見沼代用水西縁沿いにあり武蔵国一宮ともいう氷川女體神社
さいたま市緑区の見沼の谷に突き出した小舌状台地の上に氷川女體神社があります。
クス、モチ、シラカシなどの社叢は市指定天然記念物であり、埼玉県「ふるさとの森」にも指定されています。

氷川女體神社は第10代崇神天皇の時代に勧請をしたと伝えられています。
西暦でいうと紀元前97年〜30年になりますから、2000年以上前のこととなります。
なお、崇神天皇からは実在したのではないかと考えられていますが、神社の方は実際は8世紀の奈良時代の建立と考えられているようです。

「體」とは見かけない難しい字ですが「体」ということで、女體は御祭神である稲田姫命(イナダヒメノミコト)に由来しています。
日本書紀において須佐之男命(スサノオノミコト)がヤマタノオロチ退治の際、助けて妃にした姫です。

さいたま市大宮区の大宮氷川神社(御祭神は須佐之男命で男体社)、見沼区の中山神社(御祭神は大己貴命で簸王子社)の三社を合わせて、武蔵国一宮と称されていたともいいます。
大宮氷川神社は一宮として有名でしたが、三社の位置は一直線に並んでいるそうです。

現在の社殿は、寛文7年(1667)に徳川四代将軍家綱が忍城主である阿部忠秋に命じて建立したものです。
社殿は本殿と拝殿を幣殿で繋ぐ複合社殿で、権現造りの形式です。

社殿は埼玉県指定有形文化財となっています。
本殿は三間社流造で、正面三間(3.56メートル)、側面二間(2.11メートル)、さらに向拝がついているといいます。
この神社には末社も数多くあります。

↑いくつもの神社を巡ってみましたが、あまり見かけなかった末社の案内図もありました。
まず、社殿左側にあるのは、左から覺明霊社、御嶽神社です。

次にその奥にあるのは、両社とも稲荷社になります。

これまで本殿左斜め後ろでしたが、本殿の真後ろには林があり、そこは「もののけ道」となっています。

声をかけられないようにと、つい早足になってしまいます。

↑写真左奥から出てくると、社殿右斜め後ろ側となり、神明社と今宮神社があります。
さらに続いて、右から順に石上神社、坂東神社、住吉明神社、天神松尾郷社です。


この地の竜神伝説があるようですし、境内の外にも関係遺跡があります。
十二社目の末社もそちらの方にあるようなので、引き続き詳しく見ていきたいと思います。
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