坂戸市なのに八高線沿いにある城山の森と城山荘前からの眺め
前回に引き続き、坂戸市にある多和目城跡の話です。
西坂戸の住宅街のある北側から城跡に入り、高麗川の断崖の方を見ようとしたのですが、崖崩れにより通行禁止となっていたというところでした。
来たのと同じルートを引き返すのも面白くないので、別の道を通ることとしました。

↑こちらは崖崩れこそないものの、さほど大きくない木の倒木はありました。
やがて住宅街の近くに戻ってみると、今通ってきたところは入り口のところでは通行止めとなっていたようでした。

誰ともすれ違わないわけです。
ここにはベンチもありこちらの方が一般的な入り口のようです。
城山の森案内図もあって、ここまで辿ってきた道の全体像がようやくわかりました。

城山の森はほとんどが民有林ですが、市内唯一のまとまった樹林地で、すばらしい景観と良好な自然環境が残っているということで、坂戸市として城山の森づくりをしています。
案内図によると、このすぐ近くに城山荘というところがあります。

↑宿泊施設のある観光地とも思えないので何だろうと行ってみました。
高台にあるので目の前には民家の屋根越しですが、比企丘陵の見渡せる景色はいいところです。
ただし、城山荘とは坂戸市立老人福祉センターでした。
ここに来ようとする方が果たして来ることができる立地なのかとも思いますが、一応バスはあるようでした。

前回も書いたようにここは西坂戸の住宅街に隣接しています。
↑城山の森の外側であっても、初めに見た運動場越しにも遠くが見渡せますし、桜並木のようですからその頃はきれいでしょう。
森の外なのに運動場との高低差があり、地形がわかりづらいかと思われます。

↑南東側の森に沿った城山荘前の道も北に向かって登り坂になっているからです。
この道に沿って森が広がり、整備された遊歩道以外では通れなくなっています。

この城山の森では埼玉県トラック協会、埼玉県農林公社、坂戸市で協定を結び、森林の下草刈り、間伐、遊歩道等の整備を進めてきたそうです。
現地案内図には書かれていませんでしたが、坂戸市ホームページにあるパンフレットを見てみると、「立入禁止」箇所も表記されていました。

事前に予習していれば良かったです。
まあ、先程一回行ったばかりなので南側の立入禁止場所はわかっていますから、違うルートで行けるところまでリベンジです。
また、予想外にすぐ横を八高線が通っているようなので、本数は少ないですがせめて線路だけでも見渡したいものです。

↑別の道を通って行っても南に向いた二方面が通行止となっていました。
さらに通れるルートを辿って行くと、今度は三方向が通行止です。
地図の中央左側の写4となっているところになります。

南方面には近づけないようです。
八高線寄りのところも通行止めの奥なので、やはり見ることは出来なさそうです。
引き続き、図では北方面にある水辺、天然の水堀がありそうなところと、さらには高麗川の対岸からも城山の森を見に行くこととしました。
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