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2023年3月12日 (日)

鳥羽井沼自然公園と九頭竜神社と上八ツ林氷川神社の大ケヤキ

荒川サイクリングロードを上流に向かい圏央道を過ぎてしばらく行くと、左手に鳥羽井沼があります。

ここは川島町になり、下流方面を振り返ると沼が右手に見えます。

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江戸時代の安永年間(1772〜81)に市野川の洪水によりできた河跡湖だということです。

当時の荒川と市野川の流れるルートを確認できていないので、真偽は調べられていません。

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↑少し戻って土手上から、鳥羽井沼に下りてみます。

鳥羽井沼自然公園とされていますが、左には排水機場があります。

埼玉県営排水事業として口径1200ミリのポンプ2台で排水能力は毎秒6.5トンの鳥羽井排水機場です。

沼は2つあり、手前の南側は前沼といい、南北100メートル、東西70メートルほどあります。

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↑境目付近には九頭龍大権現と一目連大明神が祀られています。

やはり荒川という大きな川に近いので、水の神様を祀っているのでしょうか。

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↑北側の沼の奥まで回って振り返って見ています。

こちらは中沼といい、南北120メートル、東西100メートルほどです。

前沼と中沼ということだと奥沼もありそうな気がします。

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↑上流方向には水路がありますが、奥沼らしきものは見当たりませんでした。

鳥羽井沼は灌漑用の溜井との役割を果たしているということで、灌漑面積は15ヘクタールにもなるそうです。

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↑近くに上八ツ林氷川神社があります。

創建は不詳ながら、延宝6年(1678)には再建されたようなので、江戸時代には既にあったようです。

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八ツ林の歴史をみていくと、江戸時代始めの慶長14年(1609)検地の段階では八ツ林村には周辺の村も含まれていました。

慶安年間(164852)に八ツ林村、畑中村、大塚村に分村しましたが、この神社はそれら八ツ林郷の総鎮守だったようです。

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さらに寛文年間(1661~73)には八ツ林村が上下二村に分村して、ここは上八ツ林村の鎮守となっています。

↑覆殿の中の本殿は肉眼ではもう少しはっきり見えますが、写真ではあまりよく写せません。

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↑御神木として樹齢300年以上といわれる大ケヤキがあります。

高さ40メートル、周囲5.2メートルあり、川島町の天然記念物に指定されています。

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↑なぜか神社なのに梵鐘もありました。

新編武蔵国風土記稿によれば、氷川神社は観音寺持ちとあり、現在の社務所のところに昭和33年までは堂宇があったそうです。

八ッ林というと失礼ながら田舎のイメージがありますが、川島町役場の住所は下八ッ林ですからそんなことはありません。

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