ねじれまくりの入西のビャクシンと石上神社古墳と成願寺
埼玉県指定の天然記念物にもなっている「入西のビャクシン」を見に行きました。
坂戸市北大塚の石上神社にあり、ここは石上神社古墳でもあります。

↑前方後円墳だといいますが、東側から見ると石段の上に社殿のあるところが円墳、その右が方墳になっているようにも見えます。
成願寺2号墳ともいい、円墳だという説もあります。

↑石段を上がりきると、社殿とともにその右にインパクトのある木があります。
入西のビャクシンといい、昭和6年(1931)には埼玉県天然記念物に指定されています。
当時ここは入西村でした。

幹が右回りにねじれていることから「ねじれっ木」と呼ばれているそうです。
想像以上に見事にねじれています。
ビャクシンは、臨済宗の寺院に多く植えられており、ここ石上神社も近くにある臨済宗成願寺の境内だったようです。

樹高約12メートル、幹周り約3、5メートル、直径約1メートルと平成25年に坂戸市教育委員会の案内板に書かれていますが、それからも10年近く経っているのでさらに大きくなっているようです。
北側からも石上神社への参道があります。

前方後円墳の原型を留めていないので、円墳かどちらかわかりません。
北西側からは全体像が見られますが、やはり古墳の形はわかりません。

↑右の方には西側からの参道もあり、三方向から行けるようになっています。
ビャクシンとは知りませんでしたが、ヒノキ科ビャクシン属の常緑針葉喬木で、イブキともいうそうです。
近くにあるという成願寺にも行ってみることとしましたが、文和4年(1355)に鎌倉五山の建長寺・円覚寺の住職を兼ねた高僧の乾峰士雲が開いたといいます。

この辺りの住所は坂戸市成願寺になっている位ですから、かなり大きな寺院ですぐ見つかるかと思いました。
↑成願寺墓地という大きな看板はすぐ見つかりました。

↑その奥には鳥居があり、成願寺若宮稲荷神社との石碑があります。
そういえば、近くの坂戸市立の中学校は若宮中学校でした。
実は近づいてみると、若宮稲荷神社のすぐ右にある建物が成願寺でした。

教育委員会による天然記念物の説明に「成願寺創建にちなんでビャクシンが植えられたとすれば、文和4年以後のことで、樹齢650年余となる」と書かれていました。
そこから古く趣のある寺院社殿を考えていたので、ちょっと想定外でした。
まあこちらは勝手な勘違いですからいいのですが、それにしてもビャクシンの「ねじれ」は見事なものでした。
.
.
.
« のびる沢の先にある須賀神社奥の院と六道山公園展望台からの眺め | トップページ | 石と舟とみち道標の意味と鎌倉街道に沿っている石段を下っていく厳島神社 »
「51埼玉県」カテゴリの記事
- 8年ぶりに入間航空祭2025を2キロ離れて見てみるとどうか(2025.11.09)
- 大滝白滝不動滝の三滝と白雉創建という高山不動尊の大イチョウ(2025.10.26)
- 東松山の市民の森の山道になぜか並走する舗装道と見晴らし台(2025.10.12)
- ハイキングのまち越生の100メートル毎に登っていく大高取山(2025.09.21)
- 博物館らしくはない里山さいたま緑と森の博物館(2025.07.06)
「遺跡・古墳」カテゴリの記事
- はにわの丘はちょっと微妙なところだけど桜山窯跡群はすごいところ(2024.02.04)
- 7世紀の三輪白坂横穴群と三輪という地名の由来にもなっている椙山神社(2023.09.24)
- 蛇行する槻川に囲まれた天然の要害である小倉城跡(2023.04.23)
- 3つの北峰古墳群と合祀されなお残っている北峰稲荷神社と大日如来石像(2023.03.05)
- ねじれまくりの入西のビャクシンと石上神社古墳と成願寺(2022.09.04)
「神社」カテゴリの記事
- 南向きから江戸の護りのため東向きになった武蔵御嶽神社と2本の巨木(2025.09.07)
- 奥溜から地名が変わった奥富にある歴史ある梅宮神社と富士塚(2025.08.10)
- 和同開珎推しの秩父市黒谷と和銅と和同の違いの謎解き(2025.04.06)
- 加治丘陵の新久高台にある八坂神社からの景色と丘陵からの見え方(2025.03.02)
- 呼ばわり山という今熊山の今熊神社と安閑天皇の頃とは(2024.11.24)
« のびる沢の先にある須賀神社奥の院と六道山公園展望台からの眺め | トップページ | 石と舟とみち道標の意味と鎌倉街道に沿っている石段を下っていく厳島神社 »

コメント