山本坊の芭蕉の句碑がある毛呂山町の国津神神社と近くの歴代墓地
埼玉県毛呂山町の北部の西戸に国津神神社があります。
県道343号岩殿岩井線から少し北に入ったところになります。
越生町の黒山熊野神社の別当がこちらに移転して、慶安元年(1648)熊野社を勧請して創建されました。

それが山本坊が深く関わっているというのですが、よく知らないので調べてみました。
山本坊永円は埼玉県ホームページの「埼玉ゆかりの偉人」に山本坊開山した越生町の偉人として載っていました。

「室町時代の修験の大先達。
応永5年に熊野神社を開き、関東の熊野霊場として「山本坊」を整備した。
江戸時代初期に本坊を西戸村(現毛呂山町)に遷した後も「越生山本坊」と称した。
京都聖護院配下の本山派修験二十七先達の一つに数えられている。」

↑ その山本坊の二十五世、徳栄法印の建立といわれる「山本坊の芭蕉の句碑」は毛呂山町指定文化財の史跡です。
「山さとは 万歳おそし うめの花 はせを」と刻まれています。

普通ならば正月に訪れる万歳芸人が、田舎の山さとには梅の花が咲く春先にならないとやって来ないということです。
↑神社の隣地にはちょうど梅が咲き始めていました。

↑北側の小高い丘には「山本坊歴代の墓」があるようなので行ってみました。
山本坊を興した栄円の後裔である相馬家が黒山熊野神社や国津神神社の別当であり、その歴代の墓ということのようです。
Googleマップによるとこの辺りなので、階段の上にあるのかと思い登ってみました。

しかし、予想外に住宅街があり、目白台として開発されたところのようです。
戻って、地図を信じて林の中に入っていくこととしました。

何となく踏み分け道があるような気がします。
Googleマップの示す位置は時々ズレていることがあるので心配ですが、夏ではないので虫やヘビ、雑草がないのが救いです。

↑少し進むと本当にありました。
山本坊歴代の墓も毛呂山町指定文化財の史跡です。
越生町の黒山三滝には行ったことがありますから、かなり離れたこの地に山本坊は移転してきたのか不思議です。

戻って地図を眺めていて気づきました。
黒山は越辺川の上流に位置しており、ここは越辺川に近く川を下ってくると来られます。
河川は重要な物質輸送手段でしたから頷けるところがあります。

もう一つ、先程の句碑の万歳芸人が気になっていました。
今の漫才をする芸人さんのことではないはずです。
調べると、新年を祝う歌舞をする者のことだということです。
服装が折烏帽子・素袍、後には風折烏帽子に大紋の直垂をつけ、腰鼓を打ちながら賀詞を歌って舞い歩いたそうです。
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