かつて栄えた荒川の平方河岸と樹齢1000年の欅がある橘神社と八枝神社
江戸時代には荒川でも舟運が発達しており、平方河岸も栄えていたといいます。
文書資料から寛永15年(1638)にはすでに存在していたといいますから、江戸時代初期のことになります。
埼玉県道51号川越上尾線で、並んで流れている入間川と荒川の入間大橋と開平橋を渡った上尾側になります。
↑現在の荒川沿いには河岸らしいものは残っていませんし、土砂崩れもあったようで復旧工事のため川岸に行けません。
1キロほど上流には西野橋があります。
川の上流部でもない荒川に沈下橋があることに驚きました。
両岸にゴルフ場があるため、そのカートばかりが通行していました。
重量と車幅制限はあるようですから一般車両も通れるようですが、前後の接続の関係からか通行は自転車以外は見かけませんでした。
荒川の開平橋を渡った時は、河川敷の幅も広くイメージ通りの荒川でしたが、西野橋から見てみると、入間川と合流する少し手前の荒川は予想外に狭い川幅でした。
平方河岸のあった辺りから200メートルほどのところには八枝神社があります。
1月3日にも多くの初詣の方が来ていました。
ここには6本の大木があり、「ハ枝神社の境内ケヤキ・エノキ群」として上尾市指定天然記念物となっています。
↓拝殿前(東側)の2本のケヤキは見た目にもインパクトがあり、触れたり写真を撮ったりする人も多くいました。
↓拝殿右(北側)の御神木もケヤキで、その横に2本のエノキがあります。
エノキは高さ30メートルあり、樹齢は400〜500年です。
神社の創建は不詳ながら、江戸時代の元禄年間(1688〜1704)には天王社・牛頭天王社と称していたといいます。
後に、京都の八坂神社と同じ牛頭天王を祀っている枝社ということで八枝神社とされました。
↓拝殿左(南側)にもエノキがあります。
これらはエノキといっても学術的にはムクノキなのですが、地元で古くからエノキと呼ばれているためそれが定着しているようです。
平方河岸からハ枝神社の前を通り東へ向かう道は、河岸とともに栄えたということで、その町並みを記した案内図がありました。
荒川舟運というと江戸時代のイメージが強かったのですが、明治、大正時代、そして昭和初年にもかなり栄えていたということです。
その頃は銀行、煉瓦工場、醸造所もあり、明治20年(1887)には荒川流域の河岸で一番だった戸田河岸を取引量で上回ったほどでした。
この案内板の前には橘神社があります。
こちらには初詣客はあまりいませんでしたが、文明3年(1471)創建であると元禄7年(1694)の文書に書かれています。
創建の棟札はないようですが、少なくとも江戸時代にはあったといことです。
その江戸時代には平方村の氷川神社でしたが、明治41年(1908)に、当時の村内10社と合祀され、社名は土地の旧名「橘の里」から橘神社となりました。
そのため村社となっており、本殿拝殿はその際に建立され、元の本殿はハ枝神社に移されて本殿となっているそうです。
やはり上尾市指定天然記念物になっている大ケヤキがあり、樹齢は境内の案内板には800年、市ホームページには1000年と書かれています。
上尾市ホームページの文化財説明の記載の方が長いというのは珍しいことです。
落雷で幹の上部がないものの樹高は24メートルあります。
境内には市指定有形文化財となっている「平方村河岸出入商人衆奉納の石祠」があります。
中央の神明社が指定されたもので、平方河岸の船着場からここに移されました。
河岸に関係する商人たちが享保2年(1717)にこの祠を奉納したことが分かるもので、数少ない歴史資料ということです。
平方はいろいろなもので歴史を感じさせてくれるところです。
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