは上八ツ林村の鎮守となっています。
↑覆殿の中の本殿は肉眼ではもう少しはっきり見えますが、写真ではあまりよく写せません。
↑御神木として樹齢300年以上といわれる大ケヤキがあります。
高さ40メートル、周囲5.2メートルあり、川島町の天然記念物に指定されています。
↑なぜか神社なのに梵鐘もありました。
新編武蔵国風土記稿によれば、氷川神社は観音寺持ちとあり、現在の社務所のところに昭和33年までは堂宇があったそうです。
八ッ林というと失礼ながら田舎のイメージがありますが、川島町役場の住所は下八ッ林ですからそんなことはありません。
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