飯能市原市場にあるスーパー周辺に何気なくある鎌倉時代の文化財
飯能から名栗湖方面に向かう埼玉県道70号飯能下名栗線は、名栗川(入間川)に沿うように進むいい道です。
道沿いにはいくつかの集落がありますが、原市場は比較的大きな町です。
その一つに上赤工がありますが、上赤工バス停の近くには神社があるはずです。

↑この辺りのはずですが、山の斜面に墓地があり寺院なのかと思いましたが、この建物は上赤工自治会館です。
少し右の方にあるかと思い行ってみましたが民家があるだけでした。
墓地の方に戻り入っていくと、鳥居があり、上赤工八坂神社がありました。

創建年は不詳ですが、江戸時代天保年間と伝えられています。
手水鉢はどう水が流れるのかわかりませんでしたが立派なものでした。

墓地の横に神社で不思議に思いましたが、江戸時代初期まではやはり東演寺という寺院があったようで、地蔵堂と共同墓地が現在はあるようです。
ここでは名栗川が大きく蛇行して流れているので、上赤工は三方を川に、もう一方は山に囲まれた平地部の狭い地域です。
何回か通ったことはありましたが、地名の赤工はアカタクミと読むそうです、

↑ここはすぐ南側が山となっているため日陰となり夕方のような雰囲気ですが、まだ午後3時前なので神社社殿から振り返ると、県道や川の向こう側は日が差しています。

↑県道沿いにこの先進んでいっても、大手チェーン店はあまりなくなり、少し手前のセブンイレブン、そしてチェーンスーパーとしてはここにあるエコスが最後になるようです。
その駐車場からは名栗川に下って行ける階段があります。

川には歩行者のみが通れる簡易な橋が架かっています。
コロナ禍で現在は禁止されていますが、スーパーで食材を買ってバーベキューする人もいたことでしょう。

日差しに惹かれて川の向こう岸に行ってみると、同様に平地の部分は少なくすぐ山の斜面があります。
既に上赤工ではなく、房ヶ谷戸自治会館があり、その隣りには五社神社がありました。

地名の房は西光寺の坊から来ているようですが、その西光寺も地蔵堂と墓地があるだけで寺院は今はありません。
ただし歴史は古いようで、飯能市指定有形文化財の西光寺板石塔婆があります。

板石塔婆は中世の石造りの供養卒塔婆で板碑ともいわれるものです。
それぞれ150センチを超える大型なのものが4基あり、一番右のものは、弘長元年(1261)のもので完形であれば2メートルを超える市内最大のものだそうです。

4基ともに鎌倉時代のもので、そのような文化財が何気なくこんなところにあるのが飯能のいいところです。
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