津久井湖に沈んだ荒川八幡宮が移転した二本松八幡宮と式内社の石栃尾神社かという諏訪明神
相模原市にある津久井湖は天然の湖ではありませんから、以前は存在しませんでした。
昭和40年(1965)に完成した城山ダムに伴いできた人造湖です。

元々そこには当然に住んでいる人もいたので、鎮守社もあったということです。
↑当時の津久井町荒川集落からは相模原市二本松へ多くの家が移転し、そこにあった荒川八幡宮も昭和37年(1962)に移転して二本松八幡宮となりました。

その津久井町も今では相模原市と合併して相模原市の一部となっています。
↑二本松八幡宮の手水舎は今時の自動水栓のようで、筒下の手を入れると水が出ます。
コロナ対策でこうしたものが増えてきました。

相模原市は平成18年3月に津久井町・相模湖町と、19年3月には城山町・藤野町と合併して政令指定都市となっています。
荒川八幡宮の創建は建久2年(1191)といいますから、源頼朝が鎌倉幕府を開いた頃です。

↑すぐ隣には御久稲荷がありますが、境内社のようで、敷地の外だから別の神社でしょう。
ここから距離としては1.5キロほど離れていますが、諏訪明神にも立ち寄ってみることとしました。

↑こちらは神社の400メートルほど南に、一の鳥居があります。
村社諏訪明神は相模原市緑区大島にあります。

永正年間(1504〜21)に創建されたと伝えられています。
宝永7年(1710)に再建され、旧大島村、旧九沢村の総鎮守となりましたと説明板にありましたので地名について調べてみました。

明治時代の町村制施行で大島村、下九沢村、上九沢村が大沢村になりました。
大沢村は昭和16年(1941)に相原村、上溝町などとともに8町村が合併して相模原町となりました。

平安時代の延喜式神名帳に記載された相模国13座のうちの1社である石栃尾神社は、この諏訪明神のことではないかと言われています。 <p模原市の案内板に書かれているので全く根拠がない訳でもないでしょうが、名称からは不思議です。

↑本殿の後ろにも本殿と似たような建築物がありました。
蚕影社となっていましたので養蚕の神を祀っているのでしょう。
周辺はのどかな田園風景ですが、この辺りは言わば相模原市保守本流?の流れを汲むようです。

政令指定都市入りが目的ではないでしょうが、平成の大合併により規模の大きくなった相模原市域ではないということです。
とはいうものの、後から合併したところと以前から合併によって相模原町、相模原市となったところの時期による優劣を付けるという意味では全くありません。
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